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中学生※えろなし

同級生。  中学三年生の夏。  放り出した足から、履き古した靴が放物線を描いて飛んでいく。 「ゆうと、」 「うん?」 「好きだ」  疑いようもない、はっきりとした言葉に返す言葉をなくした。 * * * 「だからなんだって受験前の今なの!? 意味わからないって……」  勉強の為に、と家の数少ない一室を与えられた受験生でもあるゆうとは独りでに呟く。  一週間前、中学の入学を機に最早今では親友の域にいる佐鳥(さとり)から告白された。犯した罪だとか、こういう悪戯をしました、なんてものじゃない。愛の告白だ。佐鳥の顔が赤かったのは、きっと夕陽のせいではないだろう。  室温二十度に設定された冷房下で、気合いを入れる為にゴムで縛り上げた前髪を無意味に引っ張りつつゆうとは思う。 ――どうして今になって告白してきたのか。  タイミングはこれまでもあったはずだ。春のピクニック、夏の花火大会に夏祭り、秋の穏やかな空気が流れ冬に変わる中での他愛もないやり取り。何回も、チャンスはあった。  だが、佐鳥が何気ないような、それでも真剣さを孕んだ声でその言葉を口にしたのは、中学生最後の夏休み直前。汗一つ掻いていないような涼しい顔の、背筋がすらっと伸びた彼は下校途中に言ったのだ。 『好きだ』  何度も何度も、頭の中で鳴り響く佐鳥の声。それが勉強をも邪魔し、日常も支配している。 「あーー〜〜、くそおおぉぉっ!」 「――ゆうとっうるさい!」 「…………」  頭が痛い。木霊する友人の声がぐるぐると巡って、居場所を探すようにたゆたっているのだ。まるで返事を欲しがるように。 「熱がある気がする……」  告白されて一週間、夏休みに入って一週間。ゆうとは佐鳥を避けるように、連絡を取っていなかった。 * * * 「全くこんな大事な時に……」 「ごほっごほっ……」 「今日は起きてちゃ駄目よ」  溜め息と共に部屋を後にする母親を見送らず、あー、うーと呻く。  ゆうとの気のせいではなく、本格的に風邪を引いてしまった。というのも、佐鳥の告白云々を考え込むうちにうつらうつらとして机に向かい合ったまま眠ってしまったお陰なのか、朝起きた時には喉が痛く、眠る前に呟いた言葉が本当になってしまったのである。  三十八度超え。体温計を見て出たのは溜め息だ。もう何も考えられないほど思考は停滞し、ぼーっとすることに貪欲になってしまっている。このまま何も考えなくてもいいなら、治らなくていいかもしれない。  そんな馬鹿なことを微かに思いつつ、誘われるようにして、母親の手によって二十五度に調節された自室で瞼を閉じた。 * * *  ――ふと。意識が浮上したのは、さわさわと髪に何かが触れているから。時折、肌に触るそれはほどなく冷たく、心地いいのだった。 「……ぁ」  引っ張られるようにして目を開けたゆうとは、視界に映る姿を目の前にしてまだ夢を見ているのかと思った。  佐鳥がいるのだ。 「さと、り?」 「大丈夫か?」  佐鳥の姿から発せられる声は佐鳥のもので。夢なのに嫌に現実味があるのは熱のせいであろうか。 「風邪だって、聞いて……辛いか?」 「……ん」  優しげな声音にほだされ、つい素直に頷いてしまう。  そんなゆうとを、夢の中の佐鳥は尚も優しく頭を撫で、冷却シートが貼られた額にその上から触れているようだ。心配しているのが強く伝わってくる。 「ごめん、心配かけた」  そう呟くと、はっと息を飲むような音が聞こえた。  虚ろな視界の中、確かな証を手に入れたのは、佐鳥の、どこか歪んだ表情。 「……佐鳥?」 「俺のせいだと思った」  ぽつりと言葉を落とした。――今にも、そんな言葉と共に涙が溢れるようで。  少しだけ、ゆうとは呆気にとられる。  あの夕日の中、自分に告白してきた佐鳥は堂々としてはいなかったか。すぐさま口をつぐんだが、後悔はしていなかったように思える。しかし、今は……? 「俺のせいで、ゆうとの体調が悪くなったって……」  今は、弱気、そんな言葉がぴったり当てはまる。 「どう、いう……?」 「だからっ、俺が気持ち悪いことを言ったばかりにお前の!」 「ううっ、大声はやめて」 「ご、ごめんっ……。ちゃんと考えるんだったって、思った。俺はお前に告白してすっきりした気でいたけど、伝えられたお前は苦しかったんだって」 「佐鳥…………? よく、分からない……頭が、働かない」 「ごめん。ゆうとの記憶を消せたらどれだけいいだろう、ごめんっ。気持ち悪いと思うけどでも俺っ、もうお前に近寄らないから」 「……え?」 「それで、許して」 * * *  中学三年生の夏。夏の終わり。それは、最後の夏休みが終わったことを示す。 