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真人⑥
「はは……なんでだろうな。あいつ、全部知ってたのに。それでも俺と結婚したいって……一緒に、頑張ろうって……っ」
でも、と亮治は眉根を寄せる。
「人間は変わるっていうか、いや、そうじゃねえんだよ……体って、大事なんだよな。抱き合わないと、心も離れて……。それなのに俺は、焦れば焦るほど、男の腰や下半身に目がいって……っ」
「そうやって、由希子さんのせいにするんだね」
亮治は力なく乾いた声で笑った。
「おまえが本当にそう聞こえたなら……俺を殴ってくれ」
離婚してから初めて亮治の口から聞く、元妻である由希子への想い。亮治は別れた今でも、由希子のことを愛している。初めて由希子を実家に連れてきた時の、照れくさそうな笑顔を浮かべる亮治を思い返すと、たまらなかった。
「別れた後なら、弟をレイプしてもいいんだ」
「……そんな言い方しないでくれよ」
「僕は兄さんにされたことを言ってるだけだっ。あんなのはただのレイーー……」
周りの客から視線を感じ、真人はハッとなって肩をすくめる。周囲を気にしないで思いついたまま言いたいことを言おうとするなんて、自分らしくなかった。
ふう、とひとまず浅く息を吐いて、ずっと疑問に思っていたことを兄に訊ねる。
「……どうして、僕だったの」
亮治は真人に特別な感情を抱いているわけではないと言い切った。ましてや男の体に欲情したところで、男が恋愛対象なわけでもない。
兄が別れた妻を想いながらどんな男とセックスしようが、真人にはどうでもよかった。
ただ、どうして欲情を抑えきれなかった相手が、家族である自分だったのだろう。どうして大切にしてきたものを、自ら壊しにかかってきたのだろう。
それらを思うと、これまで亮治に付き合って家族の真似事をしてきた自分が情けなく思えてくる。兄さん、と呼んできたこれまでの時間に、唾を吐かれたような悔しさが湧いてくる。
特別な理由がほしかった。同情ができる、亮治の理由なり感情なりを――。
「最低だってわかってる。今さら嘘をついたところで、意味がないってことも、もちろん」
続けて亮治の口から聞かされた返答は、至極簡素なものだった。
「めちゃくちゃやりたくなった夜に……タイプの体をしたおまえが、たまたま来た」
その瞬間、同情でも怒りでもない、乾いたものが、真人の胸に広がっていった。
なんて可哀想な男なんだろう、と思った。そして、その可哀想な男に巻き込まれた自分はいったい……。
真人は財布から取り出した一万円札をテーブルに置くと、荷物を持って席を離れた。電話を終えて戻ってきた牧野と、レジの前ですれ違う。「もう帰るの?」と訊かれたが、真人に答える余裕はなかった。
外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。だが飲食店の多い一帯なので、街は外灯や飲食店の灯りでまだまぶしい。
ドアにつけられた鈴のカランと鳴る音が、後ろから聞こえる。真人はこみ上げる悔しさを押し殺し、駅を目指して夜の街を突き進んだ。
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