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この恋は内緒だよ※えろなし
両想い。
八月十三日、水曜日。
うだるような暑さ真っ只中な夏休み。
高校一年生の結城 は、付き合って約一年になる矢巾 と神妙な顔をして向き合っていた。
「どういうこと?」
その言葉が全ての感情、状況を表しているようだった。焦燥にも似た、まだ見えぬ恐怖を。
「……バレた」
「…………」
掠れた声音で伝えられたたった一言に、結城は息を飲み込む。
あぁ、嘘だと言ってほしい。これが夢なら、早く覚めてほしいと思う。
しかし現実は現実でしかなく、起こってしまったことは変えられないのである。
同性からも人気高く思わず惚れ惚れするような、校内外かかわらず女の子から“癒しの王子様 ”と呼ばれるほど整った容貌をした真っ正面に構える彼は、一切視線を逸らさずにこう言った。
「花火、一緒に見に行こう」
* * *
花火大会当日。
浴衣姿の人々が下駄をからんからんと涼やかに鳴らして夜店を堪能し、花火を今か今かと心待ちにしているだろう中、結城と矢巾は二人、ちょうどいい展望場所にいた。
「お父さんとお母さん、弟連れて花火会場に行ってるから」
そう言われ、矢巾に半ば引っ張られるままやって来たのは彼の家で。小高い丘のやや孤立した立地である故に、例年開催される祭りの終わりに打ち上げられる花火がよく見えるらしい。あの混雑の中、空を見上げている人々が少し不憫に見えてしまうぐらい、平屋である矢巾家の周囲は閑散としている。
状況を考えれば、暢気に花火など見物している暇ではなかった。
だが、簡素な私服に身を包み、町一体を望む縁側に座ってしまうと、矢巾と一緒にいることが嬉しくなってしまうのだった。それは彼も同じようで。数日前の深刻な顔はどこかへ消え、それまで普通で当たり前だった笑顔を浮かべている。
「花火、七時半からだって」
「まだ時間あるね」
「うん。なんかさ、こうして静かなところで結城と二人きりでいると中学の頃を思い出す」
「……」
瞬間、心臓がドキリと跳ね、表情が固まったと自分で分かった。
それを見た矢巾が苦々しい笑みを湛え、結城の頬を一撫でする。
「何にも怯えずに済んだ。結城のことが好きだってこと、隠すのもなんか楽しかった」
「矢巾、」
黙って、と言うように唇の前に矢巾の人差し指が立てられる。それはすぐさま浮かんだ予感を肯定しているようで。
耳を塞ぎたい衝動に駆られながらも、惚れた弱味なのだ、悪い言葉でも矢巾の優しく響く声を聞きたいと思ってしまう。
「今も楽しいよ。この恋は誰にもバレちゃいけない。教えちゃいけない。……覚えてる?」
――空が明るく光る。いつの間にか、花火が打ち上がっていた。結城が頷くまで、黄色、赤、と矢巾が鮮やかな色に照らされて様々な顔を見せていた。
「お、ぼえてる」
もう一度、頬を撫でられる。
「うん、俺もちゃんと覚えてるよ。短かったね」
「俺はっ、長く感じた」
「うん」
頬に触れたままの矢巾の手が結城の頭を愛しそうに引き寄せる。
――覚えているのは、一つの約束。
「……」
「別れよう」
「……っ」
* * *
中学三年生の夏。つくつくぼうしがさんざめく残暑厳しいある日。
初めて同じクラスになった矢巾とよく喋るようになったのは、部活が同じ水泳部だというきっかけだったに違いない。男女共に人気を集める彼とする会話は絶えず楽しく、矢巾と話すという部活動があるだけで学校に行くのが楽しみで仕方がなかった。
いつしか二人で行動するのが当たり前になり、その頃から矢巾が近くにいるのが普通になった。意味もなく近付いて手に触れたり、遊びの範疇だとわざと抱きついたり。それらの範囲を越える行為をしたのは、部活終わりの更衣室だった。
