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真人⑭

 ようやく亮治が、薄目を開けた。しばしばと睨みつけるような目。悪人顔にならないところが、亮治の顔の造形が整っていることを表している。 「まき、の……?」 「いつまで寝てるんだ、このバカ。心配したじゃないか」 「ん……すまん」  亮治はむくんで開けにくそうな目をこすり、声をしわがらせて言った。  まったく心配なんてしていないのかと思っていたが、牧野は牧野なりに亮治を心配していたようである。真人に接するような口調からは想像もつかないような強さではあるが、声のトーンにはたしかに本気で心配していなければ出せないような真剣さを感じた。  亮治がふとこちらを見る。ドキッとして顔を背けると、亮治も何も言わなかった。どうして自分がいるのかと、怒られるとばかり思っていた。だが亮治は、気にしないことで真人の存在を消したのだった。  ショックだった。「なんで来たんだよ」――それくらいの言葉は、もらえると思っていたから。  亮治が牧野に生活習慣について延々と怒られているのを、ひとり蚊帳《かや》の外から眺める。真人はどうしてか、自分がその場にいる意味がわからなくなった。  やがて遅れてやってきた父も交えると、亮治の病室はあっという間に賑やかになった。思いのほか、亮治の体調は悪そうに見えず、真人は拍子抜けしたほどだ。  牧野に怒られている亮治を見つめながら、父も母も笑っている。これが本当の亮治とでもいうように。  冷めた目で自分以外の四人を見ていると、真人は次第に、亮治がおかしかったのは全部自分のせいなんじゃないかと思えてきた。そうじゃないのに。亮治の結果は、すべて亮治が原因なのに……。  居心地が悪くなり、真人がそろそろ帰ろうとした、その時だった。牧野の提案に、真人の背中には衝撃が走った。 「亮治、おまえはいい加減、僕と一緒に住んだほうがいい」  真人はバッと顔を上げた。  今、牧野はなんて言った? 一緒に住む?  でも……と後頭部を搔いて渋る亮治に、牧野は畳みかける。 「慰謝料もまだ払い終わってないんだろう。さいわい僕の家は分譲だ。家賃も払わなくていい。早く払い終わらせて、負担を減らせ」  これにいち早く反応を示したのは、父の武志だった。 「どういうことだ、亮治。慰謝料はとっくに払い終わったんじゃないのか」  亮治は眉をひそめて、牧野を睨む。余計なことを言うな、とその目が訴えている。  だが牧野のことだ。わざと亮治の家族の前で事実を口にしたのだと、真人は思った。  あらゆることを一人で抱えこみ、体調を崩してしまう亮治のストレスを減らすために――。  慰謝料を払い終えていないことは、真人も知らなかった。どれだけ払うつもりなのかはわからないが、家賃の分が減れば亮治の経済的負担はたしかに減るだろう。  亮治はあきれたように首を横に振って牧野に言った。 「おまえと一緒に住むなんて無理だって。前から言ってんだろ。だいたい、金が原因で倒れたわけじゃ……」 「だったら自分の体調くらいしっかり管理しろ。まわりの人間の肝を冷やすな」  これには亮治もさすがに反省したようである。少しの間のあと、「……すまん」と落胆した声で言った。 「お兄ちゃん、うちに戻ってくる気はない?」  暗い雰囲気の中、母が場を明るくさせるように両手をパチンと叩いた。いい提案だとでもいうように。 「ずっと住んでた家なら、気心も知れてるでしょう。家賃だけじゃなくて食事の心配だってする必要もないのよ。ちゃんと休めると思うわ」  だが亮治が反応する前に、父は難色を示した。「私は反対だな」と言いながら腕を組む姿には、迫力がある。口には出さないけれど、またいつ溝口のような男が現れるとも限らない。父の形相からは、そんな亮治への不信感がひしひしと感じ取れた。 「……母さんも牧野も、ありがとな」  亮治はベッドの上で、ふっと笑った。 「父さんが反対するのもわかる。ぜんぶ俺のせいだから……大丈夫、次はもっとうまくやるよ」  亮治の言葉に、思わず真人は口を挟んだ。「うまくやるってなにを?」  その場にいた全員の視線が、窓際で一連の流れを見ていた真人に降り注ぐ。 「……」  亮治だけが、すぐに目を逸らした。  たしかに真人も、今の亮治を一人にしておくのは得策ではないような気がする。慰謝料のことか、性癖のことか、それとも弟に手を出したことか……亮治のストレスになりうるものは思い当たる節が多すぎる。  食事や睡眠をおろそかにしてしまうほど、本来の亮治は参っているのだ。そして、ストレスに晒されるほどに男の体を求めてしまう――。  なんて厄介な男だろう。誰かが見ていないと、いつか取り返しのつかないことだって起こすかもしれない。  真人はベッドに近づいて、亮治を見下ろした。 「僕の部屋に住めばいいよ。その方が都合いいんじゃないの。兄さんも」

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