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【し】が二人を別つよりも前に

同性と付き合うのは初めてじゃない。 だから身体の関係を求められても、何の抵抗も無く受け入れた。 その相手が、今付き合っている彼、宏太だ。 宏太の健康的な黒褐色の肌も、日に焼けて赤みがかった髪も、結構気に入っている。 僕の名を呼ぶ時の、ちょっとはにかんだ笑顔や、可愛い顔してるくせにそれに似つかわしくない低い声や、背伸びしないとキス出来ない高い身長も、優しくて温かい手も、全部。 全部、好きなのに… この、心の真ん中にある、小さな隙間だけは、どうしても埋める事が出来ずにいた。 瞳を閉じても、もう姿さえ浮かんで来ない。 服に染みついていた匂いも、もう消えてなくなった。 声だって、頭の中に響いて来なくなったのに。 まだ。『克哉』が、僕の中に棲んでいる。 克哉は、僕の心の中に居座っては、宏太の居場所を奪い続けている。 心に残っている克哉の『存在感』の消し方を、僕は見つけられずに居た。 「どうしたの?ぼーっとして」 ふいに後ろから話しかけられて、一瞬びっくりする。 「ふぁ!?…何が?」 「ふぁ!?だって。可愛い驚き方」 くすくす笑いながら、ゆっくりした動きで僕の座っていたベンチの隣へと腰掛ける。 「可愛くなんかない」 「可愛いの。俺からすると」 そうして、相変わらず恥ずかしくなる事を平気で口にする。 それに慣れるには、もう少し時間が掛かりそうだ。 「で?何か考え事?」 何でもストレートに聞いてくるのは宏太の魅力的な要素の一つだけど、今は深く追求しないで欲しかったので、話を誤魔化したい気分だった。 「ん~ん。何でもないよ。午後の講習が怠いなぁって思ってただけ」 「…ふうん?」 なんとなく納得出来てないんだろうなぁ、と直感で思ったが、それ以上は聞いて来ないのが宏太の優しさなんだよな。って思う。 「じゃぁさ」 急に声を潜め、僕の肩を抱き寄せると、耳元に顔を寄せて囁く。 「二人でサボっちゃおう」 あぁ。濡れた声で分かる。宏太が何をしたいのか。どんな気分なのか。 そして、その声を呼び水にして、僕の中の別の僕が目を覚ます。 「そう…だ、ン」 言い終わらないうちに口唇を奪われ、思考回路が遮断されてしまう。 「人に見られちゃう…」 触れるだけのキスだったのが幸いして、僕はなんとか顔を俯かせて抵抗する事に成功した。 「だね。じゃ、いつものトコ、行こ」 宏太の声が、まるで催眠術のように僕の体を自由に操る。 促されるままに、僕たちはベンチから立ち上がると、ゆっくりと講堂の裏手の体育館へと向かう。そこから更に裏手の、古いプレハブの中へと足を踏み入れた。 そこは用具置き場になっているが、用務員でも使用頻度の少ない部屋になっていた。 プレハブと言っても床などは無く、土の上にベニヤで囲って窓と天井をくっつけた、といった簡素な造りの物だった。その中に鉄製の棚が設置されており、色々な備品が並んでいる。 当然布団やベッドの代わりになる物なんて置いてないので、立ったままスルのが、僕達の中での暗黙のルールになっていた。 「好きだよ」 部屋に入るなり後ろから抱きしめられて、首筋にキスをされる。 「や、」 思わず漏れた声に 「嫌?」 なんて意地悪く返答する。こういう事をする時に、宏太は大抵意地悪だ。 「じゃ、ない」 そしてそんな宏太が、僕は好きだった。 「素直で宜しい」 首筋に触れたままの口唇の口角が上がるのを感じる。 そしてそのまま口唇の隙間からしっとりと濡れた舌が這い出し、僕の首筋を舐ると、それを追うように口唇で覆い隠す。 「う、ン」 厭らしい舌の蠢きに身悶えすると、今度は抱きしめていた腕を解き放ち、ズボンの隙間からシャツを引っ張り上げ、そこから両腕を侵入させると、両方の胸を同時に揉みしだいた。 「はぁッ」 宏太色に染まりつつある僕の身体が、素直に快感を下半身へと運ぶ。 ジンジンするソコを、早く触って欲しくて身悶えた。 「気持ちイ?」 鼓膜を揺らす宏太の声すら快感で、また身をよじる。 それが楽しいのか、わざと耳元で息を掛けながら、また僕を焦らした。 「すごい敏感だよね。もしかして触ってなくても感じちゃうんじゃないの?」 言いながら身体を放して行く。 「は。ッ」 解放されて、自分に快楽を与える物が無くなったはずなのに、触れていた余韻が、触れていなかった場所にまでも疼きを運ぶ。 身体全身が、宏太を求めて悲鳴を上げるみたいに震える。 「どうしたの?辛いの?」 少し口角を上げて、普通に話す時のトーンと変わらない声で囁く。 本当に意地悪。こういう時だけSになる。 そういう宏太はちょっと嫌いだけど、それに流されて行く自分は、実は嫌いじゃなかった。 「意地悪…」 ようやく出した声に、更に追い打ちを掛けてくる。 「自分でなんとかしてみたら?」 「自分…で?」 つまり、宏太の見ている前で自慰をしろ。と言っているのだ。 「そ、んな…」 口ではそう言いながらも、その姿を想像するだけで身悶えする。 