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亮治⑩

 見送りから戻ってきた真人を目で追う。真人はそれに気づいたらしく、買ってきたものを冷蔵庫にしまいながら、なぜ双葉がこの部屋に来たかを説明した。  今日は恵比寿のイルミネーションを見に行く予定だったので、待ち合わせたのは午後三時ぐらいからだったらしい。イルミネーションを見た後はイタリアンレストランで食事をし、食後はカフェでお茶をしていたのだそうだが、突然双葉が真人の兄に――つまり亮治に会いたいと言ってきたのだという。 「電話したのに兄さんってば出てくれないから。最近飲みにも行ってないみたいだし、どうせ家で寝てるのかなと思って。それで双葉さんと一緒に帰って来てみたんだけど……」  電気もつけていない。コートも脱いでない兄が顔を真っ赤にしてソファで丸まっている姿を見て、これはまずいと思ったらしい。  真人は話しながら、水と薬を渡してきた。 「僕が必要なもの買いに行ってるあいだ、ここにいてもらったんだ」  亮治は薬と水を受け取るため、上半身を起こした。受け取った錠剤が、手のひらの上で転がる。ぎゅっと握りしめてから手を開くと、それはわずかにへこんでいた。  錠剤と水を一気に飲み、ダンッとサイドテーブルに置く。立ち上がって真人を見据えると、目の前がくらくらしてよろけた。 「ちょっと、そんな急に立ちあがったら危ないってっ」  真人に支えられ、ソファに座り直させられる。 「お、れ……はっ」  真人に向かって口を開くが、声が出なかった。コートに入れっぱなしだったスマホを取りだし、メッセージアプリから震える指で文字を打つ。『送信』ボタンを押すと、リビングテーブルに置いてあった真人のスマホが鳴った。  ソファの後ろにスマホを取りに行った真人が、メッセージを読んだのだろう。急に静かになったと同時に、亮治が送ったメッセージの左下には『既読』の文字が出現した。  ーー『俺は会いたくなかった。』  そのメッセージの、左下に。  真人が読んだことを画面から知った後。同じ部屋にいるにも関わらず、真人からの返事もメッセージアプリ上から送られてきた。 『ごめん。熱出して倒れてるとは思わなかったから』 『熱なんて関係ない。熱があってもなくても、俺はあの人と会いたくなかった』 『だから電話して聞こうとしたんだよ。僕だって、嫌がる兄さんに無理に会わせようとは思わないから』 『電話しなくちゃ、わからなかったのか?』  そこで真人の返信が止まった。そして間を置いて送られてきたのは……。 『僕は、会ってほしかった』  だった。  おそらく真人は、自分が会いたがらないとわかっていたからこそ、電話で訊こうとしてきたのだろう。  こちらの気持ちを改めて確認するためか……それとも気持ちを押し殺してまで、弟の幸せを願う『兄』を演じてほしかったのだろうか。  きっと、どちらの意図もあったのではないかと、亮治は思った。  試すようなことを言う真人に、腹が立つ。勝手に知らない女を家に上げた真人に、イライラする。  熱がなければ。  声が出せれば。  牧野がいれば。  女の顔と、名前と、声を知らなければ……。  おそらく亮治は、再びその幼稚な叫びを真人にぶつけて、また傷つけていたかもしれない。  だが、今は――。  熱でぼーっとする働いてくれない頭が、たった一つだけ、真人に言いたいと主張している。  感情の昂ぶりのせいで、熱が上がっていくのがわかる。亮治はぐわんぐわん揺れる視界の中、小刻みに震える親指で、短い文字をゆっくりと打った。薄れゆく意識の狭間で、送信ボタンを押した瞬間、亮治はバタッとソファに倒れ込む。 『すきだ』

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