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運命に花束を③
長い長い夢を見ていた。夢の内容は漠然として覚えていないけれど、微かに遠く自分を呼ぶ声。何度も何度も優しく響くその声に応えたくて、でも声は遠くてどちらに向かって行けばいいのか分からずに立ち竦んだ。
立ち竦む? 真っ黒な空間、何処を見てもどちらを向いても何もない。歩いている感覚すらなくて、あぁ、これは夢なんだと気が付いた。
自分は誰なのだろう、声は何を言っているのだろう、聞こえない……分からない。
目覚めなければ、あの人が呼んでいる。でもあの人って……誰?
早く目覚めてすべてを理解しなければいけない、でも怖い。
何故、何が怖いのかと問われても分からない、ただ目覚めるのが怖い。焦りと不安、期待と切望が交じり合い混乱する。あぁ、あの人に会いたい。
眩しい……ここは何処だ?
目覚めるとそこは見慣れた一室だった。いや、見慣れているはずなのにそこが何処なのか分からない。見覚えはある、だが何処なのか、その記憶はすっぽり抜け落ちている。
眩しい……日差しはベッド脇の窓から燦々と降り注ぎ目を細めた。外を見ればのどかな村の風景、だが一体ここは何処なのだろう?
喉が渇く、声は出ないし体も思うように動かない。
指、自分の指、腕……動く。掌を眺めてその腕をついて起き上がろうとするが、体は重石でも付けられたように重かった。
ようようベッドの上に起き上がり、違和感を覚える。
足……足、動かない? そっと両手を両足にそって滑らせていくと、片手がすとんと下に落ちた。右手、なんで? 右足、腿から下の感覚がない。感覚どころか……
「足……無い?」
掠れた声が出る。自分はこんな声だっただろうか?
片足が無い。不思議だとは思うが、恐怖は無かった。何故か頭のどこかでその事実を素直に受け止めている自分がいる。
自分は片足を失った。でもそれが何故だったのかはどうしても思い出せない。
自分は一体誰なのだろう? そこまで考えた時に部屋の外で物音がしている事に気が付いた。
足音が近付いてくる、誰かが来る。
扉をコンと叩く音、そして現れたのは長身の男だった。
男はこちらを見て一瞬立ち竦む、だがその後すぐ泣きそうな笑顔で駆け寄ってきて、一言も発する事なく抱きすくめられた。
「良かった、もう目覚めなかったどうしようかと、そんな事ばかり考えていましたよ……本当に良かった」
「ナダー……ル?」
何故かするりと男の名前が出てきた。記憶が混濁している、だが確かに自分はこの男を知っている。
「はい、そうですよ、私の愛しい人」
『グノーシス』
愛し気な瞳で俺を見つめる男の声と被さるように低く響くどこか恐ろし気な男の声。聞き覚えのある、だが思い出したいような思い出したくないような気持ちがぐるぐると心をかき乱す。俺の様子がおかしい事に気が付いたのかナダールが慌ててグノーの顔を覗き込む。
『あんたなんか、死ねばいいのに』
女の人の声、蔑むような瞳、紅い紅い瞳。
『大嫌い!!』
泣き叫ぶ子供の声と泣き崩れる少年の映像……これは一体何なんだ!?
他にもたくさんの男の声、女の声、低い音、高い音、たくさんの音と声と映像が頭の中を物凄いスピードで回っている。
「うわぁぁあぁぁ!」
音は大きくなったり、小さくなったり、だがどの映像もこちらを睨み付けグノーに罵りの言葉を投げつける。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
呼吸が乱れる、何だコレは? この記憶は何なんだ?