「なぁ、佐鳥は?」 「さあ? 夏休み終わったっていうのに来てないな」 「さぼり……なわけないよな。あいつ生真面目だし」 「夏風邪かな?」 「うーん」  クラスメートの言葉が、何よりも物語っている。  突然の告白から、約一ヶ月。始業式から一週間が経つものの、あれ以来、佐鳥はゆうとの前に姿を見せないのである。あの夢だと思っていた出来事は否応なく現実だったようで、それを証明するように手土産の果物が母の元に渡っていた。小振りながらも、甘くて美味しいメロンだった。  が、別れ際は明るいものではなくもっとシンプルに暗いもので。  佐鳥が学校に来ないのは、自分にもう会わないという約束を守る為なんだと最近になってようやく気付いたゆうとだったが、どうする手立ても思い付かないのだ。  ――どうしたらいい?  そう思うばかりで。 「なぁ、天川(あまかわ)。お前、佐鳥と仲良かったよな? 何か聞いてねぇの?」 「……何も。てか、佐鳥と仲良く見えるの? 俺って」  話しかけてきたクラスメート二人は互いに首を傾げあって口を開く。 「何言ってんだよ。いつも一緒に行動してたじゃん。それを見てたら誰だって天川と佐鳥は仲良しだって思うよ」 「その態度、まさか! 喧嘩でもしたのか? 珍しい」 「……違う」 「じゃあ、なんだよ?」 「……俺にもわからない」 「あっちょ、おい! 天川! もう授業始まるぞ」  逃げるように教室を出る。  夏休みが終わっても佐鳥は姿を見せない。それはゆうとの為……。  ――むかつくな! 「……」  佐鳥を避けるようにしたのは事実だった。言い訳も思い付かないほど意図した行いであった。しかし、どういうことだろう。佐鳥に避けられていると分かって、自分の方が堪らなくなってしまったらしい。  どうして佐鳥が避けねばならない? だからといって何故、学校まで休むのか。 「考えたらなんかむかむかしてきた」  ふつふつと煮えたぎっているのは怒りか、悲しみか。 * * *  少し身構えながら、なんとなく逃げられるのを覚悟で佐鳥の家を訪ねることに決めたゆうと。しかし、そんな覚悟をよそに応対した佐鳥の母親らしき女性はにこやかに家内に招き入れ、丁寧に佐鳥の部屋まで案内してくれたのである。今は外出で家を空けているとの言葉をもらい、ゆうとは一人、佐鳥の帰りを部屋で待つことになってしまっていた。 「あいつ、学校休んでどこに行ってるんだよ……」  落ち着きなく辺りを見回し、清潔感のある整理整頓された机を見遣る。本の並び方、ベッドの整えられ方、全てが佐鳥という人間を顕していてつい笑みが溢れてくる。ゆうとを軽く越えていく生真面目さなのだ。 「……」  ――佐鳥はどんなところが好きだと言うのだろうか。  もしかすると佐鳥が家にいないのは、どこかでゆうとの行動を先読みし、会わないようにわざと外出したのではないか。可能性はあるようで、疑う。 『もうお前に近寄らないから』  夢だと思っていた現実。 『好きだ』  その言葉を口にした佐鳥は珍しく、顔を赤くし、普段ならすました表情をいつになく歪めていた。  驚いたのは当然で。変だと思った。普通は女の子を好きになって、同性の友人はそれを知ると面白がってからかうのだ。ゆうとは今までそうしてきたし、そうされてきた。それで何度恋路を邪魔されてきたか……とは言うまい。  だが、佐鳥の勇気を不意に思い知ると、何故か、自分の行動はひどく不誠実のような気がしてならなかった。  思いきってぶつかってきた佐鳥を無言で避けた。結果、佐鳥もゆうとを避けるように。……けれど、彼にそうされると納得できないのだ。わがままにも、佐鳥に避けられるのは許せないのである。  ――告白されたのは自分なのだから、避ける権利はこっちにある! どうして告白してきた佐鳥が避けなければならない? 正々堂々、返事を待ってやがれ!! 「……はぁ。最低か? 俺は」  脳内ではどうとも言えるというのに、どうして佐鳥本人を目の前にすることができないのだろう。  その時、階段を上ってくる慌ただしい足音が聞こえた。そして次の瞬間、勢いよく開いた扉から息を弾ませた佐鳥の姿が覗いた。 「ど、ぅしている?!」  明らかに動揺していた。上下に揺れる瞳がゆうとを見つめている。 「よぅ」 「、じゃなくて! どうしてここにいる? 今、母さんから――」 「佐鳥って“母さん”って呼んでるんだ、」 「ゆうと、話を逸らすな。学校は? まだそんな時間じゃないだ――」 「佐鳥こそっ!!」  自分でもびっくりするぐらいの大声が飛び出した。 「なんで学校来ないの?」 「……それ、は」 「俺のせい? 俺がいるから?」 「違うっ」 「ちがくない! 佐鳥は言ってたよね、もう俺には会わないようにするって。