55 / 57

運命に花束を②

 最近の俺は涙腺が壊れているのだ、レリックに対する感情なんて捨てたと思っていたのに、それでも言わずにはいられなかった。 「俺はあんたを殺す為にここに来た、あんたとの関係を完全に断ち切って、俺は俺だけを愛してくれる男と共に、生きる」 「そうか。それもまた、一興だな……愛する者の手にかかって死ねるなんて、こんな嬉しい事はない」 「あんたはまだ、そんな事を……」  グノーは崩れ落ちて涙を零す。愛されている事は分かっていた、それが過剰で行き過ぎていた。そして愛していると言いながら、その愛は他方に向けられ、それが堪らなく嫌だった。  どこかで大きな爆発音が聞こえ、一瞬城が揺れた。窓の外を見やればもくもくと白い煙が昇っていて、始まったのだと理解する。王を殺し、城を破壊して完膚なきまでに王家を叩き潰す、それが今回のこの反乱の大筋なのだ。爆発音がしたという事は人質の奪還には成功したという事だろう。  今、城の至る所で自身の作ったからくりが走り回っているに違いない。前回の経験から人々はそれを避けて逃げ惑うだろう、人が逃げたその後にそれは爆発する。自爆というには過剰な火薬が積んである、城壁のひとつやふたつは吹っ飛ぶはずだ。 「グノー時間がありません。私達はやるべき事をしなければいけない」  グノーは小さく首を横に振る。 「あなたが出来ないというのなら、私がやります。あなたが自身でやると言うので見守ってきましたが、私はこの人が許せない」  ナダールの瞳は怒りに彩られている、どこまでも身勝手な男であるメリア王は自分の死すらグノーに背負わせようとしている。  グノーがその死を背負ってどれだけ苦しむか、ナダールには分かっていた。そんな苦しみを彼に背負わせるくらいなら、自分がその苦しみを背負う事くらい今のナダールには容易い事だった。 「覚悟してください、あなたに幸せな死など与えはしない!」  ナダールはメリア王に剣を向ける。だが、その足にグノーは縋り付いた。 「駄目だ、お前はそんな事しちゃいけない! これは俺の……」 「離してください、今のあなたには無理だ。あなたはこんな事も私に背負わせてはくれないのですか?! 私はあなたの伴侶ですよ、あなたの苦しみも憎しみも全部私が背負います、だから離して!」  二人が揉み合っていると、メリア王はまた窓の外を見やった。 いよいよ城内は騒然として、至る所で爆発音が響いている。 「興醒めだな……」  メリア王は酷薄な笑みを浮かべた。 「全く興醒めだよグノーシス。お前はいつからそんなに弱くなった? 私に組み敷かれてなお、泣きもせずに私をただ見詰めていたお前はどこに行った?」 「おまえは!」  ナダールの怒りで辺りにフェロモンの匂いが広がった。 メリア王は薄く嗤う。 「あぁ、これがαというものなのだな、酷く不快な匂いだ」  王は窓を開け放つ。窓の外の怒号が更に大きくなって、耳を塞ぎたいほどの騒音に変わる。 「幸せな死などいらぬよ。私はもう、疲れた……あぁ……」  最後に何を言ったのか二人にはもう聞こえなかった、どこかでまた大きな爆発音がして、それと同時に王はその窓から身を投げた。  駆け寄って窓の下を覗けば、王の死体はまるで翼を広げたような血痕の中に倒れていて、その手足はあらぬ方へと折れ曲がり、彼が死んでいるのは一目で分かった。 「っあ! いやっ、兄さま! 兄さまっっ!」  グノーは兄へと手を伸ばそうとするが、その身体を室内へ引きずり込んで抱きすくめた。最後の最後まであの男はグノーの心を攫っていく。こうなるかもしれないという予感はあった。 「行きますよ。これで任務は完了です。さぁ、立って!」  また爆発音と共に城が大きく揺れる。  泣き崩れて動けないグノーをナダールは担ぎ上げた。もうここも危険だ、いつ崩れだすか分からない。 「ごめん、ごめん、ナダール」  悲鳴と怒号が響き渡る、自分達でやらかした事とはいえやりすぎ感は否めない。崩れる城、すべてはこれで終わる、終わるはずだ……担ぎ上げたグノーはまだナダールの背に縋るようにして泣いていた。