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第6夜第19話
だけど本当の意味で忘れることなんてできるはずもなく、不意になったメールの受信音に俺の意識はすべて囚われる。
そっとスマホを取り出して見ると予想通り捺くんからのメールだった。
いまバイトが終わって帰る、という内容。
『智紀さん、ぜったい酔わせようとしてくると思うから、飲み過ぎないように気をつけてね』
そんなことまで入っていて、いつもとかわらない捺くんにホッとするのと同時に複雑にもなる。
あの話は捺くんの中でどんな位置にあるんだろう。
"あの言葉"通りに、考えている?
手放さなければと思ったばかりなのに、正反対のことを考えてしまう。
ため息が出そうになるのを我慢してスマホをポケットにしまいグラスに手を伸ばしながら顔を上げると、いつのまにか会話は止まっていた。
その上なぜかふたりが俺の方をじっと見ている。
晄人は煙草を咥えて肘かけに頬づえついて、そして正面の智紀は妙に笑顔で。
「……な、なに?」
視線を集めている理由が分からず苦笑いを浮かべる。
「んー? メール、捺くんから?」
「……そうだよ」
「あのさ、優斗」
「あいつとなにかあったのか」
智紀が俺の名を呼び、そしてごく自然にそのあとを継ぐように晄人が言った。
「……え?」
戸惑う俺にグラスを口元に運びながら智紀が目を細める。
「今日ずっと元気ないよ、優斗。まさかとは思うけどケンカでもした?」
「……」
普通にしていたつもりだったんだけど、と視線を伏せ内心ため息をつく。
だけれどこの二人が気づかないはずもないかとも思う。
「……別になにもないよ」
それでも一昨日のことを易々と話すことはできないけれど。
何本目かの煙草に火をつけ首を振れば、智紀が目を眇める。
「水臭いなー、相談してみればいいのに。なぁ、晄人?」
「そうだな。智紀ならあれだが優斗は少しくらい他人に頼ってもいいと思うぞ?」
「晄人くん、俺ならあれって、なに? あれって」
「そのまんまだよ」
「いやだから意味わからないんですけどね?」
ふたりの掛け合いがはじまって、このまま俺のことから話が離れて行けばいいのにと願う。
紫煙を吐き出しながら黙って様子を見ることにしたけれど、そう簡単にいくはずもなく晄人が「うるさい」と智紀に一言言って俺を見た。
なんでだろう、この二人には全部見透かされてしまいそうで居心地の悪さを感じる。
「あいつが浮気でもしたか?」
どうやって切り抜けようかと逡巡していれば突然晄人がそんなことを言って、飲んでいたカクテルをこぼしそうになってしまった。
軽くむせて口元を押さえながら再び首を横に振る。
「まさか」
「そうだよねぇ。捺くんに限って浮気なんてないだろうな」
「……」
浮気なんてするはずない。
それは確信を持って言える。
なのにふと――クロくんの顔が浮かんで、苦い気持ちが胸の中に広がった。
「それかライバルでも現れた?」
「……」
なんなんだろう、目敏いにもほどがあるんじゃないのかな。
にこにこと笑顔を浮かべている智紀の言葉になんと返せばいいのかわからない。
ただ単に適当に言ったのか、俺の表情の変化を見てそう思ったのか。
「……別に」
実際クロくんには恋人がいるんだし、ライバルというわけではない……はずだ。
捺くんだってクロくんに対して友情以外のものは持っていないんだし。
「ふーん、そう?」
「ま、あいつも無駄に顔はいいからな」
「……」
智紀が納得したのかしてないのかはわからないけれど、頷いたと思えば今度は晄人がそんなことを言ってくる。
つい隠しようもなくため息が出た。
「……捺くんを好きな子はいるかもしれないけど、別に関係ないよ」
「捺くんと優斗はらぶらぶだしね」
「し過ぎだろう」
「いいじゃないか、仲良きことは美しきかな」
「いいが、人前でいちゃつきすぎるのはどうなんだよ」
「ああ、実優ちゃん羨ましがりそうだよね。ちゃんと構ってあげなきゃ」
「構ってるだろうが」
「……」
勝手に話は逸れていきそうな気がする。
ふたりの会話の邪魔にならないよう控えめにカクテルを飲んでいたけれど、今度もやっぱり簡単に目が逸れるはずもない。
「それで、なに悩んでるんだ」
どうにも逃げ道はなさそうでまたため息が出た。
――ふたりに話せばなにか変るんだろうか。
でも話してしまえば、いつかと覚悟していた日が目前まで迫ってしまいそうで……。
「……いや……ただ、最近捺くんの将来のことを考えてしまうというか」
「将来?」
怪訝に智紀が首を傾げる。
薄暗い店内は週末ということもあって客が多い。
だけれどバーだから煩いということもなく程よいざわめきくらいだ。
隣の席の内容までは聞こえてこない会話に耳を傾けながらどう話そうかと迷った。
「……捺くん大学生になって綺麗になったなと思ってね。それに勉強も頑張ってるし……いろんな資格も取っている」
こうして自分のことを他人に話すのはいつぶりだろう。
中学時代からの親友はいるし、10代のころはいろいろ話はしていたけれど――。
二十代を過ぎてあまり深くは話さなくなったような気がする。
「就活も始まって……捺くんならきっと大手に就職できるだろうし。それに才能のある子だから……将来的にも道はたくさん広がってると思う……し……、なに……?」
喋っていたらものすごく視線を感じてふたりを交互に見た。
智紀は相変わらず笑顔のままで、晄人は微妙そうな表情をしている。
そして大きなため息をついた晄人が俺を見つめて、
「優斗、ノロケ話をしろといったわけじゃないぞ」
と言ってきた。
「……ノロケてないけど」
俺の話のどこがノロケてるっていうんだろう。
困惑していると智紀が口元に手の甲をあて吹き出した。
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