43 / 87

真人⑲

 だが、今夜は違った。亮治はいくら待っても、真人のベッドから降りようとはしなかった。 「寝たいんじゃないの」  真人がそう言うと、亮治は「いや」と言って額に左腕を乗せた。 「寝たいけど……動くのがちょっとな」 「まあ、ほぼ毎日だからね」  そう。真人と亮治は、亮治が飲み会で潰れて帰ってきた日を除いて、毎晩のようにセックスをしている。亮治はセックス依存症ではないというが、並以上の精力がなければ毎晩はできないと思う。  そんな亮治に付き合ってしまう自分も自分なのだけれど。  真人は床に落ちているパジャマを拾って着ながら、ベッドから降りた。 「どこ行くんだよ」 「僕が向こうで寝るよ」  すると亮治は不思議そうに「なんで?」と首を傾げた。予想外の反応に、真人も一瞬戸惑う。 「なんでって……その方が、兄さんもいいでしょ。そのベッド、二人じゃきついし」 「ふっ、今さら」  亮治は力なく笑うと、こっちこっちというように左手を上げた。 「で、でも……」 「久々に一緒に寝ようぜ」 「久々にって……子どもの頃だって、べつに一緒に寝てたわけじゃないけど」 「そうだっけか? じゃあ、初か」  珍しく兄の顔をしている亮治の傍に行き、「ものすごくただれたことした後だけどね」と、真人も弟らしく返した。亮治が久しぶりに笑ったから、真人もつられて思わず笑顔になる。  その瞬間、グイッと手首を掴まれ、真人は亮治の腕の中にすっぽりと収まった。  亮治の腕の中は、温かくて優しくて……思いっきり顔を埋めたくなる。チクッとした痛みを感じていると、亮治が「よかった」とつぶやいた。 「おまえさ、俺が外で男と……トラブル起こさないように、その……寝てくれてるだろ」 「……そうだね」 「ありがとな。正直こんなに効果てきめんだとは、俺も思わなかった」 「……」 「だけど、おまえのことはやっぱり心配だった。ゲイでもないし、俺みたいなちぐはぐなやつでもないだろ。だから、苦しんでるんじゃないかって……でも、おまえがそうやって笑えるってことは、そんなに傷ついてないんじゃないかって……」  なんて短絡的な男だ、と真人は思う。傷ついていない人間しか、笑えないとでも思っているのだろうか。  何もわかってない、と真人の心に影が差す。だが、もちろんそんなことは言わない。 「女性でもないし、傷つくわけないでしょ。性犯罪者になられたり、病気もらってこられたりする方が面倒だし」 「はは……散々な言い方だなぁ」 「こんなことで兄さんが安定するなら、安いもんだよ」  真人がそう言うと、真人の体を抱く亮治の腕に力がこもった。 「安くねえよ」 「は?」 「真人の体は、安くない」 「……っ」  愛されているような錯覚。いや、亮治は真人のことを、愛してくれているのだ。一人の人間として。弟として……。  真人はぐっと口を押さえた。そうしないと、嬉しさのあまり口から心臓が飛び出てしまうと思ったからだ。 「嫌になったら、すぐに言ってくれな。あと、おまえに彼女ができても」 「……僕がモテないって、知ってるでしょ」 「はは。そりゃ女の見る目がない」  本当に、今夜の亮治はどうしたのだろう。どうして嬉しい言葉ばかりを、くれるのだろう。兄の顔をしながら――。  嬉しいのに、胸が苦しかった。真人は眠気にウトウトしているふりをして、亮治の厚い胸元に鼻先をくっつけた。ボディソープと汗の混じった匂いが、こそばゆい。  当時、亮治の関節の外れやすさは、ある日、唐突に治った。あれは確か、大学の卒業式の日。友人たちと肩を組んで記念写真を撮ったという亮治はその夜、「あれ? なんか今日、一回も肩外れてねえわ」と言って、左肩をブンブンと回していた。  そんな風に、こんな関係も唐突に終わるような気がしてならない。  だがその日まで、こうしていよう。好きで好きでたまんないくせに、諦めよう。亮治のことを。  シングルベッドの上。真人は亮治の胸に抱かれながら、その夜、浅い眠りの中をさまよった。

ともだちにシェアしよう!