目の前の男からは自分を気遣うような優しさしか感じない、だが、自分のその記憶はそんな優しさなど欠片もない。
「くっ」
眉を顰めてナダールがグノーを抱きしめた。彼の匂いが自分を包み込む。あぁ、彼の腕の中だけは絶対に安心できる場所なんだ。
「大丈夫ですか?」
「記憶が、たくさんの罵りの声が、聞こえるんだ」
グノーの言葉にナダールが少し表情を険しくさせて「大丈夫、ここにはもうあなたを脅かすものは何もない」とグノーを抱き締めた。
「終わった……のか?」
「ええ、恙なくすべて終わりましたよ。よく頑張りましたね」
優しく自分を抱き締める優しい腕、そうか、終わったのか……
不覚にもぼろりと涙が零れた。人生のすべてを縛ってきた鎖から解き放たれる、それには大きな代償も払ったようだが、それでもすべて終わったのだ……
「そういえば鍵……」
すべて終わった、けれどそれでも残された首輪が忌々しくて仕方がない俺が首輪を撫でると、ナダールが「ここに」といつの間にか俺の首にさげられていた鎖を指差す。そしてその先には小さく特殊な形状の鍵がぶら下がっていた。
「これが、この首輪の鍵?」
「たぶん間違いなく」
「なんで外しといてくれないんだよ、気がきかないな」
グノーが不満気にそんな事を言うとナダールは眉を下げて「あなたの意識が無いのに勝手に番にするのはルール違反でしょう?」と苦笑した。
変に生真面目なナダールらしい返答にグノーは笑ってしまう。
「この首輪、お前が外して」
ナダールに鍵を手渡すと彼はその鍵をぎゅうと握りしめ、頷いた。
長い間繋がれていた鎖が、今ようやく外れる。
鍵を差し込むと、かちりと音がする。回せる隙間はない、そのままでは外れないのだろうナダールが首を傾げるように触っていると、金具の部分が動いた。上下左右にパズルのように動かしていくと、その首輪は音もなく外れた。
「綺麗な項ですね……」
ナダールはそこに唇を這わす。ぞわりと肌が総毛立って身体が震えた。
二人の匂いが交じり合って広がっていく、あぁ、この匂いはどこまで届いてしまうだろう。でも、そんな事はもうどうでもいい。誰に気付かれても構わない、身体が疼く。
「早く噛んで……早く俺をお前の物にして、離さないって誓って」
「離しませんよ、もう二度とあなたの手は離さない」
ナダールが背後から抱き込むようにして項に齧り付く。激しい痛みと甘い痺れ、あぁ、これでようやく……
まさぐる手が身体中を這い回る、どこを触られても身体の疼きは止まらない。
「ちょうだい、たくさんお前を……もっと、もっと、もっと!」
長い事、禁欲生活に耐えていた二人の気持ちは昂るばかりで際限を知らない。
「煽らないで」と呟くナダールの声も色を帯びて耳を擽る。
お互いがお互いの服を剥いでいくように裸身を晒す。初めてでもないのに、まるで初めて肌を触れ合わせているかのような興奮に眩暈がした。
いつも以上にナダールの匂いを強く感じるのは、番になったせいなのだろうか? 自分達はこれで本当に正真正銘番になれたのだろうか?
不安に思ったのは自分だけではなかったようで、ナダールもまた執拗に俺の項に舌を這わせ、甘噛みをするようにそこに何度も何度も歯を立てていた。その度ごとに身体には甘い痺れが走り、自身の雄の部分も雌の部分もどちらも突き抜けるような快感に濡れていくのが分かる。
「ナダール、もういいから……」
項に埋めるその顔に自ら顔を寄せ口付ける。
舌が絡み合い、それでも足りないと身体を捻るようにして更に深く頭を抱えるように抱きつくと、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「……なに?」
「嬉しくて、こんな風にあなたに求められるようになれた事が、私は本当に嬉しいのです」
掌を重ね合わせて、瞳の中まで覗きこまれる。本当は最初から拒めてなどいなかった、初めて匂いを嗅いだ時からこの男は自分の特別な人間なのだと本能で分かっていた。
それでも人間は理性の生き物だ、本能などと言う不確かな物を信じられずに拒み続け、抗い続け無駄な労力を費やした。
そんな無駄な力を抜いて素直になったら、心がずいぶん楽になった気がする。
「愛してる」
耳元でそう囁いたら彼はまた嬉しそうに微笑む。
こんな言葉を自分が素面で言える日が来るとは思わなかった。
