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真人④

 着替え終わって床に座ると、すっかりリラックスモードになってしまった。真人はあくびを嚙みしめながら「悪いけど今夜は泊まってもいいかな」と兄に訊く。 「え……?」 「服、乾きそうにないし。明日の朝には帰るからさ」 「そ、それは……」 「もちろんベッドで寝かせろなんて、言わないよ」  亮治は困ったように、「……急だな」と苦笑いする。 「京王線って、めったに乗らないからね。慣れてない線に乗ると、なんとなく疲れない?」 「た、たしかにな……」  亮治の態度が気になった。だが、この時の真人にはどうして亮治が渋ったのか、まったくといっていいほどわかっていなかったのだ。  雨脚が弱まってきた頃、真人は亮治と一緒に近くのスーパーへと出かけた。明日は亮治も休みらしく、どうせなら酒でも飲もうという話になったのだ。  会計を済ませ、缶ビールやつまみをレジ袋に詰めている時のこと。突然、不安げな声音で、亮治が訊いてきた。 「なあ真人、もしも俺がさ……」  そこまで言うと、亮治はキュッと唇を結び、「いや、なんでもない」と続けた。  いつになく、今夜の亮治は挙動不審だ。やっぱり弱ってるんだろうな。真人は弱気な亮治の覚束ない手つきを見つめて思う。  亮治はレジ袋の中で缶ビールを並べ、その上にイカフライの入ったパックを乗せようとした。だが不安定らしく、レジ袋を手に引っかけて持とうとすると、パックが中でひっくり返ってしまう。  貸して、と真人は兄からレジ袋を奪い、ゴソゴソと中の配置を変えた。数本の缶ビールを倒し、いかだのようにしてから、その上にイカフライのパックを置く。 「おまえって、昔からこういうの得意だよな」  亮治は感心したように、商品の入ったレジ袋を上げ下げした。そんな亮治に、真人は言う。 「兄さんは昔から強かった」 「え?」 「でも、たまには弱くてもいいんじゃないの。特に僕や父さん達の前では。それで嫌いになんてなるわけないし」 「真人……」 「家族なんだからさ」  真人がそう言うと、亮治はふわりと自然な笑みを浮かべた。素直な亮治を見て、わずかに強張っていた真人の肩の力も、フッと抜ける。  亮治は昔から、家族が大好きだ。真人が『家族』を強調させてあげると、本当に幸せな子どものように笑うのである。そんな男が、自分の家族を構築できなかったのだ。  兄の性格的に、いつまでも引きずるようなタイプだとは思っていない。だから真人は、最近まで亮治のことを両親ほど心配していなかった。    とはいえ、離婚原因について話そうとしない態度といい、体調を崩したといい、もうしばらくは気にかけた方がいいのかなと、考え直したのである。  その夜は金曜日ということもあり、バラエティー番組を観ながら互いの仕事の愚痴を言い合ったり、共通の友人の話をしたりと、つまみをやりながら酒を飲んだ。  大酒飲みの亮治も、まだ本調子ではないのか、酔いが回るのが早く見えた。  午前一時を過ぎた頃。亮治はロング缶のビールを握ったまま、いつの間にか座卓に突っ伏して寝だした。こぼれないよう亮治の手から缶ビールを抜き取り、背中を叩いて「ベッドで寝なよ」と促す。  亮治をベッドに移動させた後、真人もテレビや電気を消し、座椅子の上でタオルケットにくるまった。スウェットからほのかに香るのは、洗濯洗剤の匂い。柔軟剤なんか使っていないのだろう。安っぽい人工的ないい香りがしない代わりに、湿っぽい匂いがする。  くさいと思わなかったのは、それが懐かしかったからだ。気づけば真人もまどろみの中を漂い、静かすぎる亮治の寝息を探りながら、完全に目を閉じていた。

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