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亮治⑨
「牧野はさ、なんで結婚しないんだ?」
「……」
「あんまりおまえの口から女の話、聞いたことないからさ」
ふと顔を上げて牧野を見る。牧野は脚を組み直して、「さあね」と言った。
「一人が気楽なんじゃないの?」
「ずいぶんと他人事だな」
「前はいろいろ考えた時期もあったさ。でも、結局そこに落ち着いた」
亮治は「ふーん」と相づちを打ち、二杯目のジンソーダをもらいに行った。戻ってくると、牧野が「どうして急にそんなことを訊いてきたんだ」と疑問を口にした。
「悪かったよ。気ィ悪くしたか?」
「べつに。ただ、急だなと思っただけだ」
「なんていうか真人がさ……いや、『真人に』って言った方がいいのかな」
「もったいぶらないで早く言え」
牧野の強めの態度に押され、亮治はゴクリと唾を飲んで口を開いた。
「いい感じの子が、いるらしくて……」
明るく言うつもりだったのに、思いのほか語尾が弱々しく震えてしまった。そんな自分の声に引っ張られ、亮治はうつむく。
「結婚……を考えてるのかわからないけど、前に結婚したいって言ってたから……」
牧野は信じられないというように、「真人君が?」と目を見開いた。
「俺が失敗したせいかな……はは、母さんが張り切っちゃってさ」
乾いた笑いは、牧野まで届かなかった。何かを考えるようにして、牧野は顎に指を添えている。
「し、紹介してくれないんだ。ひでえよな、はは……」
「真人君の性格を考えると、家族に紹介する時は結婚を決めた時じゃないかな」
牧野の指摘に、亮治の心臓がドクンとなる。牧野の言う通り、真人はそういう男だと妙に納得してしまったからだ。
「弟をとられるのは嫌か」
牧野の声に、亮治はグッと下唇を噛んだ。牧野はその仕草を肯定と受け取ったらしい。ふう、と大息をついて、ロックグラスの縁を親指でなぞった。それは長い話になる時や、何かを打ち明けたりする時に出る、牧野の癖だ。
「君らの家に遊びに行かせてもらった時だったかな。真人君と話したよ」
「話した……?」
「ああ。亮治がつぶれてる時に」
「話したって、俺のこと……か?」
まあね、と牧野はうなずいた。
「言っておくけど、真人君からは何も聞いてないよ。僕が勝手に気づいただけだ。というより、彼、嘘が相当苦手みたいだな」
「……っ」
「その様子だと、本人にもバレたというところかな」
亮治を見て、牧野はぽつりと言った。
「それじゃあどうして、真人は結婚なんて……っ」
「しょうがないだろう。おまえを好きになったところで、望みなんてないんだから」
「……っまたそれかよ」
亮治は肘をテーブルにつき、ガシガシと頭を掻いた。
『望んでいない』
『望まないでほしい』
『望みがない』
自分のまわりには、一体いくつの望みが捨てられているのだろう。どれほど諦められてきたのだろうか……。考えるだけで、自分という存在が嫌になってくる。
二杯目のジンソーダに口をつけるのも忘れ、亮治は煙草を取りだした。口にくわえた煙草に火をつけ、何度か吸っては吐く。
今度は亮治の一連の流れを見ていた牧野が、目を丸くして「まさか」と漏らした。
「おまえも真人君を……?」
牧野は驚いたように口に手を覆う。
「僕はおまえのことを、てっきり異性にはノンセクシャル、同性にはアロマンティックだと思っていたから……」
「ノンセクシャル? アロマ……ティック?」
「ノンセクシャルは、人に恋愛感情をもつことはできるが、性的欲求を感じないもしくは性的なことを嫌悪する趣向のことだ。アロマンティックというのは性的欲求はあっても、恋愛感情をもたない趣向――混在している人間を他に知らないが、おまえはそうなんじゃないかと、僕は思ってたんだ」
「……詳しいんだな」
牧野は自嘲気味に笑った。「諦めるためだ」
「え?」
「僕は医者だからな、と言ったんだ」
ジンソーダの入ったグラスの氷が、カランと溶け落ちる。
もしも弟を抱いていたと言ったら、牧野はどう思うだろうか。
考えてみるが、もしも本当に言ったとしたら、それはずるいような気がした。自分はいい。だけど真人のことを考えると、兄貴に抱かれていた事実など、牧野に知られたくはないだろう。
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