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真人②

「そうなのか? 亮治、答えなさい」 「……」  さすがの亮治も箸を置いた。首を垂れて後頭部をガシガシと掻く。困った時に出る、昔からの亮治の癖だ。  真人のとんすいの中では、くたくたになった野菜が、卵液にくるまれてしなびていた。冷めてしまったのか、それを口の中に入れると、舌の上に尖った甘さが広がる。飲みこんでから、真人は「あのさ」と重くなった空気の中、口を開いた。 「今日はそういう話をするために集まったんじゃないでしょ。二人のためにここを予約してくれたのは兄さんだよ。そこのところ、わかってて訊いてるんだよね?」  両親は健全な人達だ。だからこそ、時にはその健全さが重荷になることを知らない。  真人の態度に面食らったのか、父は気まずそうに組んでいた腕を解いた。母も「そ、そうよね……」とぎこちない笑顔を浮かべる。  兄がこちらを見ているような気がしたけれど、真人は気にしないように、グラスの中に残っていたビールを一気に飲んだ。  その後の時間は、和やかに過ぎた。真人の牽制(けんせい)が効いたのか、両親が兄の離婚について話を蒸し返すことはなかった。  会計をしている亮治から、「先に出てて」と言われ、父と母に続いて真人も靴を履いて暖簾をくぐり、店の外に出た。湿気の含まれた生暖かい風が、食後で汗ばんだ額にまとわりつく。  石畳の上を歩いて外門へ向かっていると、後ろから「真人」と亮治に呼ばれた。  振り返ると、会計を終えた亮治が「酔った酔った」と言いながら小走りで真人の隣にやって来た。 「いくらしたの?」  財布を出そうとすると、亮治が「おまえね」とため息をつく。 「弟にカンパしてもらわなきゃなんないほど、そこまで困ってねえから」 「……へえ」 「あ、今絶対こいつ無理してるって思っただろ」 「べつに?」  亮治の大袈裟な反応に、真人が一言で返す。昔から変わらない亮治とのこのやりとりが、真人は嫌いじゃなかった。思春期の頃は鬱陶しいと感じていた時期もあったが、今では心地いいとさえ思う時がある。  兄弟だけど他人。他人だけど兄弟。  正直、家族という感じはあまりないが、両親にはない特別な親しみを、真人は亮治に感じている。近所にいる幼なじみのお兄ちゃんという感じが、一番しっくりくる。 「なあ真人」  突然、亮治の声が神妙になった。 「なに」 「さっきは、ありがとな」  真人はちらりと、隣を歩く兄の横顔を盗み見る。相変わらず体育会系の遊び人のような外見だ。何も知らない人は、離婚の原因に亮治の女性問題を想像するかもしれない。  だが真人の知るかぎり、亮治は今まで付き合ってきた女性には真摯な男だった。もちろん義姉に対しても。仕事が終わったらまっすぐ家に帰ってきてくれるのだと、去年の正月に義姉も幸せそうに話していた。  真人はサッカーのシュートを決められなかった友人を励ますように、自分より少し上にある亮治の肩をポンポンと叩く。原因が何であれ、亮治は亮治だ。  亮治は真人にもう一度、「ありがとな」と言った。喉奥から発せられたその声は、わずかに震えているように聞こえた。  ふと、「亮治」と口を()きそうになる。  亮治が兄っぽくないので、真人は子どもの頃から、心の中でひそかに兄のことを「亮治」と呼んでいる。だが、亮治は真人から名前で呼ばれるのが嫌いなのだ。以前、間違えて名前で呼んでしまい、「兄貴を敬え」と頭を叩かれたこともある。  くっとこらえて、「兄さんドンマイ」と言うと、亮治は照れくさそうに鼻の下を掻いて笑った。

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