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怖くて堪らないって話
ガヤガヤとざわめき立つフロア。甲高い笑い声やシャンパンコール、キツめの甘ったるい香水や化粧品の匂い、酒の匂いが渦巻く室内が俺の職場。
「ね〜、アズぅ〜。ほんっと…アズは最高だねぇー、イケメン♡」
ほろ酔いで俺にもたれ掛かって猫なで声で言う女。
あ"ー………香水くっせぇ。
そんな事は口に出せないので笑顔を貼り付けて女の頭をなでてやる。カラーリングで傷んだのであろうパサついた髪。萎える。
まぁ、それでも太客だからしっかりご機嫌は取らないといけない。女が喜ぶ小さな変化から何から何まで褒めるポイントを探る。ふと酒を飲むグラスに目が止まる。ネイル。こないだ来た時はゴテゴテしたストーンだとかなんか色々乗ってた。それと違うシンプルなデザインになっていた。グラスを置いたのを合図に指に手を絡ませて恋人つなぎして此方へ引き寄せる。
「え、なに…?」
戸惑った笑みで聞いてくる客に優しく微笑みかけた。
「ネイル変えたよね?似合ってる。」
途端に女の顔が赤らみ緩むのが分かった。ビンゴ。
「やーん、気づいてくれて嬉しい〜!!」
甲高い声を上げて喜ぶ姿に笑顔を貼り付けて俺も笑う。
「流石アズね!今日は好きなの飲んでよ、何でも入れちゃう!」
あは、待ってました。その言葉。
腹ん中でほくそ笑む。
「いいの?無理してない?」
「してなぁい!!アズが喜んでくれるならなんだってしちゃうー!!」
腕にしがみついて頭をグリグリ押し付けてきた。甘ったるいキツイ香水が辺り一面に広がった気がする。あー、やっぱくっせぇ。ニコリと笑って、ちょっとしおらしくおねだりした。
「じゃあ……ちょっと今日はユキさんにルイ入れて欲しいな?」
ルイ13世。馬鹿に高く美味いブランデーの王様と呼ばれる酒。100万はする。我ながら可愛くないおねだりだと腹ん中でほくそ笑む。
まぁ……
「ルイ?いーよいーよ!!飲みな〜!!」
「ありがと、ユキさん。」
俺の"姫様達"はチョロいので有難い。
上機嫌な女に礼を言い、ボーイを呼んでルイ13世をオーダーする。そのオーダーにボーイが微笑み去っていく。
店内ではどよめきが聞こえた。それもそうだろう、俺今日はルイが3本目だ。あちこちでざわめきに混じって下位ホストの囁きが聞こえたが聞かなかったことにして、女をもてなし続けた。
「やっぱアズ最高。大好き!愛してるよ〜!」
「ハハッ、可愛いね。ユキさん。」
こうして俺は空っぽの愛を貰い続けてNo.1に居座ってる。
怖いから。
本物の愛を知ってる。
母親がくれた。暖かくて優しくて儚いものだった。
本物の愛を見たんだ。
母さんは父さんをずっとずっと待っていた。待って待って笑顔で涙を隠して、伝わらずに逝ってしまった。
だから怖い。
愛が怖くて堪らない。愛し方を知らないから愛が怖くて堪らない。
客達を見送りまで済ませて、貼り付けていた笑顔を一瞬にして剥ぐ。あぁ、疲れたな…。
溜息を吐いて店に戻ると既に他のキャストは帰宅した後で、ボーイも片付けを済ませ何人かと擦れ違った。その際に皆、口々に
「アズさん!今日も凄かったです!」
「お疲れ様です、流石でした!」
とか労いを掛けてくれた。
「あぁ、うん。ありがとう。お疲れ。」
嬉しいけど興味がないから表情が多分、無表情だったと思う。こんなんだから周りから人形みたいだとか陰口叩かれてるらしい。オーナーから聞いた。
フロアを抜けて更衣室の扉を開けた。
「あっ、あずさん!お疲れ様です。」
ソファーに座ってジャンプ読んでいたレオが顔を上げて入ってきた俺に挨拶する。
「……帰って読めよ、それ。」
挨拶をスルーして自分のロッカーに向かいながら言った。ほんと此処で読まんで帰ってから読めば良いのに。
「帰ったら弟に渡す約束なんで先に読んどきたくて。」
あぁ、そういや……教育係やってる時に聞いたんだった。
