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真人⑬
***
中学校のクラス会から一週間が経った。この一週間は雨が降ったりやんだりしていた。秋だというのに初夏みたいな気温に逆戻りした日もあり、気候の安定しない週だった。
真人の隣のデスクに座る綿貫も、どんな服を着ればいいのか迷っているらしい。
「だって季節的に考えて、今は秋じゃないですか。だからやっぱり気持ちはもう秋なんですよね。でも実際の気温は夏っぽいから夏服を着なきゃならなくて。あーあ、テンション下がる~」
と、給湯室で愚痴っていたものである。
真人とといえば、気候の変動ではなく別のことで、気持ちを沈ませていた。そう。それはクラス会の後、溝口という男から亮治のことを聞かされたあの時のことである。
溝口の口から飛び出てくる亮治という人間。真人は後になってから、ひどくショックを受けた。
亮治のアパートの前で、情事後の亮治と相手の男を見たことがある。だが、溝口一人との対面はその時よりもはるかに真人に衝撃を与え、そして胸を痛めつけた。溝口に同情したわけではない。嫉妬したわけでもない。
ただ、亮治に本気で恋をした人間があんなふうになることが、心底怖かった。亮治の元妻である由希子でさえ、きっとああはなっていないだろう。
カフェから出て別れる時、溝口は言った。
「おれは、あの人がだれかに溺れて振り回されて……不幸になればいいと、心の底から思ってる」
溝口のことを考えると、真人は焦点が合わなくなる自分の視界に戸惑うのだった。
終業時刻になり、駅に向かって歩いていると、スマホに着信があった。鞄から取り出して見ると、画面に表示されていたのは牧野の名前だった。
亮治の高校時代からの友人であり、現在は真人の主治医でもある。真人が世話になる時期はだいたい決まっているし、向こうから連絡がかかってくることも稀だ。
はい、と電話に出ると、物珍しげな牧野の第一声が聞こえた。
『真人くん? 亮治、入院したんだって?』
は? 入院?
『さっき真人君たちのご両親から連絡があったんだ。職場の会議中に、倒れたらしいね』
「倒れた……?」
『ああ、胃を押さえていたらしいね。僕は聞いただけだから、なんとも言えないが……って、もしかして真人君、知らないのかい?』
真人の反応から察したのか、牧野の声音が変わった。
「いつの話ですか。亮治が倒れたっていうのは」
『二日前のことだ。とっくに真人君は亮治の顔を見に行ってるとばかり思っていたんだが』
顔を見に行くどころか、そもそも知らされていなかったのだ。初耳だ。
だが、 真人の頭に浮かんだ疑問はたった一つだけだった。
「それで、亮治の様子はどうなんですか?」
『胃潰瘍だって、君らのお母さんから聞いてるよ』
「胃潰瘍……」
『まあ、今の亮治に必要なことは絶食と休息だけだな。命に関わるものでもなんでもない。ただ、あの亮治が体調を崩すなんてめったにないことだから僕も驚いてる』
たしかに亮治は、めったに風邪も引かないような子どもだった。一方で真人はすぐに体調を崩していたものである。特に嫌なことがあったり緊張にさらされると、頭では冷静に対処しているつもりなのに、すぐに腹痛や頭痛に苛まれるのだ。
外部からの刺激に左右されない亮治の体が、ずっと真人には羨ましく見えた。
そんな亮治が倒れたという。心配しないわけがなかった。
それから亮治の入院している病院を牧野から聞き出した真人は、足の向かう方向を変えた。たまたま面会時間の長い病院に運びこまれたのが、不幸中の幸いである。
病院の最寄駅に電車が到着し、ドアが開いた時、真人の脚はいつの間にか走り出していた。牧野は大丈夫だと言った。だが、顔を見るまでは不安と心配は払拭されない。
この不安を抱えたままでは、自分はまた、体調を崩す。だがその痛みは、亮治の顔を見た後も残るような気がしてならないのだった。
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