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真人⑥
「……あの夜さ、おまえの言う通りだったんだよ。俺はたしかにそういう相手を呼んでたんだ。女じゃなかったけどな」
「どうして正直に言ってくれなかったんだよ」
「言えるわけねえだろ……」
「それなら僕を帰せばよかったじゃないか。理由なんていくらでもつけて!」
「帰したかったさ! でも無理だろ……あんなびしょ濡れだったおまえを……っ」
「それでも帰すべきだった! 欲に負けるってわかってたんなら、僕が泊まってもいいかって訊いた時に、帰すべきだったんだっ」
亮治は「だから襲うつもりで泊めたんじゃない!」と否定する。
「俺だって、おまえにあんなことしたかったわけじゃなくて……っ」
「でもしたじゃないか!」
真人は亮治の体を突き飛ばすように、肩から手を離した。反動で亮治の体が椅子から落ちそうになる。
亮治は下唇を噛んで、「おまえが寝返りを打った時、白い肌が見えたんだ」と告白した。
「少し触っても、おまえは起きなくて……『あと少しだけ、もう少しだけ』って触ってたら、おまえが起きちまって……ごめん。パニックで、自分が抑えられなかった」
「今さらそんなこと言われても困るんだよっ」
「……ごめん」
「僕はあの後、何度も『あの時帰っていれば』って思ったんだっ。そしたら、こんなことにはならなかったのに、って……っ」
「……なってたよ」
え、と顔を上げる。今、この男は何て言った?
「遅かれ早かれ、いつかこうなるんじゃないかって……ずっと怖かった」
「……どういうこと?」
「情けない話だけどさ、俺、昔からおまえの体に弱いんだよ……細いとこも、白いとこも……たまんないんだ。おまえの体で抜いたことも、正直いって何度もある」
兄の衝撃的な告白に、真人は絶句した。
「高校生ん時だったかな。おまえがバスタオルをリビングに置き忘れて、風呂に入っちまったことがあっただろ。持っていってやったのも、あわよくばおまえの体が見れたら――……って、こんな話されても困るよな」
正直な亮治の言葉に、真人は背筋がスーッと冷めていくのがわかる。
もういい、と思った。この男は兄でも何でもない。初めから他人だったのだ。
痩せた分、亮治の大きな目はより強調されている。その瞳にじっと見つめられ、真人はどうしていいかわからなくなった。ドッドッド……と、心臓が嫌な鼓動を刻む。
「亮治は、僕のことがずっと好きだったの?」
訊いてから、真人は自分がくだらない質問をしたことに気がついた。
案の定、亮治は首を横に振り、「俺は、男を好きにはなれない」と言った。
想像通りの返答が体をすり抜け、真人はバカバカしさでため息をつく。ホッとすると同時に、どこかやるせなかった。
「男の体が好きだけど、恋愛対象は女性ってこと?」
亮治は目線を下げて黙った。黙るということは、肯定なのだろう。
「自分が矛盾したことを言ってるって、わかってるよね?」
亮治は静かに首を横に振った。その態度に腹が立ち、真人は「してるんだよっ」と思わず声を荒げた。
「おまえの言いたいことはわかる。わかるけど……これが、俺なんだ」
亮治のその言葉は、自棄にもエゴにも聞こえなかった。ずっと亮治なりに悩み、客観的に分析してきたことなのだろう。これが俺なんだ、と言う亮治の声はどこか悲しげで、諦めに似たものが含まれていた。
だが。
やはり真人には、意味がわからなかった。男にしか性欲を感じないくせに、男を好きにはなれないという。こんな矛盾は、真人の人生にはこれっぽちもない。あんまりにも身勝手だと思った。
「由希子さんと離婚したのも、それが原因ってわけ」
真人がそう言うと、亮治は辛そうに顔を歪めた。酔いも回っているのか、亮治はテーブルに肘をつき、額を両手で押さえながら苦しげな声を絞り出す。
「俺だって、抱きたかったんだ……っ。でも無理だった。柔らかい体じゃ、どうしようもなくて……」
「由希子さんが聞いたら泣くよ」
「……言われなくても泣いてたさ」
呆れてものも言えなかった。真人はため息に乗せて「じゃあ、そもそもなんで結婚したんだよ」と兄を責める。
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