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初恋は遠くにありて想うもの 10

 俺はついうっかり失念していた。  いくら見目麗しくても、いくら心優しい人であっても、千夏さんは森正とおなじ血を引いているのだ。森正とおなじ血の流れるこの人が、ただ美しくて優しいだけのはずがなかった。  ちょっと考えればわかりそうなものだったのに――  夕食は千夏さんの手作りだった。  美しくて聡明な上に料理まで上手だなんて、千夏さんは天から二物も三物も与えられて生まれてきたらしい。俺と一緒だ。俺もまた容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、明朗闊達と四物も備わっている。  肉が食いたい、という弟の要望に応えて、千夏さんはローストビーフを作ってくれた。それになすやパプリカなどの夏野菜のマリネと、きのこがたっぷり入ったオムレツ、野菜やベーコンをトマトで煮込んだもの、じゃがいもと卵のサラダという、カロリーオーバー間違いなしのラインナップだった。弟の胃袋と体格にあわせたんだろう。  このところ寮の食事にすっかり慣れきっていたので、テーブルを目にしたときは、あまりのまばゆさにくらっと立ちくらみがした。寮の食事も美味しいことは美味しいのだが、ローストビーフみたいな肉の塊が出てくることは絶対にない。せいぜいが鶏の唐揚げとかトンカツくらいだ。 「はりきって作りすぎちゃった。でも、ふたりとも育ち盛りの男の子なんだから、これくらい食べられるよね。ローストビーフやサラダは明日でも大丈夫だし」  千夏さんの作ってくれた料理は、どれもこれもすこぶる美味しかった。俺や森正が美味しいだの旨いだのと口にするたびに、千夏さんは幸せそうに微笑んだ。その笑顔につられたかのように、俺の心にも幸せが満ちた。  すぐ隣に森正がいて、千夏さんがいる。もう二度と会えないと思っていたふたりと一緒に、この夏を過ごす。  ちょっとした偶然が生んだ奇跡は、千夏さんの言ったとおりやっぱり運命なのかもしれない。  上海にいかなくてよかった。寮に残らなくってよかった。心からそう思ったのに。  俺がのんびりと幸福感を噛みしめていられたのはここまでだった。  夕食が終わると、千夏さんは俺と森正のためにコーヒーを淹れてくれた。千夏さんは、といえば、夕食のときに開けた白ワインがまだ残っているらしく、コーヒーカップと一緒にワイングラスをリビングのテーブルにならべた。  さあ、のんびりとテレビでもながめながら食後の会話でも、と思ったのだが、千夏さんはテレビボードからDVDのパッケージを取り出した。顔の左右にふたつのパッケージをそれぞれ掲げて、 「じゃーん」  と、効果音を口で言う。子供みたいで可愛らしいが、パッケージがまったくもってこれっぽっちも可愛くない。  千夏さんが右手に持っているパッケージには、どこからどう見てもこの世の者ではない女が描かれている。顔は白い塗料を塗りたくったかのように不自然に真っ白だし、落ち窪んだ眼には瞳孔がない。髪も女性としていかがなものかというくらいばさばさだ。  左手のパッケージは、血塗れの斧を手にした男が狂気と狂喜を感じさせる凄味のある笑みを浮かべて立っている、というものだった。  上から見ても下から見ても左右から見ても、ホラー映画のDVDだ。

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