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真人⑩
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真人の実の父親が亡くなったのは、真人が小学校に上がる直前のことだった。何の前触れもなく、突然朝の通勤電車の中で心臓を押さえて苦しみだし、そのまま亡くなったそうだ。突然死だった。
真人は当時のことを、断片的にしか覚えていない。ただ、今まで当たり前のようにいた人が急にいなくなったという現実に、呆然としていたのだと思う。
自宅の後飾 り祭壇の前に座る母の憔悴した背中だけは、今でも脳裏に焼き付いている。
消えてしまいそうな母の姿。それを見て、真人は子どもながらに思ったのだ。
――お母さんを、守らなくちゃ。
誕生日を何回も迎えていけば、自然と体も大きくなる。お母さんを、守ることができる。当時の真人は、自分の体がどんな風に成長するのかなんて、想像もしていなかった。屈強とはいわずとも、死んだ父のようにある程度骨格のしっかりした大人の男になると、信じて疑わなかったからだ。
だから、まさか自分が『守られる対象』になるだなんて、思ってもみなかった。
亮治との初対面は、亮治が十歳、真人が八歳の時である。場所は都内高級デパート上階にある洋食レストランだった。
真人の母も亮治の父も、子ども同士うまくやれるか、不安だったに違いない。いつもなら「塩気が強いから」という理由で控えていた外食で、母は真人にハンバーグを食べさせてくれた。おまけにデザートにはプリンまで頼んでくれた。
今思えば、若い子持ちの男女は、知人の紹介で出会ってすぐに、結婚を意識していたのだ。大人二人の緊張感は、小さかった真人の肌にもひしひしと伝わってきた。
亮治といえば、そんな大人達の空気を一蹴するかのように、学校であった出来事や友達のこと、所属する少年サッカーチームの話を、真人に話して聞かせた。
出会って瞬時に、真人は話すより聞くほうが得意なタイプだと、理解したらしい。時折大人達も冗談を交えて笑わせながら、場を盛り上げることに徹していた。
当時はなんとも思わなかったけれど、真人はある程度成長した中学生の時、まだ十歳だった亮治のその高すぎるコミュニケーション能力に疑問を覚えたことがある。
真人が「どこで覚えたの? あのコミュ力」と訊くと、亮治はうーんと腕を組んであいまいに答えた。
「家庭内不和の賜物 ……的な?」
亮治の実母が不安定な精神状態のうえ、男をつくって逃げたと父・武志から聞かされたのは、それから七年後の真人が成人式を迎えた年のことである。
デパートの上階レストランで未来の兄との初対面を済ませた真人が、デザートのプリンを食べている時だった。高級感のある味に慣れず、プッチンプリンのほうがいいなあ、なんて思いながら食べていると、亮治に「食べ終わったら屋上いこうぜ」と誘われた。
そのデパートの屋上には、遊具や簡易なアスレチックが併設されていた。亮治はそれを知っていて、真人を誘ったのだ。
本当は行きたくなんてなかった。けれど、ここで誘いを断れば母が悲しむことになるのでは、と幼心に真人は漠然と思った。そういうわけで、亮治の誘いに乗ったのである。
二人で向かった屋上遊園は、幼児から小学生中学年までが楽しめるアスレチックが多かった。亮治はアスレチックの一つであるジャングルジムへ真っ先に駆けていくと、すいすいと登りはじめた。
亮治に続き、真人も年齢のわりに小さな体を動かして追いかける。
真人は小学校でも、友達は多くはない方だった。ましてや亮治のようなアクティブな年上の男の子なんて、身近にはもっといない。
真人は太陽の逆光で影のようになった亮治の後ろ姿を追いかけながら、子ども心に悟ったのだ。
お母さんを守れるのはぼくじゃなくて、このおにいちゃんと、おにいちゃんのお父さんなんだ――と。
汗のにじんだ手でジャングルジムの鉄棒を掴んだ、その時だった。
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