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第6夜第15話

その夜、捺くんからの折り返しの電話がないことは寝ているということを考えれば当たり前のこと。 それでもつい携帯を気にしてなかなか寝付けなかった。 メールだけでも打っておこうかと迷ったけれどそれも女々しすぎるかとやめて、結局眠りについたのは3時ごろだった。 そして次の日は俺は仕事で、朝から電話がかかってくるはずもなく―――捺くんからメールが入っていたのは昼過ぎ。 7時くらいにはこちらにつくように帰る、という連絡だった。 『お土産買ってくるねー』 絵文字入りのメールに和みはする。 メールだから電話の件は入っていないのかもしれない。 仕事中そのメールを見て、自分の小ささにため息が出る。 いちいち電話の有無など気にしなくていいのに。 仕事に私情はもちこむつもりはない。 けれど週の中日である今日はノー残業デーだったのもあり定時退社してしまった。 ―――捺くんはもう帰ってきてるだろうか。 携帯に電話はないまま家に帰りつく。 暗く静かな室内。 時間はまだ6時を回ったころで、まだ帰ってきてなくても仕方ない。 それでも落胆している自分がいる。 リビングのソファに腰掛けたところで、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。 「ただいまー」 弾んだ声がすぐに響いてくる。 馬鹿みたいにそれに安堵しながら玄関に向かった。 「優斗さん、早かったんだね」 俺の顔を見て顔を輝かせた捺くんが笑顔で靴を脱ぎ捨て駆け寄ってくる。 「うん、ちょうどいまさっき帰ってきたところなんだ。今日は定時であがったから」 「そっか、今日水曜日だしね。はいこれお土産ー」 「ありがとう」 「でもどこでも見かけそうなクッキーなんだけど。ついうまそうで買っちゃった」 ごめんね、と苦笑する捺くん。 そんな他愛のないことでもさっきまで重かった心があっという間に軽くなって、微笑み返す。 「いいよ。なんでも。あとで食べよう」 「うん! あ、そうだ」 なにかを思い出したようにリビングのドアを開けようとしていたら、捺くんが腕を引っ張ってきた。 「なに?」 「おかえりのちゅーは?」 悪戯気に目を細め、首を傾げて俺を見つめる。 短い廊下の端で荷物を持ったまま。 吸い寄せられるように唇を寄せた。 「おかえり」 そう言ってまたキスを落として、 「ただいま」 嬉しそうに笑う捺くんが小さなリップ音の響くキスを返してくる。 離れていく顔に反射的にまた寄せて、片手で抱きしめる。 その体温が愛しくてたまらなかった。 「……優斗さん」 何度かキスを繰り返してようやく離れる。 少しうるんだ目の捺くんはまるでなんでもないことのように笑って、 「あとでシよーね」 と言ってくる。 「……ん」 あとでと言わず今からでもいいんだけれど。 そんな自制心のないことを考えながらも、お互い帰って来たばかりだからリビングへと移動した。 「もーほんとよかったよ! まじで今度行こうね!」 冷蔵庫から取り出したビールを飲みながら捺くんは今回の旅行の話を楽しそうに語りだす。 テニスや温泉、近くにある湖で釣りをしたこと、バーベキュー。 俺は着替えもせずにスーツのまま、捺くんもソファのそばに荷物を置いてふたりソファに並んでビールを飲む。 饒舌に話す捺くんが旅行を満喫したのはあきらかで、よかったと本当に思える。 「でさ、杉坂のやつ、魚捕まえようとして湖に落ちてさ!」 声を立てて笑う捺くんに俺もつられて笑い、旅のいろんな話に俺も行ったかのような気になる。 「それで昨日は酒たくさん買ってみんなで飲んでー」 「……」 昨日、お酒、そのキーワードに、忘れかけていたことが思い出された。 「……昨日は酔い潰れた?」 「え? あーうん、そうそう。いつのまにか寝ちゃっててさー。あれー、そういや俺優斗さんに電話したような気がするんだけど」 不思議そうに捺くんは顎に手をあて一瞬考えたようだったけれど俺の方を見て目をしばたたかせる。 「あれ? 話したっけ?」 「……いや、ちょうど風呂に入ってて電話はとれなかったんだ」 「あーそうなんだ」 「折り返し電話はしたんだけど……」 違和感と確信。 きっと―――クロくんは捺くんに言ってないんだろう。 俺が昨日電話したことを。 「ごめん! じゃあ俺寝てたから取れなかったんだな。優斗さんに電話したときすっげぇ酔っててふらふらだった気がするもん」 後ろポケットから携帯を取り出しながら捺くんはふと止まった。 「……あれ、でも」 怪訝に携帯を開きボタン操作をしている。 「……あのさ、優斗さんがかけたとき電話だれか出た?」 不意に険を帯びた声に代わる。 「ああ……クロくんが出たよ。捺くんは寝てるって教えてくれた」 嘘をつく必要はない。 だから昨日のことそのままを伝えたけれど―――俺はあとで後悔することになるなんて思ってもいなかった。 「まじかよ……。あのバカ…っ」 着信消しやがったな、と捺くんが不快そうに顔を歪ませ呟く。 連絡だけじゃなく着信そのものを消した? 悪意以外なにものでもないものを感じ俺の心にも不快感が宿った。 たとえ彼が捺くんのことを好きだとしても、俺からの連絡があったことを伝えたくなかったとしてもしてはいけないことだ。 捺くんの友人を批判することはしたくない。 けれど見過ごすこともできずに携帯を見下ろしている捺くんに、クロくんのことを――……。 「あいつになんか言われなかった?」 言いかけ、だけどそれより早く言われた言葉に、止まった。 携帯を握りしめた捺くんが眉を寄せて、どこか不安そうに見つめてくる。 『捺になにか言われました?』 昨夜聞いたクロくんの言葉が甦った。 似たような、言葉。 "俺が捺くんのことでなにかクロくんから聞かなきゃいけないことがあるのかな?" クロくんに言ったことと同じで相手が違うことを、俺は捺くんに言わなければならない? 信じてる、のに。 不安と苛立ちと焦燥と。 身体中の血が熱くざわつくのを感じた。

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