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亮治⑤
***
母の作るお雑煮は、いつもより味が濃かった。指摘しないでそのままお椀を傾けていると、母は「ちょっとしょっぱかったかしら」と亮治に訊いた。
「ん。うまいよ」
そう答えると、母はホッとしたように笑った。
正月。毎年、一日 に、藤峰家は家族四人でおせち料理とお雑煮を囲んで過ごすことになっている。結婚していた三年間は、この場に由希子もいたけれど、昨年からは四人に戻っていた。
今年も亮治と真人は、そろって実家に顔を出していた。リビングに入ってテーブルの上に広げられた豪華なおせち料理を見るたびに、いつも『ああ、一年経ったんだな』と実感する。そして去っていった一年を思って、次の一年に期待と不安を抱きつつ、お雑煮に入れる餅の数を母に伝えるのだ。
年々、餅の数が減っている。高校生の頃は最高で十個食べたのに、今では二個で腹がいっぱいだ。
二個入ったかつおだしのきいたお雑煮を食べながら、今年はどんな年になるだろうかと考える。隣にいる男をちらりと見て、亮治は小さなため息をつく。
ぴんと伸びた背筋に、細い首。こんな平凡な一般家庭で育ったにもかかわらず、真人のたたずまいには品がある。綺麗な男だと思う。
だが……亮治にはそれだけなのだ。欲を掻き立てられる体ではあるし、ずっと抱きたいと憧れてもいた。
けれど、弟である以上の感情は正直ない。どんな男より大切な存在であることに変わりはない。そんな自分の感情がゆえに、過信していたのかもしれない。
向こうも、こちらのことを『兄』としか思っていないのだと。それがどれだけ愚かで稚拙な考えだったか、知りもしないで。
あの夜のことを思い出すと、胸を突き刺すような罪悪感に支配される。
――おまえさ、俺のことを好きじゃないよな?
なんて訊き方をしてしまったんだろう。そんな無神経な自分に、真人はこう答えたのだ。
――そんなわけ、ないじゃない。
泣いていた。全然、隠せていなかった。真人は一筋の涙を流したあと、声にならない声をあげて、ベッドの上で嗚咽を洩らしていたのだ。亮治の前で。苦しそうに。
正確には……そんなわけ、あるのだろう。
愚鈍な自分でもわかった。真人は自分に、恋愛感情を抱いているのだと。
背中を丸めて泣く真人を前に、亮治は何もしてやれなかった。何も声をかけることができなかった。
どうすればいいかわからなくて……寝室から逃げてしまったのだ。そのあと、真人がどうやって一人で涙を止めたのか、亮治は知らない。
あの日以来、セックスはしていない。できるわけがなかった。
自分のことを好きな相手を、持て余した性欲をぶつけるために利用するほどの意気地が、亮治にはないのである。
虫のいい話だと、自分でも思う。だが、自分で思うだけでは、どこか現実味がないのもまた事実だった。
露呈した真人の想いが、セックスを除いて、目に見えて自分達のあいだを変えることはなかった。真人は朝食を作るし、八時前には家を出る。そして夕方の六時半にはスーパーの袋を引っさげて帰ってくる。
亮治と会話もするし、テレビを観て笑いもする。
本当に普通の……よくいえば、自分達のあいだにセックスがなかった頃のように、戻っていた。
ただ、変わったことも二つある。一つはセックスやふれあいが無くなったこと。そしてもう一つは――。
「七味いれる?」
真人の声に呼び戻され、亮治はハッと我に返った。ふと横を見ると、真人が目線を下にさげて、七味唐辛子の小さな瓶を亮治の前に置いた。
亮治は真人の伏し目がちな目を見て、「サンキュ」と言う。
やっぱり、今日も合わない。
あきらめて七味唐辛子の蓋をとり、亮治はお雑煮の上にそれを振った。
変わったこと。それは、真人と目が合わなくなったことだ。真人は本来、人の目を見て話す人間なのだ。それなのに、真人と目が合わない。
それがどんな意味をもつのか……亮治には正直わからなかった。まだ自分のことを好きなのか、逃げた自分に幻滅したのか。
どちらもありそうだと思うと同時に、まったくちがう理由なんじゃないかとも思えてくる。真人がわからなかった。
食事が終わり、居間で男三人、正月の特番を観ていた時のことだ。テーブルで年賀状の整理をしていた母が、「ちょっと来て」と真人だけを呼んだ。
母の傍に向かう真人を目で追いながら、会話に耳をそばだてる。
母は真人に一枚の年賀状を渡していた。聞こえてきた話によると、その年賀状を送ってきたのは母の二十年来の友人らしく、その人には真人と同い年の娘がいるとのことだった。年賀状に載せられた家族写真に写る一人の女性を差して、母は真人に言った。
「ね、一回だけでいいから会ってみない?」
ドキッとして、亮治は思わず真人を見た。真人は年賀状に視線を落として、淡々とした表情を崩さない。
考えているのだろう。「うーん」と言って、母に年賀状を返した。
断るようだ。亮治はホッとした。
え、なんで今、俺はホッとした?
そんな自分に驚いて、亮治は無意識のうちに口を手で覆う。そんな亮治に追い打ちをかけるように、真人は言った。
「うん。会ってみるよ」
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