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真人⑫

「興味ないのにずっと一緒にいれるなんて……こんなにうらやましいことって、ない」 「そんな、ずっとだなんて。一緒に暮らしているわけでもないし」 「藤峰君は本当に昔から変わってないな。君はおれのことを忘れてるだろうけど、おれは覚えてる。亮治さんの弟だったからね。だから君は、一緒にいたって心が離れていたら意味がないってことを知らないんだ」  溝口は涙目になりながら、訴えてくる。そこでようやく、真人は頭の片隅でずっと気になっていたことを聞く勇気がもてた。 「失礼ですけど、兄となにがあったのか訊いてもいいですか?」 「……そうだよね。おれ、なにも言ってなかったもんね。でも、あまりにもどこにでもある話だから、言ってもしょうがないかなって」  溝口は続ける。 「まあ、あれだよ。中学の時から憧れてた先輩と出会いアプリで再会して、何回かご飯食べてそれ以上のこともして……それで、おれが勝手に好きになっちゃったって、それだけの話だよ」 「付き合ってた、ということですか」  真人が言うと、溝口の涙を湛えたまつ毛からポタリと涙が一筋落ちた。 「おれが割り切れたら、よかったんだけど……」  溝口はそれ以降の言葉を続けなかった。こんなことを真人に言ってもしょうがない。そう頭ではわかっているはずなのに、弟としてでも側にいられる真人のことが羨ましくて羨ましくてしょうがないようだった。  だから、言わずにはいられないのだ。 「亮治さんは……いや、これで最後にするから、亮治って呼んでもいいかな」  ダメです、なんて言えるわけがなかった。 「……ご自由にどうぞ」  ありがとう、と言うと、溝口は下唇を噛みながら、感情的になりそうな声を振り絞った。 「おれ、前からずっと思ってたんだ。亮治って男の体に興奮するくせに、心はノンケでしょ。だから、亮治とうまくやっていける人なんて、一種類の人間だけなんじゃないかって」  ノンケという言葉が一瞬わからなかったが、すぐに異性愛者のことだと真人は理解する。 「一種類、ですか」 「亮治のセフレに、悠一《ゆういち》っていう大学生の男の子がいてね。おれや亮治に、平気で3Pしようとか言ってくるような子なんだけど……その子は亮治のことを全然好きじゃないんだ。見てて気持ちいいくらいに奔放で……亮治も楽そうだった。ああいう子が、亮治には合うんだろうなって」  真人は無意識に聞き入っていた。 「でも、そんな相手って、楽だけどうまくやってるとは言えないよね。些細なことで喧嘩するし、くだらないことで別れられる。亮治が悠一と今も会ってるのか、わかんないし」 「それじゃ、いったいどういう人間が兄には合うと?」 「……それはね、好きで好きでたまらないくせに、亮治のことを心底諦めてる人間だよ」 「……」 「おれは亮治のことが好きで好きでたまらなかった。いつのまにか、おれだけを見てほしくなっちゃった。男のおれなんて、端《はな》から恋愛対象じゃないのに……でもしょうがないじゃん。抱いてくれるたびに、おれのことも好きになってほしいって……っ。そう思うに決まってるじゃんか……っ」  そう言って、溝口は両目を覆った。指の隙間から漏れる涙が、痛々しかった。  満席に近かった店内も、気づけば隣や後ろに前にいた客は消え、ガランと静かになっていた。陽気で温かみのあるジャズが、遠くで聞こえる。人が減ったせいか、少し肌寒く感じる。真人は手首からスーツの下にわずかに手を入れてさすった。  どう声をかけていいのか、わからなかった。  言葉を失っていると、溝口は少しだけ顔から手を離して、焦点の合わない目を真人に向けてくる。はじめ見た時の穏やかな表情は消え、あるのは愛情と憎しみに歪んだ男の顔だけーー。  乾いた唇からは、悪意も何もない、事実だけを告げる淡々とした男の声が響いた。 「これが、君のお兄さんなんだよ」  

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