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3 side 黒川 廉
上機嫌で家を出てから数時間後、仕事中に初めて華から着信があり嬉しさと何かあったのかという少しの心配の中、電話に出る。
『ぅっ…帰ってきて…たすけて』
聞こえてきたのは泣きながら帰ってきてと頼む華の声。
こんなの聞いて平常心でいられる奴なんかいない。思わず口調がガチの素に戻るのにも気付かず通話を切る。
急にバタバタと帰り支度を始めた俺を凛堂が何か言いたそうに見てきたが俺が仕事途中で帰るなんて初めてだから何かを察して動いてくれる。
帰り際に数日分の書類を渡してきた辺り、華のヒートが治まるまで休んでいいという事だろう。
「助かる」
「お気を付けて」
頭を下げる凛堂に礼を言って小走りで車へ向かう。
もちろん安全運転なんかしない。
そして着いたマンションのドアを開けるとぶわっと全身を包む華の濃いフェロモンと玄関に脱ぎ散らかしてある誰かの靴。
まさか、誰かが入ってきて、──
最悪のケースが頭を掠め急いでリビングへ向かいながら靴の持ち主を探す。
「誰だ」
俺の声にリビングから誰かが顔を出した。
佐伯だったか……βだし様子も普通だ…。大丈夫だ。
思わず安心して無意識に詰めていた息を吐き出す。
「若っ!!!」
佐伯は俺に駆け寄ってきて最高に情けない顔で事情を報告してくる。最初はヒートなのに帰ろうとしていたらしい。馬鹿だ。帰ってどうする。帰るまで持ち堪えられるわけないし、薬なんか効くか分からないんだから大人しく最初から最後まで俺に縋ればいいものを。
「あと絶対に水を飲ませてください、薬は家に忘れてきたらしいです。迷惑になるからってギリギリまで耐えてました。」
「分かった、ありがとう」
サッと頭を下げて出ていく佐伯。
それを見送ってまずは冷蔵庫から水のペットボトルを取って寝室へ向かう。
まずは水、まずは水、手を出す前に、まずは水。
心の中でそう繰り返しながら深呼吸するが手に持つペットボトルは興奮を抑えるため力が入りすぎて破裂させられる気がする。
部屋の前。ドアの向こうから今まで感じた事の無いくらい強く濃いフェロモンが流れ出てきて身体中の細胞がブチブチと弾け飛ぶ様な感覚に襲われる。
「はっ…」
浅くなる呼吸と速くなる心音。
この向こうに華がいる。
もう深呼吸をしても落ち着かない。震える手で寝室のドアノブを押した。
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