レオの家はラーメン屋で、父親が店主をしていた。母親は中々繁盛しないラーメン屋に嫌気をさして出ていったらしい。それでも頑張ってきた父親は、病に倒れて今は入院中だとか。今はレオが高校生の双子の兄妹と父親を養ってるそうだ。
片親ってのは一緒だが、境遇も暖かさも違う。何より家族の為に頑張ってるコイツはすげぇと思う。
「あずさん、今日凄かったですね。オーナーがご機嫌でしたよ。聞きました?売上。」
「あ?あー…いや、聞いてない。」
話しかけられ答えた。売上とか全く興味無かったから気にしてもなかった。ただ高くて美味い酒をタダで飲めたなー今日も、ぐらいだ。
「あずさん今日、一人で700万ですよ!700万!」
少し興奮してレオが言う。へぇ、そらまた随分と奢ってもらったな俺。
「あー………ルイが3本くらいか?」
「最終的に5本でしたね。」
あぁ、5本か。…なんで知ってんだコイツ。
「まぁ、れおも頑張ってたろ。」
「え。」
そう、俺が馬鹿みたいにパカパカとルイを飲む中レオも流石No.2と言える男だ。次から次に高級シャンパンやウイスキーが入っていたのを知ってる。頑張ってんだろ。褒めてやらんとな。
「よくやった。」
着替えを済ませて頭をクシャッと撫でてやった。ソファーに座ってるから俺よりデカくていつもは見下ろす頭を撫でれるのは有り難い。
嬉しそうにはにかむ顔が見えた。可愛い。
その後、少し物欲し気な目で俺を見てきた。
─あ、だめだ─
いつからたまに、その目を俺に向けて来るようになったレオ。普段の俺なら、そういう類は得体が知れなくて突っぱねる。けど、レオから見られるとどうしても胸が痛くなる。分からない、これが何なのか。
素直でしっかり者で甘え上手なレオが可愛いと思う。けど、レオが向けてくるこの……そう。
獣が獲物を捕らえようとする目。
これが俺を掴んで来るんだ。
きっと捕らわれたら抜け出せない。
きっと捕らわれたらもう溺れて食われる。
甘く喰われる。
そんな予感しかしなくて、怖い。
「あずさん、あの…。」
「まぁ、精々励めよ。」
言いかけるレオの言葉を遮り頭をワシャワシャと撫でくり回した。
頼む、まだ。まだ言わないでくれ。
俺はお前をまだどう思ってるか何て分からないんだ。
壊したくない。
「頑張って俺を抜いてみるんだな、ライオンくん。」
「あっ、だからそのアダ名止めてくださいよー。」
空気を変えたくて揶揄うと、レオも気付いたのだろう。乗ってきた。
ゴメンな、レオ。
「おー?まだ居たの、ツートップ。閉めるよ。」
扉を開けてオーナーが顔を出した。助かった。
「おら、行くぞ。読んだかソレ。」
カバンを持ち、身支度を軽く済ませるとジャンプを読んでたレオを指差して声をかける。
「あっはい!読みました!貸しますか?」
「いや、いい。」
無邪気に笑いながら聞いてきたが、興味ないから良い。ジャンプて。少年誌だろ……いつまで少年なんだって話だ。
話しながらオーナーと三人で店を出る。
家が近場の俺と駅を使う二人と別れて帰路につく。
誰も居ない、だだっ広い部屋に入って部屋着に着替えてベッドに横たわる。疲れた。
レオが向けてくる視線と、オーナーが向けてくる視線。
どちらもきっと俺を想ってくれてる。自惚れに聞こえるかもしれないけど。
オーナー…。凌の事は好きだ。でも愛を入れると違う。そんな感情じゃない。アイツが此処でNo.1で頑張ってる時から知ってるんだ。今更……今更、アイツをそんな目で見れない。
じゃあ、レオは?
呼ばれると少しホッとする自分が居るんだ。
それが一番驚いてる。何にホッとしてるのかなんて分からない。何せ愛が怖くて、恋愛なんざしたことがない。
でも凌には応えられないのは明確で、だから壊したくない。凌は友情と尊敬なんだ。
レオには?分からない。この感情が一体何なのか、分からない。
「あー、くそ。頭痛ぇ…。」
ぐるぐるぐるぐる 同じ答えがループする。
答えが出ないまま、眠りについた。
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