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真人㉒

***  人はアルコールを摂取しない期間が長ければ長いほど、弱くなるものらしい。  久しぶりのワインは、一口飲んだだけですぐに真人の胃を熱くした。ここ最近はまったく飲んでいなかったことに加えて、そもそも酒自体があまり得意ではないのだ。特に苦手な酒といえば赤ワイン。  時間をかけて一杯飲んだところで眠気に襲われてしまった。亮治と牧野に横になった方がいいと促され、ソファで頭を押さえながら体を横倒すと、あっという間に眠りに落ちた。  目が覚めた時。ふとテレビの横にあるデジタル時計を見ると、十二時を回っていた。真人の記憶では、八時だったはずである。四時間も眠ってしまったことに驚いた。  ハッとテーブルの上を見ると、鍋や食器は片づけられ、亮治が突っ伏して眠っている。牧野は帰ったのだろうか……と思ったが、トイレの方から音がしたので、真人はあわてて体にかけられていた毛布をかぶり直した。  亮治に泊まっていけとでも言われたのだろう。リビングに戻ってきた牧野の髪は濡れている。肩にかけたフェイスタオルは、亮治のタオルだ。  牧野は自分で持ってきたペットボトルの水を喉を鳴らして飲むと、亮治の肩を揺らした。 「おい亮治、ベッドで寝ろよ」  亮治はうーん、と駄々をこねる子どものように突っ伏したままである。 「また体壊してもいいのか。うちに来ても面倒見ないぞ」  言葉は悪いが、亮治を起こそうとする牧野の手つきは優しい。  真人といえば、完全に起きるタイミングを逃してしまった。毛布を鼻までかぶって、探偵のように牧野の動向を観察する。  亮治の肩に手を置いた牧野に、ふと変な間があった。ドクッと心臓が嫌な音を立てる。  不安が、アルコールが回った頭を冷やしていくーー。  真人の不安は、的中した。  牧野の手が、肩から頭に移動したのである。髪の感触を確かめるみたいに、牧野は亮治の頭を撫でた。  それは友にするような手つきではなかった。少なくとも真人なら、寝ている友人の頭を撫でるようなことはしない。  牧野は真人に見られているとも知らず、ひと通り亮治の髪に触れたあと、今度はゆっくりと顔を亮治の顔に近づけた。  やめてくれ。  真人ははっきりと願った。だが願うだけでは、当然牧野の動きを止めることはできない。  気づけば毛布を剥ぎとり、真人はソファの上で上半身を起こしていた。 「……っ」  亮治から顔を離した牧野が、こちらを驚いた表情で見ている。牧野もまさか真人が起きているとは思わなかったのだろう。  『まずいところを見られてしまった』というよりは、『起きてたんだ』と言いたげである。  真人は毛布を両手でぎゅうっと握りしめた。 「……――さい」 「ごめん、なに?」  聞きとれなかった牧野のために、もう一度、今度はちゃんと聞こえるよう、真人は意を決して言った。 「やめてください」  言ってから牧野が反応を示すまで、どれくらいの時間が経っただろう。それくらい、やめてくれと言ってからの時間が、真人には長く感じられた。  牧野は「ふう」と短くため息をつくと、残ったワインを直接ボトルに口をつけてゴクッと飲んだ。ワイングラスが似合う男。それが真人の思う牧野という男である。  だから、そんなふうに豪快な飲み方をする牧野は珍しい。顏や声は同じなのに、まったく知らない人間のようだった。  牧野がワインボトルを持って、真人に近づいてくる。無意識に体が緊張する。それで殴られるなんて思っていないのに。  牧野は真人のいるソファの前に来ると、ゆっくりと床に腰を下ろして言った。 「すこし話そうか。僕と亮治のこと……それから君のこともね」  さすがの牧野も、酔わないと話せないのだろうか。平然としているようで、目の奥の焦点が完全には合っていないように見える。 「僕らが高二の時だったかな……てことは、真人君がまだ中三の頃だったと思うけど。新型のインフルエンザがすごく流行ったの、覚えてないかな?」  はあ、と真人は返事をする。もちろん覚えていた。真人の高校受験の年だったからだ。  旧型のワクチンを打った人も、新型のウイルスには太刀打ちできなかった。風邪なんてオリンピックと同じ周期でかかるかかからないかの亮治でさえ、見事にどこからかウイルスをもらってきて、一週間以上寝込んでいた。  世間でもかなり話題になったものだが、さいわい真人はウイルス対策を徹底していたので、その毒牙にかかることはなかった。  学級閉鎖では収まらず、学年閉鎖になったのも、二十年近くあった学生生活の中であの時だけである。  牧野の話が、どんな方向にいくのか見当もつかなかった。  そんな真人をよそに、牧野は淡々とした口調で続ける。 「その頃にはもう、なんとなく僕は亮治とつるんでいたんだ。うるさいやつだと思ってたけど」  亮治と牧野は、高校一年生の時、教室での席が前後だったらしい。それがきっかけで話すようになったのだと、真人もだいぶ前に聞いた。 「あの時は亮治もインフルエンザにかかった。体育の時間に倒れて……それから早退なんかして」  覚えているにも関わらず、真人は興味なさげに「そうでしたっけ」と答える。 「亮治を体育館から保健室に運んだのは、僕だった。熱がすごいから、その時は医者でもないのに怒ったよ。『さっさと帰れ』ってね。でも亮治のやつ、帰ろうとしなかったんだ。なぜだか、わかるかい?」  牧野が意味深な視線を向けてくる。

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