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覚悟のふたり⑥
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部屋のドアに、鍵はかかっていなかった。ドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを押して開ける。入ると、部屋の真ん中でゴミ箱に空き缶やペットボトルを詰めこんでいる亮治の姿があった。
ちょうど一息ついた亮治と目が合う。昨夜まで生え散らかしていた口元の無精ひげを剃ったようだ。少しふっくらとした顎のラインがうかがえる。吹っ切れたのか、昨夜のようなオドオドした雰囲気も影を潜めている。
そして、やはり精悍な外見は相変わらずで、真人の胸はトクンと鳴った。
亮治は真人に気づくと、「遅かったな」と言って、丸々太ったゴミ袋の口を縛った。
「ごめん。仕事が長引いて……」
そうか、と頷くと、亮治は綺麗に整頓された部屋をぐるりと見渡した。
「ここさ、俺が一ヶ月前に来た時、めちゃくちゃ汚かったんだぜ」
「そうだったんだ」
真人もつられて、部屋全体を見る。テレビ台まわりや座卓に置きがちな小物は小物入れに一つにまとめられているし、衣類もきちんと壁際のカラーボックスに収納されている。黒い座卓の上には、ティッシュ箱が置いてあるだけで、コップどころか埃ひとつない。
台所の流しも、水垢がなく、マメに掃除しているか、大掃除後でなければ、ここまで綺麗な状態ではいられないだろう。
折りたたまれた状態の布団と、その上に置かれた枕――二つセットになって並んでいるそれを見て、チクリと胸が痛む。溝口が亮治の金で購入した、唯一のものが、この布団と枕だったのだ。
複雑な感情をぐっと飲みこみ、真人は亮治に訊いた。
「一ヶ月のあいだに、もしかして亮治が掃除したとか?」
「いや、始めたのは昨日。おまえが帰ってからだな」
「どうして?」
「昨日さ、おまえ、ここまで来てくれただろ。おまえが帰った後も、夢なんじゃないかって俺、しばらく呆然としてたんだ。で、現実だったら、こんなに嬉しいことねえなって……そしたら、なんか、掃除したくなって」
嬉しかったから、掃除がしたくなった。繋がりのない発想に、「急だね」と思わずクスッとなる。
だが、亮治に笑いを提供しようという意思はなかったようだ。1Kの部屋の中、遠くを見るように目を細めた。
「こんな話、聞きたくもないだろうけど、葵――いや、溝口に世話になったのは事実だからな。今の俺には、何にもない。あいつに返してやれることなんて、一つもないから……こんなことでしか、返せないから」
気持ちには答えられなかったけど感謝してる。亮治はそう言って、ゴミ袋を玄関まで持って行った。
戻ってきた亮治は、ふうとため息をつくと、「本当にいいのか?」と訊いてきた。
「おまえはそれでいいのか? 俺なんかでさ――」
また不安げに目を逸らす男の手をとり、真人は自分の頬にもってくる。亮治の大きな手に頬ずりすると、さっきまで溝口と対峙していた時の殺伐とした心が、溶けていくような気がした。
「もう二度と、そういうこと、訊かないで……」
亮治を選んだことで失ったものがある。これから失うものも、たくさんあるだろう。それらを捨てたことを後悔する日がきた時、「俺なんかでよかったのか」と訊かれたら、あまりにもつらすぎる。
だから、もう二度と訊かないでほしい――。
真人の想いが手から伝わったのか、亮治はそのまま真人の体を引き寄せて、抱きしめた。背中に回されたぬくもりが懐かしくて、嬉しいのに、なぜかせつなくなる。
そのあと、いくつか出たゴミ袋をアパートのゴミ置き場に捨て、亮治はボストンバッグを取りに一回部屋へと戻った。鍵をかけ、郵便受けにカチャリと鍵を落とした際の、どこか寂しそうに笑った亮治の顔を、真人は一生忘れることはできないだろう。
こうして、真人と亮治は、溝口のアパートを後にしたのだった。
そのさらに一ヶ月後、亮治のもとに警察から一本の連絡がかかってくることになる。落とし物として、財布を預かっているという内容のものだ。
警察署から財布とともに戻ってきた亮治は、不思議そうな顔で「何も盗られてなかった」と言って、革製の黒い財布を真人に見せてきた。
キャッシュカードから引き出されていたはずの八十七万六千円も、しっかりと戻されていたらしい。拾ってくれた相手は、自分の詳細を一切教えず、交番に届けて立ち去ったようだった。
やがて亮治はハッと何かに気がついたような顔をして、「……バカだな」と呟き、同情的な笑みを浮かべてフッと笑った。だが、その顔に批判的な含みはなかった。
罪悪感なんてないと思っていた真人である。けれど、この時ばかりは、溝口葵 という男に負けたような気がして、自分の中に残っていた罪悪感が揺さぶられた。
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