今なら何度でも言える気がする、呪い続けた『愛』を囁ける相手をようやく見付けた。
押し倒すようにして身体に乗り上げると、彼は苦笑する。
「あなた意外と上に乗るの好きですよね。騎乗位も嫌いではありませんが、たまには私にも主導権を握らせてはくれませんか?」
「そう、だっけ?」
「無意識ですか?」
言ってまた身体を返して押し倒された。
あ……そっか、たぶん俺は怖かったんだ、組み敷かれ身動きが取れない状態での性交には嫌な思い出しかない、けれどナダールの腕の中で彼の匂いに包まれてするのはとても気持ちがいい。
「いいよ、お前の好きにしろ。ここもお前を欲しがってる」
足を開いて濡れた秘穴を擦り付けるように彼の腰に足を回して抱き込む。片足が無いから完全ホールドとはいかないが、密着した下半身に彼の昂ぶりが勢いを増したのが分かった。
「早く入れて……」
「全くあなたは、まだ体力も回復していないくせに煽らないでください」
前戯もそこそこに彼の怒張が自分の中に押し入ってくる感覚、だが濡れそぼった肉壁は彼を拒む事はない。
「痛くないですか?」
「ん……平気」
彼の背に腕も回して更に奥へと誘うように身体を密着させると、彼もそれに応えるように昂ぶりを俺の奥へと押し込んだ。
「っ……は、あ……」
「あなたの中は温かくて柔らかくて気持ちがいい。際限もなく、貪ってしまいたくなる」
「いい……よ。俺も欲しい」
全部、俺の中に……ちょうだい、そんな風に呟くと彼は我慢し切れなかったのか激しく腰を打ち付けてくる。
「っあ、あっ、あ……んっ」
甘い嬌声が己の口から零れ落ちた。彼の穏やかな普段とのギャップがたまらなく愛おしい。優しく抱こうとしてくれてるのは分かるのだが、俺にはこの位が丁度いい、理性もすべてかなぐり捨てて俺だけを見てくれているナダールの碧い瞳が愛おしくてたまらない。
下肢から響く卑猥な水音が一層の快楽を煽り「もっともっと」と際限もなく求めているのは俺の方だ。
呻くようにして彼が俺の中に精を吐き、それを根こそぎ搾り取ろうとしているかのように自分の肉壁がうねっているのが分かる。俺の中から出て行こうとする彼を「ダメだ」と首を振って嫌がれば、困ったように頬を撫でられた。
「理性が勝っている内に止めておかないと、あなたの事を抱き潰してしまうかもしれませんよ?」
「子供……」
「ん?」
「二人目はお前に似た子がいい……」
愛しい愛娘ルイ、もうそんな彼女を脅かす者は誰もいない、きっともう一人増えたらもっと楽しい家庭が築ける。
「まだ、足りない」
「……あなたって人は……」
「こんな俺は、嫌い?」
最初は反発して罵って、彼を受け入れてからはひたすら甘やかされている。ナダールは一体どんな俺が好みだったのかよく分からない。
「嫌いなわけないでしょう、大好きですよ」
「だったら、もっと愛して」
「本当にあなたは私を煽る天才ですよ」
言って抜かれかけた彼自身が再び堅さを取り戻して最奥へと突き入れられた。それを嬉しいと思ってしまう俺はもう完全にこいつだけの雌なのだろう。
「最初の時の事、あなた覚えてますか?」
「最初……? っつ」
「抱き潰してしまいそうだと言った私に、あなたが何を言ったか覚えていますか?」
「あの時はヒートにやられて、朧気にしか……っん」
肉壁の敏感な部分を突かれてあがる嬌声に彼は満足げに笑みを零した。
「ここ、好きですか?」
「あっ、は……やっ、そこばっかり……ダメ」
まるで快楽中枢と直結しているかのような、その場所に何度も何度も彼を突き立てられて、零れる喘ぎを止められない。
寄せられる唇が俺の肌の上を滑る毎に赤い華を散らしていく。
堪らず、己も自身の腹に精を吐くと、律動を続けていた彼も苦しそうにその精を俺の中にぶちまけた。
「あったかい……」
「生きてるって感じがするでしょう?」
ゆるゆると項に顔を埋めるように、言われた言葉に頷くと、耳を舐るように唇を寄せられ優しく腹を撫でられた。
「今度は私によく似た男の子、生んでくださいね」
耳朶に響く声がくすぐったいし気持ちがいい。
「んふふ……頑張る」
俺の言葉に彼はなにやら満足したように頷いた。
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