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覚悟のふたり③
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金曜日の夜、仕事が終わった後に、真人は電車に四十分揺られて新宿へと向かった。駅から人混みを掻き分けて十五分くらい歩き、いくらか人の数も減ってきたところで、そこが新宿二丁目だということに気がついた。
だが、街の異様な空気に面食らってしまい、メインの通りにまで足を向けることができなかった。路上で男性同士がイチャイチャしている場面はもちろんのこと、テレビ越しでしか見たことのない派手な恰好をした人達に、真人はカルチャーショックを受けた。
ナンパはされなかったものの、ゲイバーのキャッチに声をかけられ、「そ、そういう目的で来たわけじゃないんで」と焦りながら、気づけば駅まで戻ってきていた。
だが、そんなことを言っている場合ではないのだ。
金曜日は諦めた真人だが、翌日の土曜日は意を決して向かった。行ける時に行かないと、亮治がどんどん遠くへ行ってしまう。そんな気がしたからだ。
昼間の新宿二丁目は、夜と打って変わってあまりにも閑散とした光景に、真人は驚いた。
シャッターの降ろされた店の前で寝ている若い男に、この街にある店全般の営業時間を訊いた。泥酔しているのか、男は酒臭い息を吐きながら、「かわいー顔してんじゃん」と、見当違いのことを言ってきた。
近くのコンビニに入り、唯一いた日本人の男性店員に訊くと、ようやく的の得た回答を得ることができた。
「だいたい九時ぐらいっすかね。七時や八時に始まる店もあるけど、ほとんど九時じゃないかな」
真人は「ありがとうございます」と小さく頭を下げて、コンビニを出た。一旦家に戻ってから、七時くらいにまた新宿二丁目一帯に行った。店を何軒か回ってみようと思ったのである。
直接亮治を知っている人間がいなくても、狭い世界なのだ。知っていそうな人や情報通がいるかもしれないと、牧野が教えてくれた。
その夜はいくつか店を回ってみたが、注文しない男には何も教えることはないと、だいたいの店で門前払いを食らった。会員制の店に入ってしまった時は、露骨に嫌な顔をされたし、店を出ようとした際に尻を揉まれることもあった。
自分がゲイにモテる顔ではないと知ったところで何も思わなかったけれど、ただ人を捜しているだけなのに、こんなにも邪険に扱われ続けると、いい気はしなかった。
結局、土曜日にもこれといった成果は得られず、真人は終電でおとなしく自宅へと戻ったのだった。
それから二週間、二日に一回の頻度で新宿二丁目へと足を運んだ。その頃にもなると、あまりニッチな店に行くと、こちらも店側もいい思いをしないということが、徐々にわかってくる。
三週間目には、人が多いメインの通りに面した店を重点的に訪ねることにした。客を選ばない店の従業員たちは、皆真人の話を聞いてくれたけど、それでも確かな手がかりは見つからなかった。
あまり見せたくはなかったけれど、亮治の写真も見せた。だけど、大学生くらいの男達は皆、「あたしタイプだわ~」や「そう? もうちょっと筋肉ほしくない?」などと評するだけだった。
もうメインの通りの店をほとんど訪ね終わり、諦めかけていた時だった。真人は、一人の男がとある店に入って行くのが見えたのである。
どこかで見覚えのある男だった。だが、一体その男をどこで見たのか思い出せなかった。
男の入った店は、少し前に真人が亮治を訪ねたメイン通りの角にある店だ。観光バーというところで、ゲイだけではなくレズビアンも、いわゆるノンケの男女や外国人も、誰でも迎え入れてくれる店だった。
だからこそ、他の店に比べて入りやすく、開放感もあったので店の外から店内が見えるような、普通のクラブみたいだった。
そこの従業員のうち一人だけ、先週、亮治の写真を見せた際に「どこかで見たことがあるかも……」と首を捻っていた。栗毛の髪が店内のブルーライトに照らされた、若い男だった。だけど、どこで会ったのかまでは思い出せていないようだった。
栗毛の男のいた観光バーに入っていった男の後を追って、真人も店の中に続く。相変わらず店内には大音量のBGMが流れ、人がひしめき合っていた。「すいません、すいません」と控えめに人々の合間を抜けた先には、カウンターがあった。
この前対応してくれた栗毛の男が、カウンター越しに「あ」と真人を見る。
「あら、あんたって、この前お兄さんを捜してた人だよね?」
男は馴れ馴れしくも不快じゃない話し方で、真人に訊いた。
「お兄さんは見つかったの?」
「い、いえ……」
真人が店の中まで追ってきた男は、見当たらなかった。
気落ちし、何か飲んでいくかと言う栗毛の誘いを断り、店を出ようとした、その時だった。薄暗い店内の奥にあるトイレから、真人が追ってきた男が出てきたのである。
栗毛の前に座ろうとしたその男と、目が合う。すると、男のぼんやりした表情がみるみるうちに強張っていった。
そこで真人は、その男の正体がわかった。それは、真人と中学の同級生だった男――溝口だったからだ。
溝口は一瞬戸惑った表情を見せたものの、すぐにまた覇気のない顔になり、カウンターに座った。だが、真人側から見えるその横顔からは、心なしか眉間に皺が寄っているような気がした。
昨年の秋、真人はこの男と同窓会の帰りに、対面で話したのだ。亮治のことについて。この男が抱える、亮治への想いと憎しみについて――。そして、何よりこの男は亮治を追って、真人達の実家まで訪ねてきたこともある。
すべてはこの男から始まったといっても、過言ではないのだ。この男がいなかったら、今も亮治の性癖はここまで周囲に露呈していなかったかもしれない。
真人は溝口に近づき、「溝口君、だよね?」と訊いた。
溝口は栗毛に差し出されたおしぼりで、おぼつかない手を拭きながら、「うん……」と言った。少し震えているように見えるのは、気のせいだろうか。
「ふ、藤峰君も、こういうところ来るんだね……」
「実は――」
その時、栗毛の男が「あ!」と口を押さえて高い声をあげた。
「思い出した! その写真のあなたのお兄さんって人、見たのここだわ。あれ? 今、みっちゃんのところにいるんじゃないの? ていうか結局お財布は見つかったの?」
栗毛の言葉に、真っ暗だった目の前に光が射すような気がした。同時に、一気に与えられた情報量に困惑する。
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