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初恋は遠くにありて想うもの 7
「そっか、ならよかった。夏休みの間、シロちゃんを独占しちゃってちょっと申し訳ないな、って思ってたの。でも、お母さんはシロちゃんに会いたかったんじゃないかな」
「俺の母親になんて気をつかう必要ないですよ。あっちなんていきなり再婚した挙げ句、俺を男子校に閉じこめて上海にいっちゃったんだから」
「でも、そのおかげで克がシロちゃんと再会できたんだから、私は感謝しちゃうな」
千夏さんの言うとおりといえば言うとおりだ。母親が再婚しなかったら、上海にいかなかったら、俺を涛川に無理やり押しこめなかったら、いまここでこうしていることはなかったのだ。
母さんが再婚していなかったら、俺は転校前に通っていた高校のクラスメートたちと、それなりに楽しくやっていただろう。ときどき森正のことを思い出して物足りない気分を味わいながらも、それなりに楽しくて、それなりに幸せにやっていたはずだ。
ふっと浮かんだ考えに、心の温度がすうっと下がった。いまこの場にいない俺のことなんて考えたくない。
「あ、そうだ。母さんから千夏さんに渡すように言われたものがあるんです」
俺はソファーの横においてあったボディーバッグから、銀行の封筒を取り出した。
夏休みは森正の家にお世話になると、電話で伝えたときのことだ。母さんは『ひと夏もだなんてご迷惑でしょう』だとか『夏休みの半分だけでもこっちにきなさい』だとか言ってきたが、俺は頑として譲らなかった。
叱ろうが泣き落としにかかろうが、俺が絶対に折れないとわかった母親は、口座にお金を入れておくからそれを家の人に渡すように、と言ってきた。
「なあに、それ?」
「俺がお世話になる間の生活費だそうです」
「やだ、そういうの困るよ」
千夏さんはあわてた素振りで、俺の差し出した封筒を押し返した。
「いや、でも、受け取ってもらわないと俺が困ります」
「私がシロちゃんに会いたかっただけなんだから、お金なんかいただけないよ。克だってシロちゃんがいてくれたら、淋しい思いをしなくてすむんだし」
俺がいようがいまいが、無人島でひとりぼっちになろうが、鉄の心臓と鋼の神経を持つ森正が淋しがったりするはずがない。が、実の姉相手なのでツッコむのはやめておく。
「俺がいれば、そのぶんお金だってかかるわけで――」
「そのかわりに克のお守りをしてもらうんだから、それでプラマイゼロだよ」
「いや、でも――」
「とにかく受け取れません」
「受け取ってもらえないと困ります」
「私だって困ります」
「えっと、なにはともあれ、とりあえず受け取ってください」
「嫌です」
森正はマカロンを囓りながら、俺たちのやりとりを醒めた目でながめていたが、
「なんか、喫茶店の支払いでもめてるおばちゃんたちみたいだな」
ぼそりとつぶやいた。
恐らく生まれて初めておばさん呼ばわりされたんだろう。千夏さんはメデューサに睨まれでもしたかのように、ぴきっと固まってしまった。
言われてみれば、ちょっとした支払いでもめているご婦人たちの姿に似ていなくもない。あれはあまりみっともいいものではないので、俺は少々反省した。
が、しかし、男の俺やこれほど美しい人に向かっておばちゃんはないだろう、おばちゃんは。
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