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真人⑨
「何人とか……そういうんじゃねえんだよ。アプリがあるんだ。ゲイ専門の出会い系的なやつがさ。そこでタイプの相手を見つけて連絡取り合って……って感じだよ」
「……」
「ゲイ専門だけど、欲だけ満たされればいいって連中ばっかだからさ。俺みたいなやつがいても、あんまり問題ないっていうか」
「いすぎて数えられない……てっとこね」
「いや、だいたい固定されてくるから……今は二、三人ってとこだな。でも、固定化してくるとさ、その……いろいろあって」
「いろいろ……」
真人は顎を上げて兄を見つめる。優位に立てたような気になってもおかしくないはずなのに、ちっとも嬉しくなかった。だいたい、優位ってなんだ?
「その、あれだ、本気にされるっていうか……。でもこっちから好きになることはできないから……悪いけど、そういう相手とは会わないようにするしかなくて」
亮治の部屋の前で会った大学生くらいの男も、そのアプリで出会った相手なのだろう。サバサバしていて、後腐れのない関係であることは、真人も一目見てわかった。
実家に来た男も、はじめは割り切った関係だったに違いない。しかし、いつからか男は、亮治に想いを寄せるようになってしまった。亮治を独り占めしたい、亮治の体だけではなく心もほしい――と。
真人は実家でスマホにすがりつきながら涙を流すその男を見たわけではないし、ましてやどんな顔と性格の男なのかも知らない。
だが、男がどれだけ切羽詰まった想いで亮治の行方を訪ねてきたのかは、なんとなくわかるような気がした。わかってしまう自分が、少し怖かった。
「男を好きになれれば、どれだけいいか」亮治は虚しい笑みを浮かべた。
真人は「可哀想だね」と乾いた声で言った。
「そうだな……向こうには可哀想なことをしてると思う。でも――」
「違うよ。僕が言ったのはその人のことじゃない」
亮治のことを好きになってしまい、受け入れてもらえなかったゲイの男。その人だって、もちろん可哀想だ。体は同性愛者だが心は異性愛者の男に恋をするなんて、不毛すぎる。可哀想で、どうしようもなくバカで――。
だけど。
「だれのこと言って――」
亮治の問いに、真人はきっぱりと言った。
「兄さんだよ。僕からしたら、兄さんが……亮治が一番可哀想だ」
亮治、と兄の名前を声に出したら、後はもう止まらなかった。
「なんで自覚しないの。なんで自分が一番可哀想で惨めで、最低だってわからないんだよ……っ」
真人は亮治の性癖を知って以来、亮治のことを哀れんでいる。愛した女性を喜ばせることができず、男の体に惹かれてしまう愚かでどうしようもない男だと。
だけど本当は、亮治に対してこんな風に思いたくなんかなかったのだ。弱った姿なんか似合わない兄でいてほしかった。
亮治は優しい。きっとちぐはぐな自分の心と体に戸惑うより、矛盾だらけの自分の犠牲になる相手に対して、苦しんでいるのだろう。自責の念に、押しつぶされそうになっているのだろう。
自分に手を出したことは、たとえ真人が許しても、その行為自体が許されることではない。糾弾しても平然としてくれれば、真人だっていくらでも責めることができたのに。
亮治はこんなにも、いつもの亮治のままだった。いつもの亮治を残しつつ、弱さだけを滲ませる。こんな弱さを抱えた男だったなんて、知りたくなかった。
でも、もう知ってしまったのだ。
真人はたまらず亮治のスーツに手を伸ばした。襟元を両手で掴んで揺する。されるがままの亮治の頭が、ガンガンと壁に打ち付けられる。
「いつからなんだよ。いつから『こう』なっちゃったんだよ。馬鹿野郎……っ、亮治の大馬鹿野郎! 返してよ! 僕の……お、にい、ちゃ……っ」
亮治の胸元に顔をうずめると、涙が溢れて止まらなかった。
「うぅ……っ」
なんでこんなに苦しいのかも、つらいのかも、わからない。どうして亮治が可哀想だと思うことが、こんなにも自分の胸を締め付けるのかも……。
「なんでおまえが、俺のために泣くんだよ」と、亮治の優しい声と手のひらが、頭に乗せられる。
――亮治が、苦しんでるからだよ。
そう言おうとして顔を上げた瞬間、真人の目に、知らない男の顔が映った。それは兄であり、兄ではなかった。亮治であり、亮治でもない。
相手の気持ちを推し量るのに長け、何かを諦めたことのある、影をにじませた大人の男――。
思いがけない言葉が、真人の口を衝いた。
「僕で、いいんじゃないの」
当然、亮治は意味がわからないというように「なに言ってんだ」と顔をしかめる。真人自身も、こんなことを言う自分に内心かなり驚いていた。
でも、言ってから悪くない思いつきだと思い直した。これはある種の仕返しになるのではないか、と。やりたくもない弟の役を二十年間演じ続けていた自分を裏切った兄への――。
そして、亮治の犠牲になる人を少しでも減らせるのでは……と。
自分だってゲイではない。何より兄弟としての歴史がありつつ、血の繋がった兄弟ではないのだ。割り切ることができる……。
真人は震える手で亮治のネクタイを自分側に引き、もう一度はっきりと言ってやった。
「僕で、いいんじゃないの。どうせ似た男を探すくらいなら」
親戚一同が集《つど》う従妹の結婚式。幸福が集められた式場の片隅で、今日、真人は亮治の弟である自分を半分だけ、捨てた。
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