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覚悟のふたり⑦
***
「だから何度も言ってるじゃないか。慰謝料も払い終わったし、新しい仕事も見つけたんだって。……そういうことは、父さんが直接兄さんに訊くべきだと思う。僕はいつでも代わってあげるよ」
ガシャン! と乱暴に耳元で切られ、真人はスマホを耳から離した。はあ、とため息をつくと、ガラガラガラ……とベランダの窓が開いた。
ベランダでの喫煙を終えた亮治が戻ってきたのだ。声の大きさには気をつけていたつもりだったが、外にまで漏れていたのだろう。
気まずそうに頭の後ろを掻いた亮治が、ソファに座っている真人の隣に腰を下ろした。
「今日は父さんか?」
「うん。二人とも強情だよね。気になって僕に電話してくるぐらいなら、直接兄さんに電話すればいいのに」
「そういうわけにもいかねえよ」
と、亮治はソファの背もたれに背中を沈ませた。
「あの人達にとって、俺は腫れ物みたいなものなんだろ。一応気にかけてくれてるだけで、俺は幸せ者なんだと思わなきゃな」
亮治は真人と反対に、だらんと横に倒れる。
亮治が再び真人の部屋で暮らすようになったのは、半年前のことだ。
戻ってこないと思っていた財布が戻ってきた亮治は、生活の拠点を真人の部屋に移し、新しい仕事を見つけた。
再就職先は、自動車整備会社の営業職。以前勤めていたソフトウェア販売の会社に比べたら給料は下がるが、久しぶりの営業職に亮治は毎日楽しそうに出勤している。
その間に、元妻である由希子への慰謝料も払い終わった。月々の支払いを終えた夜、由希子から電話があったらしい。
『今までありがとう。幸せになってね』
と、電話越しに、由希子は言っていたそうだ。互いの生活状況に関して教え合うことは一切なかったと、亮治は言う。
「やっと他人に戻れたよ」
そう言う亮治の表情は、とても穏やかだった。
生活が落ち着きを取り戻したこの三、四ヶ月。穏やかな日常が、二人の間に流れていた。両親からの定期的な電話に心を乱されることはあるけれど、当事者である亮治が「しょうがねえよ」といつも言うので、真人はやり過ごすことしかできない。
本当は亮治を実家に連れていき、二人の関係を両親に説明したかった。どうせ気づかれているのだ。はっきりとさせて、また亮治が実家を自由に出入りできるようになってほしかった。
だが、そう願う真人に、亮治は首を横に振る。
「もういいんだよ」
穏やかな日常が戻ったものの、亮治の諦観は変わらない。真人にとって、それは少し残念だけど……亮治がいない隣にいない日々に比べたら、どれだけ満たされていることだろうか。
ソファの上で、自分とは反対方向に倒れた亮治を見下ろす。真人もコテン、と亮治の体に倒れて、頭を相手の脇腹に乗せる。
すると、亮治は真人の体を起こすようにして、自分の上半身も起こした。亮治の胸元に鼻をこすりつける。煙草の匂いが不快じゃない理由は、ただ一つ。
ふと顔を上げると、すぐ傍に亮治の顔がある。どちらともなく顔を近づけ、唇を重ねた。互いに軽く食むような唇の動きが、徐々に激しいものに変化していく。
「はっ……あ……っ」
唇の端から漏れるため息。亮治の手が、するりと真人のパジャマのボタンを外し始めた。こちらの指も、脇腹の下から亮治のTシャツをたくし上げる。
季節は夏を迎え、今では秋に差し掛かっている。そろそろ寒い季節がやってくる。だけど、家の中では、服なんて邪魔なだけだ。
滅多に湧かない加虐心に着き動かされ、たくし上げたシャツから見えた亮治の乳首をぺろりと舐める。「くすぐってえよ」と笑った亮治は、真人の頭を自分の胸から顔の前に持っていくと、今度はその先を思わせるキスの嵐を、真人の唇に落としてきた。
唇を塞がれ、離してもらえたと思った瞬間、向こうの親指を口内に指し込まれた。半強制的に舌を外に出される。そして、外に出た舌を亮治の舌の腹によって舐めとられる。
それだけで、加虐心は被虐の心へと変わった。まだ挿入もしていないし、前も触られていない。それなのに、セックスしているみたいな感覚に襲われる。クラクラとめまいがした。
「ふぇ……っん……っ」
ピチャピチャと唾液の絡まる音に、耳も犯される。下半身に宿る熱に、真人の腰は揺れた。
キスに夢中になっている間に、いつの間にか態勢が交代していたようだ。
あがった呼吸を肩で整えながらトロンと半分になった視界を見上げると、天井を背負った亮治が、こちらを見下ろしていた。亮治の頭が首筋から鎖骨の間に落ちてきて、真人の体がギシリとソファの上で沈む。
首筋を舐められると、「ひゃあっ」と女みたいな高い声が出てしまった。だらしない嬌声が出てしまう口を覆いたいのに、両手首を押さえつけられているので、それは叶わない。
ちうっと吸われる痛みが、鎖骨の下らへんを刺激する。ようやく頭を剥がした亮治の口からは、唾液の糸が光り、鎖骨下の痛みを甘さに変えた。
完全に、自分のものではなくなった体。ズボンとブリーフを足から抜き取ると、触っていないのにそそり立つ自身が姿を見せた。
自分の意思で、仰向けだった体をうつ伏せにし、腰を高く上げる。
「おね、が……っい」
自身の後ろの双丘を、両手でぐいと広げると、後ろの蕾が待ちきれないと言わんばかりにヒクッと動いた。
「早く、ちょうだ、い……っ!」
ゴクッと唾を飲む音が、亮治の喉で鳴る。
亮治がこの部屋に戻ってきてからというもの、幾度となく、ベッドで、ソファで、体を重ねてきた。
正常体位で交わるのはもちろん、後ろから突かれたこともある。だけど、自ら懇願するのは、これが初めてだった。
今夜は、亮治が仕事から帰ってくる前に、後ろの準備をしていた。いや、いつ互いにその気になってもいいように、真人は風呂に入る際、できるだけ準備しておくようにしているのだ。
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