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第六話

 青々と茂った芝の上に、緋色の敷物が幾重にも敷かれ、幾本かの日傘がその上に影を落とすよう配置されている。  そこへ座すれば自然と見上げる形になる桜の大木は、正に見頃の花盛りであった。  腰元や小姓の姿はないが、酒宴の用意が整えられている。  先に着座していた父に、手招きされて藤野がその左隣に座る。  藤野が座りやすいよう着物の裾を捌いていた豊成も、同席するよう命じられ藤野の側に控えるように着座した。  三人の様子を観察したい紅は、あえて古木を背にする形で藤野の正面に腰を降ろし、咲哉には藤の間に戻っているよう命じた。 「花見ですか」  手酌で飲み始めた父に話しかける。 「ここ数年この老いぼれは、花を咲かさなかったのだが……」  そう言って老木を見上げる父の視線を追うように、紅も桜を振り返る。 「何故か、今年は満開じゃ」  言われれば昨年の春、この木に目を止めた記憶が紅にはなかった。  城内には春夏秋冬を愛でるべく、多くの木々や草花が植えられている。  日々、政務に追われる紅であったが、暇を見つけては庭を散策し花々を愛でるのが楽しみであった。 「父上、この桜はいつからここにあるのでしょうか?」  身を捩り天に手を伸ばすように枝を広げる古木は、その木肌に濃淡様々な苔を纏い本来の肌色を隠している。  まるで(べに)白粉(おしろい)で化粧して、素顔を隠す老獪(ろうかい)な女人のようだと紅は思った。 「そうじゃな。わしが子供の頃には既に、ここに在ったよ……」  紅の問いに、父は感慨深げに答える。 「幾本か接いだ若木も、今では立派に花を咲かせておる。こやつも頃合いと思っているのであろうよ」  その言葉に、来年もこの桜を見ることが出来るのだろうか?と紅は寂しく思う。  若木が育ち、盛りを迎え、やがて衰え滅してゆくのは必定。  人もまた同じく、子を産み次代を継いでゆくのだから。  私という若木を残したが、父はまだ満足していないのだろうか。私が至らないからであろうか。  つい物思いに耽る紅であったが「そう言えば、そちの子は元気か?」と、父が藤野に話し掛けるのを耳にし、含んでいた酒に思いっきりむせてしまう。 『まさか! 既に子をなしているのか? 常の女人と違い穢れをしらぬといった様子であったが、やはり世俗に生きる人の子なのか……』  十五にもなれば嫁入りしていてもおかしくない年であるし、有力な家柄に生まれた姫であれば幼い頃から縁組みが決められているのは当然だ。  子がいたとしても珍しくもない話しであるのだが、藤野にはそういった俗世間的な事柄をあてはめられないような、処女性とゆうかそういった神聖なものを感じていた紅であったから、彼女に子がいる、つまり男女の睦事を経験しているという事実に落胆を覚えていた。  いや、そんなことより、その子の性別が問題だ。  今は私個人の気持ちは関係ない、先の将軍の落とし胤がいるとなれば、その対応一つ誤れば天下に争乱が巻き起こるのだから。  そんな紅の気持ち等知らぬ藤野は、「美羽なら、元気ですよ。今朝もにらめっこをしていたら、押し倒されてしまいました」そう言ってくすくすと笑う。  その笑顔はあどけなく、内心の憂慮とは裏腹に、春の日差しに包まれたような、不思議な感覚が紅を捉えた。  名前から男子ではないと判断し、一先ず胸を撫で下ろしたものの、その子が本当に父の子であれば、女子であろうと後々問題になる事に変わりはなかったし、このまま父の寵愛が続くようあれば、男子を成す可能性は十分にある。 「あなたが、押し倒されるとは、お子は幾つになられる?」  今、事の真偽を確かめておかなければ、後手にまわって窮地に陥る事になるだろう。  にらめっこで押し倒される状況は理解できなかったが、平静を装い紅は藤野に話し掛けた。 「確か、今年八つになるはずです」  これまで紅に直接返事をする事はなかった藤野であったが、少しは打ち解けていたのか、あるいは我が子の事であったからか、初めて紅に無防備な微笑みを向けた。  その笑顔にみとれつつも、紅は親子の年の差を計算する。 「えーと、お子が八つですか……、 あなたは十五と伺っていたのですが、私の記憶違いでしょうか?」  それに慌てて答えたのは豊成であった。 「上様、美羽は藤野が実子ではなく、養い子でございます」 「養い子……」  成る程それならば、十五で八つの子がいるのも頷けるが、何故その若さで養い子等とも思う。  これから実子を、男子を産む事も可能だろうに……。 「ご事情があるのでしょうが。あなたなら、これから子を産めるでしょう? それこそ高貴な身分の男子をも……」  言いながら、紅は父の表情を確かめる。  恥じ入るのか、怒り出すのか、はたまた素知らぬ顔で惚けるつもりか。  いづれにしろ、紅が二人の関係を危ぶんでいる事は、伝わるはずだ。  その言葉に紅以外の三人がそれぞれ異なる反応を見せた。  豊成は苦虫でも噛み潰したような顔で、紅から視線を逸らしているし、藤野は何を言われているのか解らないといった様子で、豊成と父の顔色を伺っている。  そして父はと言えば……、何が面白いのか大笑いするばかりであった。 「父上、笑い事ではありません」  むっとして告げれば、「案ずるな紅。藤野に子は産めんよ。まあ、産んで貰うことは出来るだろうがな」と、訳のわからない事を言い出す。  こちらから話を向けたところで、取りあうつもりがないのだ。こうなったら正面から、事の真意を尋ねるしかない。  それに豊成の言っていた山内家が守る事情を聞き出し、今後どのように彼らと付き合っていくかを決めなければならない。  今やその時と紅が口を開こうとした、そのときであった。 「失礼致します」  いつの間に近付いていたのか腰元が一人、升を載せた盆を捧げ持ち、その場に割り込んで来たのであった。

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