それって俺を避けてるってことだよね? つまり俺のいる学校には来たくないってことだ!」  ――あれ、どうしてこんなにも熱くなってるんだろう?  どんどん上がっていく興奮を抑えられず、ゆうとはとうとう立ち上がって佐鳥を壁際へと追い込む。彼の母親が階下にいることにはこの際、構っていられなかった。 「ゆうと?」 「なんで? なんでお前が俺を避けんの?」 「え?」 「避けていいのは俺なのに……どうして俺が避けられなきゃいけないんだよっ?」 「……それは、」  何かの的を射たのだろうか。佐鳥が言い澱む。  それを見たゆうとは自分の感情が瞬く間に頂点へ駆け上がっていくのが分かったのだった。 「佐鳥なんか嫌いだ!」  飛び出した言葉。胸が痛くなって同時に、眼前にある両目が先程よりもより驚きをもって見開かれていく。スローモーションのように、佐鳥が傷付くのをゆうとは見ていた。  すると、佐鳥の手がゆうとの手に触れ――次の瞬間、ギュッと握って立ち位置を反転した佐鳥がその手を壁に押し付ける。 「いた、」  思わず呻くゆうとに構わず、どこか怖い顔した佐鳥が言うのであった。 「俺、傷付くよ。お前に嫌いって言われるの」 「……っ」 「可能性がないのに期待するって辛いんだよ、ゆうと」  絞り出すような声音が耳に入り込む。 「ゆうとのこと避けないと俺は好きだから。いつかゆうとが好きだって言ってきて、キスとかそれ以上のことができないかって考えてしまう」 「そ、それ以上……」 「お前が真剣に勉強が分からないって俺に頼ってきてる時だって、俺の頭にあるのはそんなことばかりだ。そんなやつが傍にいるなんて気持ち悪いだろう? 現にゆうとはあれから俺を避けてた。だから、俺も関わらないように――」 「ぃ、嫌だ!」 「……?」 「俺を好きって言っておきながらもう好きじゃないみたいにするな! 嫌いになったって、言うみたいに、俺を避けるな……!」 「じゃあ俺はどうすればいい? ゆうとが俺のこと嫌いだって知りながら、叶わない恋をしてればいいって言うの?」 「違う!」 「ゆうとが言ってるのはそういうことだよ」 「ちゃんと考える!」 「!」 「っから――…………」  咄嗟に、続ける言葉を見失う。  自分は何を言いたかったのだったか。避けてほしくない理由は。 「佐鳥に避けられるの、嫌なんだ」 「……そんな勝手な」  ふと漏れたような本音にゆうとはぎゅっと目を瞑る。  きっと呆れて怒るに違いない。いや、もう怒っているだろう。身勝手な言い草に愛想を尽かして……。  けれどその瞬間、ゆうとの頬に何かが触れた。刹那、ちゅっとまるで口付けのような音が耳の鼓膜に突き刺さる。 「んぁ!? はっ」  妙な声に慌てて口な手のひらを宛がう。  今の声は、と考えるよりも佐鳥の行動に意識が取られた。 「な、なにっ……」 「ゆうとがそんなわがまま言うなら、俺もそうする」 「え……うわ、」  もう一度、頬に柔らかい唇が押し当てられる。柔い、自分のものではない、他人特有の不思議な感触だ。 「考えるっていってくれたよね。それに避けてほしくないって。俺ばっかり我慢するのも不公平だから……もう気にせずお前を落とす」 「?! ん……ちょっ」 「俺のこと気持ち悪いんじゃないかと思って気を遣って“やった”んだけど、いらないお世話だったみたいだね。ゆうとは意外にも俺のことが好きらしいし?」 「は、はあ!? 好きなわけねぇだろ!」  友人の豹変にたじろぐ。  ――こんな意地悪な顔、今まで見たことねぇぞ!  しかし、ゆうとの心中など知るよしもない佐鳥は壁に手をつき、逃げ道を塞いだ上でわざとらしく口角を上げる。 「せいぜい俺のこと、好きにならないように」 「なっ……! ちょ、ちょーしに乗んな、バカッ」 「あー、なんか自信出てきた。あんな神妙に告白したのが恥ずかしいぐらい、未来は明るいよ」 「明るくない! むしろ暗くなれよ!」 「い・や・だ。俺はゆうとが好きだもん。一度は諦めようと思ったけど、惜しくなったんだよ」 「う……その、耳元で囁くのやめろっ……気色悪い」 「え? でも顔真っ赤だよ」 「〜〜っ、お前ほんと意地悪だな! とうとう本性を表しやがったか!」 どれだけの言葉を浴びせようとも、何故か余裕を取り戻したらしい佐鳥の表情を歪ませることはできず。 「なんならこのまま押し倒して俺の欲望を押し付けちゃおうかな」 「や……や、やめろおおぉぉ!!」  不本意だが、早々に彼の腕の中へ飛び込んだ方がいいのではないかと混乱するゆうとであった。  ちなみに、勉強に苦手意識を持つゆうとは今後も、学年上位の成績を誇る佐鳥を頼らなくてはならないのである。  終わり

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