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亮治⑫

「亮治……おまえは、ゲイ……なのか?」  正確には違うんじゃないかと、牧野からの説明を受けて思った。だが……頑固な父を混乱の渦に落として、そこまで理解してもらおうなんて、亮治には思えなかった。不器用なりに歩み寄ろうとしてくれている気持ちだけで、今は十分なような気がした。  そもそも、亮治にとって同性で好きになった男は、一人しかいない。それだけでゲイといえるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。名称なんて、今さらなんだってよかった。  亮治はゴクリと唾を飲んで、父の質問に返した。 「……俺はゲイだよ。誰も好きになったことがなかった、ただのゲイだ」  父は困惑したように、黙って頭を抱えた。豪快に笑う男らしい父は、そこにはいなかった。  気まずい沈黙が流れる中、玄関の開く音がした。母が帰ってきたようだ。  母の麻子が「ただいま」と、のんきな明るい声とともに居間へと入ってくる。  今回、なるべく夫と長男を会わせないようにと心を砕いていた母だ。居間のテーブルで向き合っている父子を見た瞬間、母は「きゃっ」と小さな叫びを洩らした。 「あ、あなたもお兄ちゃんもどうしたのよ……そんな暗い顔をして」  父子の不穏な空気を察したのだろう。母は流しで手を洗い、エプロンをつけると、暗い影を払拭するようにつとめて明るい声で続ける。 「今からお夕飯の準備するからね。お兄ちゃん、体調はどう?」 「……うん、まあ。だいぶよくなったよ」 「そう。それじゃ、今日は少し味の濃いものでもいいかしらね」  冷蔵庫の野菜室を開ける母に気にも留めず、父はボソッと言った。 「治らないのか」  父の言葉を聞いた瞬間、亮治の心臓がドクンと大きく鳴った。ピタッと、母の手も止まる。  父は『何が』とは言わなかった。だけど、その場にいた亮治にも母にも、父の言わんとしていることがわかった。  治るものじゃない。性癖は病気じゃない。あくまでも性質の話で……だが、父の性格的に言ったところで無駄なのだ。  亮治が黙っていると、野菜室を閉めた母が父に近づいて、「謝ってください」と強く言った。 「あなた、お兄ちゃんに謝って」  いつもおとなしい母の語気の圧《お》しに面食らったのか、父は自分の失言に気づいたようだった。口に手を当てて、亮治に詫びた。 「そう……そう、だな……私としたことが。すまなかった、亮治」  失言を放った後に気づく父。父のこういうところが、自分にも受け継がれているのかもしれない。そう考えると、二組の親子が家族として二十年やってきたことの奇跡を感じずにはいられなかった。  それを壊そうとするなんて……。  いざという時に強い母に、愛おしい弟の影を見る。小さくなって発言に後悔する父に、自分を見る。  亮治は自然と思った。自分達兄弟に似たこの両親に、孫を見せてやりたいーーと。  だけど、それは自分には叶えてやることはできないのだ。  真人……真人なら、見せてあげられるだろう。不器用な父から笑顔を引き出し、おとなしくも強い母から昔話を引き出せる、そんな女性とのあいだに生まれた孫を――。  その夜は、久しぶりに親子三人で食事をした。父と少し和解した今、真人という緩衝材がいなくても、穏やかな食卓風景が藤峰家の居間に流れていた。  なんて居心地がいいんだろう。亮治の心は、しばし日常が穏やかだった学生時代に戻る。  だけど。  亮治は、母の得意料理であるロールキャベツを口に運びながら、真人の血を引いた子どもを想像してみる。  頭がすごく良いかもしれないし、手に負えないほどバカかもしれない。  真人に似て目が細いかもしれないし、真人の選んだ(ひと)に似て目がくっきりしているかもしれない。  いじめっ子になるかもしれないし、いじめられっ子になるかもしれない。  五体満足かもしれないし、そうではないかもしれない。  どんな子どもでも、亮治は可愛がれる自信が、どこにも見つけることができなかった。

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