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覚悟のふたり③

 亮治は今溝口の家にいて、財布をどこかで失くした状態にいる――ということなのだろうか。  今、変な勘繰りや嫉妬をしてる場合じゃないことは、わかっていた。ただ亮治の足がかりが見えた。それだけで、よかったと思わなければいけない。  真人は「今の話は本当?」と、溝口を向いた。 「本当……だったけど、今はいないよ。一晩だけ泊めた次の日に、すぐ出て行ったから」 「そうだったんだ……あの、次に亮治がどこに行ったか、わかりますか?」 「……知らない」  真人の足は、再び絶望の沼にすくわれる。見えかけた光が、閉じていく――。  栗毛は不思議そうに唇に指をあてた。 「そう。で、財布は? 見つかったって言ってたの?」 「み、見つかったって……言ってた」 「なんだ! よかったわ。お店のせいにするような人じゃないと思うけど、あのまま見つからなかったら後味悪いもんね」  歯切れ悪く答える溝口の態度が気になった。そして、溝口の『一晩だけ泊めた』という言葉が、ふと引っかかった。 「今、一晩だけって言ってましたけど……」 「な、なに?」 「亮治が実家を出て行ったのが、三週間前の土曜日なんです。土曜日、日曜日ときて、月曜日の朝には仕事を辞めた。同僚が電話をしたら、最初に若い男が出たと言ってました。それは、あなたじゃないんですか」 「……おれじゃない」 「じゃあ、亮治のスマホに出た男性を知りませんか? 人のスマホにかかってきた電話に、勝手に出てしまうような人を」  溝口はグッと下唇を噛んで、キッと真人を見た。 「藤峰君、なにが言いたいの?」 「べつに。ただ、本当に亮治の場所を知らないのか、気になっただけです」 「だいたいお兄さんとはいえ、成人してる大の男を、なんで藤峰君が捜してるのさ」 「それは……」 「それに、亮治亮治ってなに。なんでお兄さん相手に名前で――……」  自分で言いかけて、溝口はハッと何かに気づいたようである。まさか、という顔をして真人を見た。 「う、うそでしょ……」 「君がどう考えたのかわからないけど、きっと合ってると思う。だから、連れ戻しに来たんです」 「ダメ!」  咄嗟に叫んだ溝口に、周囲の視線が刺さる。きまりが悪そうに、溝口は口を覆って斜め下に顏を逸らした。 「どうしてですか?」  真人が訊くと、溝口は口をつぐんだまま、店の外へ出て行こうとした。急いで追いかけ、肩を掴んで振り向かせる。 「離してよ!」 「なら僕の質問に答えてください。どうして連れ戻しに来たら駄目なんですか?」 「知らないっ」 「君の部屋に、まだ亮治がいるんじゃないですか?」 「いないってば!」  細い体のどこから出てるのかと思うくらい、溝口は激しく抵抗した。ドンッと突き飛ばされ、真人は後ろに倒れてしまう。その拍子に、カウンターの椅子に頭を強く打った。  溝口は一瞬、しまったという顔をしたけれど、すぐに真人に背を向け、走って店から出て行った。  栗毛の男に支えてもらいながら立ち上がり、打った箇所を冷たいおしぼりで押さえる。じんじんと血が脈打つ感覚とともため息をつくと、栗毛の男が「なんか気になるんだよね」と急に言いだした。 「気になる?」 「うーん、違ったら悪いからあんまり言いたくないんだけどね。みっちゃん、いつも仕事の前にフラッとここに酔って、夜ご飯食べてから行くのね。でもこの三週間くらい、それがないの」 「……」 「みっちゃんの働いてるゲイバーのママに訊いたら、仕事は普通に来てるみたいなんだけど……ギリギリまで家にいるんじゃないかって。遅刻も増えたし、仕事中もなぁんかソワソワしながら時計気にしてるらしいの」 「時計……ですか」 「そう。早く帰りたそうにしてるんだって。ママがペットでも飼い始めたんじゃないかって不思議がってた。今日も久しぶりに見たんだよね、みっちゃん」  疑いの心が、徐々に確信の色に染まっていく。真人は栗毛の男に、「溝口君がどこに住んでいるか、わかりますか?」と訊いた。 「住所まではちょっと……でも、ここから近いって言ってたかな。新宿公園の方だった気がする」  それだけでも十分だった。真人はおしぼりの礼を言った後、店を出た。  店の前で、鞄から取り出した亮治の写真を見つめた。結婚式の時の写真だ。亮治の隣では、ウエディングドレスに身を包んだ由希子が笑っている。  真人がすぐに手に入った写真は、この一枚だけだった。  真人はその写真をコートのポケットにしまい、賑わう人々の狭間に足を踏み入れた。

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