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覚悟のふたり⑤

「あっ、諦めてたんだっ。もう亮治には会えないっ……好きになんて、なってもらえないって……! でも『スカイプール』でカウンターに座ってる亮治を見た時に、どうしようもなくなって……っ」  『スカイプール』というのは、実家を出た亮治がたどり着いた、栗毛の男がいる観光バーの名前だろう。 「寝てる亮治の足元に、さ、財布が落ちてて……っ。拾って中身見て、ホントに亮治の財布だってわかったんだ。そしたら、おれ、気づいたらその財布持って、外に出ちゃって……っ」  それから思いついた穴だらけの計画を衝動に任せてATMに足を走らせ、下ろせるだけ下ろしたらしい。まさかこんなにうまくいくとは、溝口本人も思わなかったと言った。 「でも、それでもダメだった。一向に好きになってくれないし、エッチもしてくれないし……っ」 「……」 「な、なんで自分に打ち明けたのかって、思ってるでしょ……っ?」  あたりまえだ。打ち明けなければ、自分も亮治も溝口を疑うことはなかっただろう。  不運だったと割り切り、人生の授業料として一から始めればいいと思っていた。昨夜会った亮治からも、失くした財布にこだわっている様子はなかったのだから。 「どうして、僕に教えようと思ったの?」  真人が訊くと、溝口は散らばったクラッチバッグの中身を拾おうともせず、イライラした口調で言った。 「わっかんないよ……っ」 「引き出した現金はどうしたのさ?」  溝口はぐっと顎を引いて眉根を寄せた。後悔しているように見えなくもない。 「……使った」 「なんのために?」 「……」 「お願いだから教えてほしい」  溝口はか細い声で、「……布団と、枕」と言った。 「布団? 布団を買ったの?」 「……部屋にはおれのしかなかったから。亮治のも必要かなって。本当は一緒に寝るつもりだったんだよ。だから大きいのを買ったんだけど……」  溝口は寂しそうに笑って、「でも意味なかった」と続ける。 「でも、買ったのはそれだけだよ。あとは使ってない」 「残りの現金は?」  溝口はふるふると首を横に振った。 「おれの口座に入れてある。でも、手はつけてないよ……」  真人は二つ折りの財布に目を落とし、考える。きっと、溝口も罪悪感で苦しんでいたのだろう。それは十分わかる。  本来、真人は罪を犯した人間は相応の償いをもってして、裁かれるべきだと考えている。本当なら、今すぐにでも溝口を警察に突きだして、残りの現金を返してもらうのが正しいやり方なのだろう。そして、無条件に亮治のことも諦めてもらって……。  真人はしゃがんでいた膝を伸ばし、溝口と同じ目線になった。そして亮治の財布を溝口に突き出し、「返すよ」と口を開いた。  溝口はポカンとした表情で「……は?」と、素っとん狂な声をあげる。 「な、なに考えてんの? 返そうとしたのはおれの方なんだよっ?」 「……そうだね」 「ねえバカなのっ? おれはお金なんかいらなかったんだよ! 亮治がいてくれれば、それで……っ」 「うん。だから、君が亮治とうまくいかなくてよかったよ」 「なにそれっ!? 余裕ぶっちゃってさっ!」 「そうじゃない。ただ、これでうまくいったって、君が苦しいだけだと思ったから……」 「は……?」 「亮治が自分の傍から離れないように縛りつけてて、君はこの一ヶ月、苦しかったんじゃないの?」 「……っ」 「亮治には言わないよ。僕は何も聞かなかったことにする」 「この財布を見ながら、おれに毎日苦しめってっ?」 「そうじゃない。でも、今返されたら、君が盗ったことを、僕は亮治に言わなくちゃならなくなる」 「だから言わなきゃいいじゃん……!」 「言うに決まってるよ。僕は亮治に言わないであげることはできても、君の罪まで背負ってあげられないんだから」 「……っ」 「どっちにしろ、君には亮治が世話になっていた分、お礼をしようと思ってたから……その分だと思って、受け取ってくれないかな」 「これはもともと亮治のものなんだよっ? それを本人に返さないで、おれに渡すっていうのっ?」  そう言われても、真人は何も感じなかった。最低なことをしているという自覚が、もちろんあったからだ。  盗んだ亮治の持ち物を、本人のいないところで取引する。(はた)から見れば、自分達のやっていることは犯罪行為だ。  だからこそ、真人は溝口の手を握り、戦友に対するように力を込めた。 「……散々振りまわされてきた者同士、一回くらい、亮治に対して最低になってもいいんじゃないかな」  真人の手に握られた溝口の手が、ビクッと強張る。口の端をヒクつかせると、溝口はバッと真人の手を払って、地面に散乱した小物をクラッチバッグにしまった。  もちろん、亮治のものだった二つ折りの財布も、クラッチバッグの中に入れているのを、真人は見逃さなかった。  新宿二丁目方面に向かう溝口の後ろ姿に、「あのさ」と呼びかける。  「まだ何か用?」と振り向く男に、真人は言う。 「溝口君はさ、前に言ったよね。どういう人間が亮治に合うかって」  溝口は斜め後ろにいる真人を向いた。鼻先だけがわずかに見える程度で、どんな表情をしているのかまではわからない。 「亮治のことが好きで好きでたまらないくせに、心底亮治のことを諦めてる人間だって」 「……それが、なに」 「心底諦めてみたつもりだったけど、あんまりうまくいかなかったよ。だから……僕はもうちょっと頑張ってみます」 「……っ」 「後のことは……亮治のことは、僕がなんとかします。だから、もう二度と亮治には近づかないでほしい」 「……はっきり言うんだね」 「その方が、お互いのためだと思うから」  チラリと溝口のクラッチバッグに目をやる。  溝口はこちらを振り向くと、悔しそうに睨みつけてきた。 「亮治をボロボロにした人間が何偉そうなこと言ってるんだよ! 一ヶ月間、亮治を見てきて、誰が亮治をこんなふうにしたんだろうって、ずっと気になってた。抜け殻みたいで……見てられなかった!」  以前、亮治がボロボロになった姿を見たい、と言っていたのはそっちじゃないかと思ったが、火に油を注ぐことはわかっていた。真人は溝口の言葉をそのまま受け止める。 「そもそも、男の兄弟で恋愛なんておかしいじゃん! ていうか気持ち悪い! 親に罪悪感とか感じないの!?」  よほど真人のことが憎いのだろう。溝口はありったけの正論を並べ立てる。  いくら責められても冷静でいられたのは、溝口が問うてくることすべてが、とっくに自分の中で自問自答し続けてきたことだからだ。そして、答えは、覚悟は、とっくにできている。  真人は溝口を見据えて、迷いのない声で言った。 「僕は正義や親より、亮治をとるよ」  溝口は怯えた小動物のように一歩、また一歩と後退り、やがてクラッチバッグを脇に抱え、走って行った。  やがて、溝口の姿が見えなくなった時、ようやく真人は踵を返した。  亮治のいる、その部屋へ――。   

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