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真人⑲
だが、今夜は違った。亮治はいくら待っても、真人のベッドから降りようとはしなかった。
「寝たいんじゃないの」
真人がそう言うと、亮治は「いや」と言って額に左腕を乗せた。
「寝たいけど……動くのがちょっとな」
「まあ、ほぼ毎日だからね」
そう。真人と亮治は、亮治が飲み会で潰れて帰ってきた日を除いて、毎晩のようにセックスをしている。亮治はセックス依存症ではないというが、並以上の精力がなければ毎晩はできないと思う。
そんな亮治に付き合ってしまう自分も自分なのだけれど。
真人は床に落ちているパジャマを拾って着ながら、ベッドから降りた。
「どこ行くんだよ」
「僕が向こうで寝るよ」
すると亮治は不思議そうに「なんで?」と首を傾げた。予想外の反応に、真人も一瞬戸惑う。
「なんでって……その方が、兄さんもいいでしょ。そのベッド、二人じゃきついし」
「ふっ、今さら」
亮治は力なく笑うと、こっちこっちというように左手を上げた。
「で、でも……」
「久々に一緒に寝ようぜ」
「久々にって……子どもの頃だって、べつに一緒に寝てたわけじゃないけど」
「そうだっけか? じゃあ、初か」
珍しく兄の顔をしている亮治の傍に行き、「ものすごくただれたことした後だけどね」と、真人も弟らしく返した。亮治が久しぶりに笑ったから、真人もつられて思わず笑顔になる。
その瞬間、グイッと手首を掴まれ、真人は亮治の腕の中にすっぽりと収まった。
亮治の腕の中は、温かくて優しくて……思いっきり顔を埋めたくなる。チクッとした痛みを感じていると、亮治が「よかった」とつぶやいた。
「おまえさ、俺が外で男と……トラブル起こさないように、その……寝てくれてるだろ」
「……そうだね」
「ありがとな。正直こんなに効果てきめんだとは、俺も思わなかった」
「……」
「だけど、おまえのことはやっぱり心配だった。ゲイでもないし、俺みたいなちぐはぐなやつでもないだろ。だから、苦しんでるんじゃないかって……でも、おまえがそうやって笑えるってことは、そんなに傷ついてないんじゃないかって……」
なんて短絡的な男だ、と真人は思う。傷ついていない人間しか、笑えないとでも思っているのだろうか。
何もわかってない、と真人の心に影が差す。だが、もちろんそんなことは言わない。
「女性でもないし、傷つくわけないでしょ。性犯罪者になられたり、病気もらってこられたりする方が面倒だし」
「はは……散々な言い方だなぁ」
「こんなことで兄さんが安定するなら、安いもんだよ」
真人がそう言うと、真人の体を抱く亮治の腕に力がこもった。
「安くねえよ」
「は?」
「真人の体は、安くない」
「……っ」
愛されているような錯覚。いや、亮治は真人のことを、愛してくれているのだ。一人の人間として。弟として……。
真人はぐっと口を押さえた。そうしないと、嬉しさのあまり口から心臓が飛び出てしまうと思ったからだ。
「嫌になったら、すぐに言ってくれな。あと、おまえに彼女ができても」
「……僕がモテないって、知ってるでしょ」
「はは。そりゃ女の見る目がない」
本当に、今夜の亮治はどうしたのだろう。どうして嬉しい言葉ばかりを、くれるのだろう。兄の顔をしながら――。
嬉しいのに、胸が苦しかった。真人は眠気にウトウトしているふりをして、亮治の厚い胸元に鼻先をくっつけた。ボディソープと汗の混じった匂いが、こそばゆい。
当時、亮治の関節の外れやすさは、ある日、唐突に治った。あれは確か、大学の卒業式の日。友人たちと肩を組んで記念写真を撮ったという亮治はその夜、「あれ? なんか今日、一回も肩外れてねえわ」と言って、左肩をブンブンと回していた。
そんな風に、こんな関係も唐突に終わるような気がしてならない。
だがその日まで、こうしていよう。好きで好きでたまんないくせに、諦めよう。亮治のことを。
シングルベッドの上。真人は亮治の胸に抱かれながら、その夜、浅い眠りの中をさまよった。
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