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真人⑩
真人が鉄棒に足をかけると、そこには斜め横から登ってきた少年の手があった。気づかなかったため少し踏んでしまい、「あっ、ごめん――」と言った時には遅かった。真人は足と手を同時に滑らせ、ジャングルジムの中腹から地面に落ちてしまったのだ。
運動神経がよくないので、大々的に受け身に失敗する。真人は尻もちをついて、両方の手のひらも擦りむいてしまった。
「大丈夫か!」と急いでジャングルジムのてっぺんから亮治が降りてくる。そこそこ痛かったけど「大丈夫」と答えると、亮治はホッとしたように大息をついた。
真人が落下するきっかけになった少年は、亮治と同じくらいの年頃だった。少年は自分の身に何が起きたかわからないというように、啞然としていた。さいわい、真人が踏んだ手に目立った傷はない。
おいあやまれよ、と亮治が詰め寄ると、少年はハッと我に返り、「そ、そっちが先におれの手を踏んだんだろ」と言い返してきた。真人が謝ろうとすると、亮治は「見えてたくせに、足をかけるとこに手を置いたおまえのほうがわるい!」と、大人顔負けの理由を持ち出してさらに言い返した。
亮治の気迫にひるんだらしく、少年は真人を指差して叫んだ。
「お、おれだってこいつのせいで手ケガしたんだ! そっちが先にあやまれよ!」
だが亮治は、血のにじんだ真人の手のひらを自分のシャツの裾で押さえながら、負けずに声を荒げたのだった。
「そんなのケガじゃねーっ! いいからはやくおれの弟にあやまれバカヤローッ!」
おとうと。
それは真人の耳に、やけに残る音とリズムだった。悪くないけどむずがゆいような……ただ、真人は亮治の口から出た『弟』という言葉を聞いて、その時気がついたのだ。
このおにいちゃんとおにいちゃんのお父さんに守られるのは、お母さんだけじゃない。僕もなんだ、と。
少年は、亮治の勢いと正論なのか屁理屈なのかわからない主張に、言い返せなくなったようだった。最後は半ば半泣きで、ジャングルジムから逃げていった。
今考えると、足元に注意を払わなかった自分にも非があった。だが、亮治はそんなことを幼い真人に感じさせないくらい、この日初めて出会った真人の味方になってくれたのである。
二年後には、亮治の父と真人の母は再婚し、亮治と真人は法律的に兄弟になった。
母の再婚には賛成だった。新しい父となった武志も、豪快で優しくて、真人の気に入った。予想外だったが、守られる対象になるのも嫌じゃなかった。
だけど。
それからも、真人は亮治から『弟』を強調されるたびに、心の中で亮治を兄だとは思えなくなっていく自分に戸惑った。
本当の兄弟なんかじゃないのに。亮治がそう思いたいだけなのに。
そんな風に白々しくなる自分が、わからなかった。わからなくなればなるほど、ジャングルジムを容易く登ってしまう亮治の姿が、昨日のことのように目の裏に浮かぶ。
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