友情はいつしか愛情となっていたのだ。
「結城、俺、お前のこと好きだ」
外見も内面も完璧な彼ならもっといい人がいる。それが分かっていながらも、自分の感情に嘘を吐くことができなかった結城はその告白を受け入れた。
「俺も、好き」
そうして、後に別れざるを得ない約束をしたのである。
「俺達の関係は誰にも知られちゃいけない、内緒の関係だ」
言う矢巾の声音は少し興奮していて、秘密を背負うことにどこか心を踊らせているようであった。もちろん、結城自身も。
「もしも知られたら、俺達はすぐ離れる」
「離れる? 別れる、ってこと……?」
「そう。それが内緒の関係ってことだから」
「……」
「嫌いになるってつもりじゃないよ。でも俺の好きで結城を傷付けたくないんだ。俺達はまだ世の中から敵視されて生きていけるほど強くないから」
そう言う矢巾の言葉に説得されてしまい、結城は頷く他なかった。
自信があったのだ。この約束を抱えながら、秘密を突き通すと。
しかし、成し遂げることはできなかったらしい。矢巾の話では、キスしているところを同じ学校の生徒に目撃されたようなのだ。そしてその人物は目にしたことを矢巾に告げた。……何故、矢巾本人に明らかにしたのか。
結城達が危惧したのは自分達が知らないところで関係を悟られ、噂となって話が広がることだっただろう。何か脅されたわけではないと言うのだから、妙なほど善人な人物に感謝しなければならない。きっと、目撃した彼ないし彼女は嫌悪したことだろうから。
すると、結城達に害はないように思える。だが、二人にとって約束は約束でしかなく、確かな拘束力を持っているものだった。二人の関係を言い触らされようとされまいと、一人にでも知られてしまったからには、離れる――。
それが大好きな矢巾と交わした、約束なのだ。
* * *
花火が打ち上がる。色とりどりの火が弾け、夜空を照らす。雲一つない晴れた今日は絶好の花火日和だ。
矢巾は最後の思い出に二人だけで花火を見ることを選んだようである。
隙間なく縁側で寄り添って座り、夜空に咲く大輪の華を見つめる。視線は逸らせど、深く指を絡めあって手を握った。
離れたくない。言うのは簡単だが、その先に待っているのはきっと破滅だ。
今は善人である目撃者がいつ何時口を滑らせてその他大勢に矢巾との関係が露見するか分からない。分からない以上、可能性はゼロではないのだ。
「矢巾」
「うん」
「誰もいないから」
「……目、閉じて」
「うん」
「口は、あけて」
言った声が微かに震えていた。どうしてなのか、結城に考える時間はなかった。
静かに唇が重なった瞬間、真夏が戻ってきたような暑さを感じる。じわじわと上昇していくような熱を。花火の音と共に涼やかな風が吹いているはずが、暑くなるばかりだった。
「好きだよ」
「ん……っ、俺も好き。ずっと好きでいる」
――俺達は臆病だった。別れる方法しか知らない、稚拙な子供だった。大人なら、この感情を大切に守れただろうか?
たった一年。結城と矢巾の恋は両想いを保ったまま終わりを迎えた。
* * *
「矢巾!」
「結城!」
「お前、結城と付き合ってるってマジで?」
「癒しの王子様とできてるって本当かよ!?」
「――まさか。ユイが悲しむからそんな噂信じないでよ」
「えっユイって、えぇ?! ユイちゃんと付き合ってんのか? 美男美女カップル誕生じゃねーか!」
「――なにそれ。あんなナルシストみたいなやつと俺が付き合うわけない。それより可愛い女の子紹介してよ。童貞卒業したい」
「おおっ、ようやく結城もその気になったか!」
あの日、夜空に放った視線は、遙か彼方で絡み合っている。
終わり
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