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真人⑯
真人はゴクッと唾を飲みこみ、体をさらに硬くさせた。
「ご、ごめん……」
自分の口から出てきた謝罪の言葉に、真人は耳を疑った。こんなにも亮治に弱気になる自分が、初めてだったからだ。
「おまえ、わかってないよ。全然、俺のことわかってない。わかってないなら……わかるつもりがないなら、放っておいてくれよ!」
亮治は叫んで、スマホをシーツの上に投げつけた。
「俺がなんで苦しいのか……おまえは、本当は興味なんてないんだよ」
ショックだった。その苦しみが取り除ければどれだけいいか。そう思っていたことは事実だからだ。
だが、そんなことさえ言えない。少し前までは、強気でいられた。藤峰亮治という血の繋がらない兄を、捨てる覚悟さえあった。それがどうしたことだろう。
今の自分は、こんなにも弱い。
「興味、ある……ていうか、心配してる。苦しそうにしてる亮治を見るのはやっぱり――」
「亮治って呼ぶんじゃねえっ!」
ビクッと肩が震える。真人は顎を下げた。こんな時でも、『兄さん』と呼んでほしいのか。そう思うと、目の前にいる男に対し、ひどく失望した。
でも、真人は初めて知った。失望というものが、胸に灯った感情に甘美な蜜を与えるということに……。
真人はまたしても、この台詞しか言うことができなかった。
「……ごめん」
「信じてもらえないかもしれないけど、俺はな、俺は……自分のことを好きになってくれる人を、心と体の両方で愛したい……。でも、できない。それが……つらい」
そう言ってむせび泣く亮治の肩は、大きいのに小さく見える。
可哀想な亮治。哀れな亮治。子どもの頃、ずっと他人のように感じていたのは、自分の心を誤魔化すためだったのかもしれない。まぶしすぎて、大好きで……決して手に入らないから。
子どもだった頃の自分に訊かないと、わからないけれど。
――それじゃ、いったいどういう人間が兄には合うと?
亮治のセフレだった溝口。その関係性に満足できなくて、亮治の愛を求めてしまった彼は、真人の質問になんて答えた?
――……それはね、好きで好きでたまらないくせに、亮治のことを心底諦めてる人間だよ。
真人はいい歳して自己嫌悪に泣く男の背中に、こつんと額をくっつけた。背骨が額にあたり、ちょっと痛い。だが、きっと亮治の方が痛かったはずだ。背骨は固いくせに、なぜか何かに当たると、すごく痛いから。
拒否されなかったので、真人は腕を前に回してみる。チュッとシャツの隙間から唇を這わせて肩肌にキスを落とすと、亮治の体がピクッと反応した。
「な……っ、おいなにやって――」
こちらを振り向いた亮治の唇にキスをする。誘うように下唇を食 み、唾液を塗りつけるように舐めると、亮治は少しだけおとなしくなる。
「待て、まこ、と……ん、ふ……っ」
舌を相手の口内に侵入させると、亮治の手が真人の背中を這い始めた。
だが、一瞬冷静になったのか、亮治はハッとなって真人から手を引く。そんな亮治の手をはだけたパジャマと肌の間に招いて、真人は言った。
「いいんだ」
と。
「いいっておまえ……っ」
「いいんだって」
濡れた声を亮治の耳元に吹きかける。すると、亮治のゴクッと唾を飲みこむ音が喉で鳴った。
以前、従妹の結婚式で「僕でいいんじゃないの」と言って、亮治を煽ったことがある。あの時は言った後、すぐに後悔した。何をバカなことを、と。セックスの真似事もして、キスもした。思いのほか相手を尊重した愛撫に、真人は不覚にもイッてしまったが……。
だが今は。
本気で受け止めようと思った。亮治の欲望を。そして苦しみを。全部とは言わない。全部なんて言ってしまったら、きっと溝口みたいになってしまう。亮治に求めて、自分だけが傷ついてるように亮治を当たり散らして――。亮治だって傷ついていることも忘れて。
だから、半分。
半分だけ、亮治の痛みと苦しみを本気で受け止めよう。それが、亮治を諦めている人間ができる唯一のことだと思うから……。
真人は自らズボンを脱ぎ、亮治の上にまたがった。驚きと欲情に光らせた鋭い目が、下から真人を射抜く。
リモコンで頭上で光る電気を消す前、最後に聞こえた亮治の声は震えていた。
「なんでおまえ、そんなに優しいの」
もちろん、答えなかった。
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