67 / 87
亮治⑫
けれど、父の頑固な面を見るたび、この人は自分の息子に対して、きっちりと大人と子どものあいだに境界線を引く人なんだなと思う。
亮治が体をつなげた一人に、中学時代の後輩――溝口という男がいる。昨年、その男は実家に亮治を探しにきたのだ。その時、家族の誰よりも早く亮治の性癖対象を目の当たりにしたのが、父・武志だった。
父から直接性癖を問われたことはないけれど、おそらく薄々勘づいているのだろう。真人の部屋に居候させてもらうことになった理由の一つは、実家に戻ってきなさいという母の提案を拒否した父だった。
亮治はかつて自分の部屋だった物置部屋に敷かれた布団に寝そべり、天井の木目を見上げた。古い姿見や使われなくなった棚や籐《とう》の椅子が、足元でこちらを見下ろしている。
積まれた古い本や、宝飾箱など小さい物などでまとめられた一帯には、白い布がかぶせてある。亮治が一時的でも帰ってくると知って、母が布団が敷けるスペースを作ってくれたのだろう。
埃っぽいところで鼻がつまりやすくなる亮治だが、物置部屋のわりに呼吸がしやすく、久しぶりに落ち着いて眠ることができた。
母はそれから三日間、甲斐甲斐しく亮治の世話をしてくれた。父が仕事で出かけているあいだは、居間で一緒に食事をした。出してくれる食事も、栄養バランスを考えたものばかりだった。
食事後、台所に立つ母の後ろ姿を見ていると、真人の姿と重なった。この人はやっぱり真人の実の母親なんだ。そう思うと、不思議な感じがした。男にしては小回りの利く真人は、世話好きな母に似たのだろう。
そう考えると、真人が女だったらと思わずにはいられなかった。だが、たとえば真人が男じゃなかったら……きっと自分は、真人の体には惹かれなかった。そして、結果的には好きになることもなかった。
今さらこんなことを考えてもしょうがない。亮治は食後の薬を水とともに流しこんで、真人への想いも腹の底に沈めた。
実家に滞在して四日目。その日、母は町内会の会合があるらしく、昼過ぎに家を出て行った。夕方まで帰ってこないそうで、熱もだいぶ下がったというのに、亮治は物置部屋の布団の上で過ごさなければならなかった。
父は定年退職後、郵便局のパートタイムとして働いている。帰ってくるのはいつも夕方だが、たまに早く帰ってくることもあるらしい。うかつに一階に下りないほうがいい、と母に釘を刺されたのである。
昼食後、やることもなかったので、亮治はなんだかんだ布団の上で寝りこけてしまった。一時間ほど眠った後に目を覚ますと、ゴホゴホと立て続けに咳が出た。その際、喉に痰が絡み、亮治は上昇する不快指数に水が飲みたくなる。
水を飲みにいくぐらい、大丈夫だろう。そう思って一階に降りたのが、間違いだった。
居間から台所に入り、コップに水道の水を注いでいる時に、ガチャリと居間のドアが開く音がした。音がした先に顔を回すと、父・武志が立っていた。
まだいたのか、と言いたさげな視線が、亮治の体に浴びせられる。
「まだいたのか」
想像通りのことを言われ、亮治は「ずっとってわけじゃねえから……」と答えて水を一気に飲んだ。コップを洗い、父の横を通って二階の部屋に戻ろうとする。
だが、父の「そこに座りなさい」という言葉に、足を止められた。父からこんなふうに言われたら、無条件で従うしかない。
亮治は言われた通り、居間のテーブルの前にある椅子を引いて、そこに腰を下ろした。父はジャケットも脱がずに亮治の前に座ると、腕を組んで口を開いた。
「由希子さんと別れた原因と理由を私はずっと訊いてきたが……おまえは決して教えてくれなかったな」
「……」
「結婚するということは、家族になるということだ。わかるな?」
「……ああ」
「先日、由希子さんと向こうのご両親と……話をしてきた」
そこで亮治は「はっ?」と顔を上げた。
「由希子さんは前から、子どもができないことを悩んでいたらしいじゃないか」
「な、なに勝手なことしてんだよっ!」
ダンッとテーブルに両手をつき、亮治は身を乗り出した。
「黙って聞きなさい」
「聞いてられるかよ! 何を話して――」
「私は今からでも何とかならんのですかと、正直に話してきた。『子どもができなくても、私らは由希子さんのような娘がいい。もし由希子さんがどうしても子どもがほしいというのなら、亮治に全力で協力させる――。由希子さんと別れるなんて、亮治は本当にバカ息子だ――』とな」
「バカは父さん、あんただよっ! そんな……俺も由希子も三十超えた大人だぞ! もう終わったことに親が首を突っ込むなんて……どうかしてんだろ! ふざけんな!」
「どうかしていて何が悪い! 離婚してから何もかもうまくいっていないおまえを見ていたら、あの離婚が失敗だったということくらい、私の目にもわかる!」
「……っ。それで……向こうはなんて言ってたんだよ。由希子は――」
「由希子さんは毅然とした態度で、私に言ったさ」
――亮治君はゲイです。だから、子どもを作れなくて苦しんでいたのは、私より亮治君の方だったんです。
父の声ではなく、由希子の声としてはっきりと聞こえてくる。亮治の腰はドスンと椅子に落ちた。
父は、ずっと直視したくなかった現実に、顔を覆った。そして、絶望したような声で訊いてくる。
ともだちにシェアしよう!