自分の中の知らない自分が、目を覚まして行く感じだ。 「辛いんでしょ?ほら、早くしなきゃ」 更に全体が見えるように離れて、壁に寄りかかりながら僕を観察し始める。 すごく、ギラギラした目が僕を視姦するのを感じる。 「う、うぅ…」 もう、堪らなくて、自分のモノに手を伸ばす。 「だめ。こっち向いて」 恥ずかしくて彼に背中を向けたままだったので、促されてしまった。 「でも…」 こんな所、人に見られるのは初めてだ。羞恥に身を縮めていると、今度は優しい声で 「ヤッてる時のヤラシい顔、オレに見せて…?」 なんて言って来る。 「本当、ズルい…」 そんな声で言われたら、抵抗なんて出来ない。 僕はゆっくりと振り向いて、上着を脱いだ。 「すごい、綺麗」 改めて言われて、また羞恥に襲われる。 「綺麗なんかじゃ…ない…」 言いながら、隠すように胸に手を当てると、敏感になっていた突起に触れてしまう。 「んッ」 つい声を漏らし、また恥ずかしくなってしまうが、宏太の顔を窺うと瞳が潤んでいるのに気付く。 宏太もああ言いながら、本当は僕に触れたくて仕方ないんだ。と思った瞬間、僕の中の何かが弾けた。 そうやって、眺めていられないくらい、堪らなくさせてやる。思いっきり誘ってやる。 そうして僕は、わざと声を出し、誘う表情を意識し始めた。 「ぅ、ン」 突起に指の腹を這わせ刺激する。そのまま何度も擦ったり摘まんだりして行くと、演技だったはずの声も、本気に変わって行く。 「は。あぁ…ン」 身体の芯がどんどん熱を帯びて、自然にじっとりを汗をかいて行き、潤滑油のように指を滑らせて行く。 彼の視線も恥ずかしかったが、もう自分でも抑えが利かなくなっていて、ずっと疼いてたまらなかったソコへと手を伸ばす。 ジッパーを下ろし、直接見られるのはさすがに恥ずかしかったので、トランクスの上から撫で上げる。 「ク…ふン」 すでにそそり立ったソレは、焦らされていたせいかいつも以上に敏感になっていて、自分で触っただけなのに痺れてしまった。 ソレを更に何度か擦って行くうちに、やっぱり布が邪魔に感じてしまい、トランクスの中に手を入れると、自分のソレを握りしめ、上下に扱いて行く。 「…は。あぁ。う…ン。あッ」 どうしても抑えきれない声を漏らし、快感に意識を持っていかれそうになりながら、そっと宏太を覗き見る。 と。 「も…無理…」 とうとう我慢出来なくなったのか、彼が唐突に僕を抱きしめ、口付ける。 「ぅ。ン」 息もつけないほど強く、舌を吸われながら彼の舌が絡んでくる。 いつになく激しく吸われ、恥ずかしいくらいに音が響く。 「そんな、堪んない顔すんなよ…エロすぎ…」 言いながら、切ない表情を見せる。 「やれっ、て言ったの、宏太、じゃん。」 わざと意地悪く言ってやると、ちょっと困った顔をして「ごめん…。」とか謝ってから、「でもすっげーエロかった…。目の保養」なんてボケた事を言って、すっかり出来上がった僕の身体に舌を這わせた。 そのままいつもの流れで、立ったまま彼の欲望を打ち付けられ、お互い何度も何度も快楽を貪った。 * * * * * * * * *  その日の夕方。 他愛のない会話をしながら岐路についていると、ふと宏太が道路向かいに居る何かを見つけた。 「あれ、道路渡ろうとしてない?危な…」 そう言う宏太の視線の先を追っていくと、確かに子猫が道路を渡ろうと、ふらふらと車道に入って行くのが見えた。 車が迫って居るのにも気付かず、そのまま直進して行く。 「ちょ!ヤバッ」 言うな否や、宏太は慌てて子猫へと向かって行く。それでも間に合うか間に合わないかギリギリの所だ。迫る車を見ているうちに、無意識に自分も道路に飛び出し、宏太を突き飛ばしていた。 自分が助かったのかどうかすら分からない。痛みも感じない。 ただ、最後に視界に入った宏太の胸に、子猫が大切そうに包まれているのが見えて、ただただ安堵して、僕は重くなった瞼を閉じた。 * * * * * * * * * 夢を、見ていた。 前のカレ、克哉の、夢を。         『待ってる』 そう言った克哉の表情は、確かに寂しそうに見えたけど、希望に満ちていた気もする。 あの時。僕は自分が寂しかったから、克哉もそうであって欲しかったのかもしれない。 ただ寂しくて寂しくて、その寂しさを伝えようとしかしてなくて。 それは自分が残される側の立場だったから。 克哉を思っているようで、実は自分の事しか考えていなかったのかもしれない。 旅立つ克哉は、希望と不安でいっぱいだったに違いないのに。       『僕も東京に行く』 そう返した僕の言葉は、少なからず克哉に勇気を与えただろうか? 本気にしなかったように見えたけど、本当は心のどこかで待っていてくれていたのだろうか? 今更ながら、きちんと克哉と向き合いたいと、 思ってしまった。 もし僕がまだ、生きているのなら… チャンスがあるのなら… 『死』が二人を別つより前に。。。

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