壊れたおもちゃのように謝罪の言葉を繰り返して、それでも涙は止まらないようだった。  ナダールはグノーをおろし、その顔を上向かせるとその涙を拭う。 「何を謝ることがあるのですか? あなたらしくもない! さぁ、しっかり前を見て。もうじきここも崩れますよ!」 「俺……ごめん、俺、お前の事、好きだ、本当に、でも……」 「知ってます。あなたがあの人のことを本当は大好きだってことも分かってましたよ! でもね、私はここであなたをあの男と心中させる気は毛頭ありませんから! ほら、走りますよ!」  多少乱暴に彼の腕を掴み、彼の返事を待たずに前を向く。  そう、知っていたさ、グノーがあの男を憎むのと同じ強さで愛していた事なんて。どれだけ愛を囁いてもグノーの心の中から兄の存在を消す事はできなかった。  ナダールがグノーを愛して、グノーがナダールを愛すれば愛するほど、メリア王の存在は消せないほどに大きくなっていった。それに打ち勝とうと努力はしてきたが、結局結果はこうなった。  グノーが憎しみの裏で彼を愛しているのは分かっていた。それほどメリア王の存在はグノーの中では重要な位置を占めていて、その場所すべてを自分が塗り替える事などできないのかもしれないとそう思っていた。そして案の定グノーはまた彼に心を奪われた。  だが、それはいい、まだそこまでは想定内だ。ただひとつ恐ろしいのはグノーが自分よりあの男を選んでしまう事。 「戻るなんて言わせませんよ! あの人はもう死んでいた、共に逝くなんて考え、あったとしてもそれは私が許しません!」  あの男だとて言ったのだ、いや、はっきり聞こえたわけではない、だがナダールには聞こえた気がした。 『弟を頼む……』  言われなくともグノーの手を離す気などさらさらない、グノーの心に居座り続けるあの男に頼まれるのは本当に癪だが、その言葉を違える気もない。 「違っ……そうじゃない、ナダールっ」 「なんですか?! もう本当に時間がないんですよ。あなたも分かっているでしょう!」  またどこかで爆発音がして、地響きがした。 「違うんだ、ナダール、聞いてっ!」  ずいぶん近くで爆音が響いた。地が揺れる、崩れる…… 足場が地響きと共に崩れ始めた。 「危ない!!」  ほんの一瞬の出来事だった。グノーがナダールの身体を突き飛ばし、目の前から彼の姿が消えた。足元には大きな穴、なおも上からがらがらと瓦礫は降ってくる。 「グノー!?」  手を離すつもりなどなかった、まるで夢でも見ているかのような一瞬で眼前には瓦礫の山が広がった。 「グノー……嘘だ……そんな、グノー! 返事を! 返事をしてください!!」  瓦礫の山に取り縋り叫ぶ。 「嘘だっ、こんなの……グノーっ!」  一緒に幸せになると誓ったのだ、その手を離さないとそう誓ったのだ。 「グノー!!」  そんなに離れた場所に居るわけがない、ナダールは手当たり次第にその辺の瓦礫を崩しはじめる。 「グノー、返事を!!」 「……ダール」  微かな声、その声は小さくか細い。でも確かに聞こえた。 「グノー、今助けます! 声を、どこですかっ!?」 「ここ……痛っ、んっ……一応、生きてる」  声を頼りに瓦礫を崩していくと大きな岩と岩の間のわずかな隙間にグノーはすっぽりと収まっていた。 「グノー、良かった……」 「それが、あんまり良くもないんだよなぁ……」  グノーは血の気の引いた顔で駆け寄ってきたナダールの顔を見て苦笑した。だが一方で、グノーのその顔も完全に血の気が引き、油汗が浮かんでいる。 「怪我を?! 大丈夫ですか? 今引き上げます、動けますか?」 「駄目だ、足、挟まれてんだよ。動けねぇ、っつ」  それはちょうど折り重なった岩壁と岩壁の間、右足が完全に下敷きになり、その岩を退かそうと押しても引いてもピクリともしない。 「あーやべ……ちょっと意識飛びそう……」  爆音は遠のいていた、だが崩れ始めた城は支えを失い少しずつ崩壊を始めている。 「なぁ、ナダール、ちょっと助け呼んで来てくれよ、コレ、一人じゃ動かねぇよ」  軽い口ぶりでグノーは言うが、それはできない相談だ。 