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真人⑨

 だが、そんなものが現実には何の効力ももたないことを、真人はすでに知っているのだ。ガタッと椅子から立ち、会場から出ていく二人の背中を追う。気づかれないように、神経をとがらせて。  真人がちょうど角を曲がった時だった。亮治と晃は喫煙所の前を通りすぎ、横のトイレに二人で入っていこうとしていた。  一服なんて、やっぱり嘘じゃないか。  真人はカッとなった。足早に亮治へと近づき、くるっと晃を向く。急に間に入ってきた真人に、晃は「は、真人っ?」と困惑の表情を浮かべている。  そんな晃をキッと睨みつけ、真人は「兄を借ります」と言い、亮治の手をとってその場を離れた。亮治には「どうしたんだよ?」とか、「止まれって」と言われたが、すべて無視する。  親戚や人のいないところを探しているうちにたどり着いたのは、エントランス横の人気(ひとけ)のない男子トイレだった。  真人はトイレに入るやいなや、振り返って亮治の手を乱暴に離す。 「トイレでなにをするつもりだったんだ」 「は?」 「一服って言ったじゃないか。それなのに二人でトイレなんか……」  亮治は『?』と首を傾げて、真人を見る。「なに言ってんだ?」 「なにってトイレで晃兄さんと、そ、その……」  言いよどんでいると、亮治が「ああ」と頭を掻いた。 「あー……つまりあれか。おまえ、俺と晃がトイレでよろしくやるんじゃねえかって思った――とか?」 「そ、そのつもりだったんだろっ? だって一服って言ったのに」 「ションベンしてからな」 「嘘言うな――」  そこで真人は「あ」となり、自分が盛大な勘違いをしていたことに気づいた。  かあっと頬が熱くなる。  亮治は気まずそうに苦笑いを浮かべながら、「さすがにあいつは、そういうんじゃないよ」と小さく頭を下げた。  なんということだ。自分は勘違いで、晃の目の前で亮治を連れ去ったということになるのか。  自分の失態に啞然とし、恥ずかしすぎて穴を掘ってでも入りたくなる。亮治に「大丈夫か?」と顔の目の前で手を振られたが、自己嫌悪でもちろん大丈夫ではない。  外から「おーい亮治ー?」と晃の声がトイレに近づいてくる。  だがトイレの中を覗いた晃には、亮治と真人の姿は見えなかったに違いない。  咄嗟に、二人して個室へと身を隠してしまったからだ。さすが長年兄弟をやってきただけあって、考えることは似ている。  急なことでバクバクと鳴る心臓。亮治と二人きり。真人は勢い余って入ってしまった個室の中から、天井を見上げた。「ったく、なんなんだよ、あのブラコン」と一人愚痴をこぼす晃の声が響く。  やがて晃のカツカツと鳴る靴音が遠くに消え、再びトイレに静寂が訪れた。真人はふうと安堵の息をついてから、晃のブラコン発言にムッとなる。  すると真人の表情から察したのか、亮治がフォローするように笑った。 「安心しろよ。晃が言ったのは俺のことだから」 「え?」 「今のブラコンってやつ。俺、おまえが弟になるって聞いた時、本当に嬉しかったからさ」 「……」  それは今、晃のこぼしたブラコン発言とはまったく関係のない話に聞こえた。だが、亮治は関係大アリというような顔で続ける。 「父さん達が再婚した時さ、おまえってば、ずっと母さんの後ろに隠れんのよ。もじもじしながら『おにいちゃん』って……可愛かったなぁ」 「……なんでそんな話、今するの」  亮治は「なんでだろうな」と目を伏せてから、くっきりした二重をもちあげて言った。「戻ろうか」

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