「嫌です、あなたを置いてはいけません」  城は少しずつ崩壊を始めていて瓦礫はばらばらと降ってきている。グノーはそれを分かっていて、自分を逃がすつもりでそんな事を言っているのは考えなくとも分かる事だった。 「お前一人じゃ無理だって……なぁ、行って」 「嫌です!」 「行けよ……行ってくれ……お願いだから、ルイを一人にしないで……」  ナダールはグノーの前に跪き、にっこり笑顔を見せる。 「嫌です。私はあなたの手を離す気はないと言ったでしょう?」 「お前は酷い男だな……最後の願いくらい聞いてくれたっていいのに……」 「あの子は強い子ですよ。それにあの村でならあの子は自由に生きられる」  外を飛び交う喧騒は遠くなっている。降ってくる瓦礫から庇うようにナダールはグノーの頭を抱え込んだ。 「俺……さ、お前に出会えて本当に良かった。こんなに幸せな気持ち、お前に出会えてなかったらきっと一生知らないままだったと思う。俺、レリックの事も好きだった、本当はもっと愛されたかった、でもそんな気持ちもお前に会わなければ気付く事もできなかった。なのに、ごめんな、俺、お前に何も返せない」 「さっきからなんであなたは何度も謝るのですか? 私はあなたに謝られることなどひとつもありませんよ? それに返すってなんですか、私は私の生きたいように生きているだけです。そんな生き方を教えてくれたのは、他ならぬあなたなのに」 「俺はお前に会えて本当に幸せだと思うけど、お前にとって俺は疫病神だ。俺はお前の人生を滅茶苦茶に壊しちまった、お前はこんな所で死んでいい人間じゃないのに……」 「私が好きでやっている事ですよ、それより最後の顔が泣き顔じゃあね、本当に幸せだったのか疑われてしまいますよ? ほら笑って、大丈夫、私はあなたを愛する事ができて本当に幸せです、後悔なんてひとつもないんですよ。ただひとつ望むなら、今あなたに愛してるって言って欲しい、そのくらいですかね」 「馬鹿っ! 愛してるよ、愛してる、愛してる!……ナダール、お前ともっと生きたかった」 「死にたがり返上ですね……ふふふ、私の野望達成です」  ナダールがグノーの頭を抱えるようにして顔を寄せると、何を思ったのかグノーはその顔を押しやった。 「なんですか? 最後の最後まで焦らすつもりですか?」 「俺、まだお前と生きたい。死にたくない、一緒にいたい。約束したよな? 一緒に幸せになるって、ずっと一緒にいるって」 「ええ、そうですね……」  でも、とナダールはグノーの足元を見やる。岩壁はどうやっても動きそうにはないし、天井はなおも激しくばらばらと崩れ落ちてきて、もう助かる見込みは皆無に等しいとナダールは感じていた。それでもいいとナダールは思っていたのだ、愛する人と共に逝けるのなら本望だ。  グノーは上体を起こし、自身のベルトで岩に挟まれた足の関節付近をぎゅっと締め上げる。 「俺、諦めるのやめる。だから、お前も約束守れよ!」  言うと同時にグノーは持っていた剣で自身の挟まれた足を勢いよく斬りおとした。 「ぐぁぁ……っ」 「な……!?」  なんて事を!! ナダールは声も出せず、その光景を目を見開いて見詰めていた。鮮血がグノーの断ち切られた足からしたたり落ちる。 「ぐっ、はぁ……これで……行けるよな? っ……」  苦悶の声を上げながら、それでも白い顔でにっと笑って、彼は片目をつぶって見せる。 「あなたは本当に……」 「あ……やべ、目の前真っ黒」 「当たり前でしょう! 本当にいつも無茶ばっかり!!」 「はは……ナダール、後……まかせ、た……」  言ってグノーはぐったりとナダールの腕の中で意識を手離した。 いくら止血をしているからと言って、一体どれだけの血が流れていると思っているのか。 「あなた一人で死んだりなんかしたら、許しませんからね!!」  ナダールはグノーを抱えて駆け出した。本当に本当に無茶苦茶な人だ、それでもこれは彼がナダールと共に生きる為にしたことだ。  ナダールは崩れる瓦礫をかいくぐり一心不乱に死に物狂いで城から脱出した。

ともだちにシェアしよう!