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第7話

由伊との関係が修復して、はや一週間が経った。明日からは待ちに待った冬休み。今は、全校集会で校長や生徒指導、学年主任の話に耳を傾けている。律は立ちっぱなしだと貧血を起こしてしまうので、座りながら聞いて良いというこの制度は非常に有難いなと体育座りをしながら、律に肩を乗せ眠る橘を見て苦笑する。橘の頭が重い。カップルか、とツッコミたくなるような肩の乗せ方に、どうせ怒られるんだろうなと思いながら放置していた。全校集会が終わり、案の定橘は呼び出されこっぴどく絞られていた。 「冬休みやなぁ〜!」 ぐいーっと背を伸ばした橘を見つつ、「そだね」と返す。HRが終わって、皆は帰らずにまだ教室に残り友人達との会話を楽しんでいた。律はカバンに荷物を詰めながら橘と話していると、トントンと後ろから肩を叩かれ振り向いた。 「仲野さん、どした?」 今日は、ツインテールにしている仲野がニッコリ笑ってそこに立っていた。 「ねぇねぇ、宮村くんと宇己くんさ、冬休み一緒に遊びに行かない?」 「遊び?」 まさかのお誘いに律は驚いて首を傾げる。生まれてこの方、遊びの誘いを受けた事がない。 律が友達作りに積極的でなかったのも相まって、学校でも友達と過ごす事は橘と友達になるまで一度もなかった。 「そうそう! 私のおばあちゃん家が海辺の旅館なの! 都内の外れなんだけど、来年は受験になっちゃうし、クラスも離れちゃうかもしれないじゃない? 冬休み明けはすぐ期末あるし、今のうちに遊んどきたいなーと思って!」 楽しそうに話す仲野に、律はどうしようか、と考える。すると話を聞いていた橘が、「行きたい行きたい!」と大はしゃぎし始めた。 「俺、海めっちゃ好きやねん‼ なんでか分かるか⁉ 俺の名前やからやー‼」 「意味分かんないけど、じゃあ行く?」 「行く‼ りっちゃんも行くやろ⁉」 キラッキラした瞳で見つめてくる橘に「う、うん」と頷く。 「ほな、日にち合わせなな〜!」 ルンルンで携帯を弄り出した橘を見つつ、律も携帯を取り出したその時、ふわり、と嗅いだことのある香りに包まれ、背中が温かくなった。 「俺もいきたいなぁ、ねぇ律くん」 穏やかで優しい声が頭上から聞こえ、律はパッと振り返った。 「ゆい……!」 そう呼ぶと、由伊は一瞬驚いた顔をしたけど直ぐにいつもの由伊に戻って、頭を撫でてくれた。 「仲野さん、ダメ?」 こてん、と首を傾げた由伊に仲野は些か気まずそうにしていたが、「いやいいよ、大勢の方が楽しいし」と了承していた。 「ありがとう、楽しみだな。ね、律くん」 ニコリと優しい笑顔に、自分も何だか嬉しくなってさっきまで行くか迷っていたのに、そんな不安も迷いも一気に吹き飛んだ。他人と遊ぶのなんて、由伊しか無かったし橘とも何だかんだ遊んだこと無かったから緊張するけど、由伊が居るから安心だな……! 旅館すごく楽しみだな。詳しい話は追って連絡する、と仲野が言ってくれたので行くメンバーで連絡先を交換してグループを作る事にした。由伊は少し面倒くさそうな顔をしていたが一瞬で顔を作り直し、「楽しみだね」と言ってくれた。実を言うと律は楽しみどころではないのだ。友達と遊んだことなんて何年ぶりというくらい久々で、それだけでも舞い上がってドキドキするのに、ましてや由伊も一緒だなんてもう命日が来てもおかしくないと思う。あれから律の由伊への想いは着実に変わっていっている。それが悪いのか良いのか分からないけれど、この胸の高鳴りは決して悪い方では無いと思う。 体調の面や心配な事が多々あるけれど、ちゃんと元気にみんなと遊びたい。 冬休みはいつもだらだら勉強だけして終わっていたからこんなに楽しみな気分は人生初な気がする。父親はあと、半月程は帰って来ないからその間家が空になってしまうな。 旅行前に全部掃除して手紙残して出よう!こういう時何を持っていけばいいのかな? お菓子とか持ってってもいいのかな? それとも、邪魔になるかな?皆と遠足みたいなことするのは小学生以来だ。楽しみで仕方がない。ワクワクする気持ちを抑えたいが、家に一人になった時自然と顔がニヤけてしまう自分がいた。こんな時、親がそばに居なくて心底良かったと思った。 いつも通り律を家まで送り、自分も帰宅し自室に篭った。彼の居ない部屋は少し寂しいものがある。大好きな子が部屋に居ただけでそれはもう心中大暴れではあったが、居なくなったらその倍以上寂しさを感じてしまう。彼が完治して一週間は経ったが、この寂しさや心配には中々慣れない。 ……それより、問題は仲野だ。あれだけ彼に嫌がらせをしていたくせに、いつの間にか彼と仲良くしているし、彼も満更ではなさそうだし……。 二度と関わるなって俺は言ったはずだ。しかも、俺抜きで橘と仲野と温泉行こうとしていた。彼は俺の気持ちもう忘れたのか?それとも気にしていないのか? 三人で仲良さそうに話していたあの輪の中に入るのは少し勇気がいったが普通に腹がたったので無理矢理入り込んだ。自分も行きたいって言った時の仲野の顔は引きつっていたが、すぐに「いいよ」と返事をしていた。正直温泉なんて行きたくなかったけれど彼の裸を自分がいない所で自分以外のやつに見られるより一緒に行った方が遥かにマシだと思った。それに彼の体調も心配だし。自分も行くと言った時のあの彼の可愛い表情は友達として嬉しかったのだろうか。クソ可愛いにも程があるのでは。最近、律のそばに行くと彼は犬のように「ゆい!」と懐いてくるのが可愛くて仕方ない。慣れてくれたって事なのだろうか。慣れたというか、クラスメイトの誰よりも長い時間過ごしているから安心感を覚えてくれたのか。 これは一歩前進かな。由伊は布団に包まり律くんフォルダを見返しながらニヤニヤ笑った。 「……いや俺、キモ」 「律くん、迎えに来たよ」 「ゆい……! おはよ!」 今日は待ちに待った温泉の日。この日の為に律は勉強を頑張って、洋服何着ようとか何を持っていけばいいのかとかたくさん考えた。現地集合なので、各自別ルートから向かう事になっている。当日、由伊が律を迎えに来た。律は最初、迷惑だから、と断ったのだが「俺が一緒に行きたいんだよ」と由伊が縋った為、律は渋々頷くしかなかった。 「律くん可愛いねその服。リュックもパンパンだ」 律の背中を見てくすくす笑った由伊に、律は少し恥ずかしくなる。 「……な、なに……持ってけいばいいか、分かんなかったんだよ」 「大丈夫だよ、律くん。何かあったら必ず助けるから」 「……?」 律はなんの事か分かっていないが、忘れ物があったら貸してくれるという事だろうか? と、首を傾げたけれどそれ以上話してくれるわけじゃなさそうだったので律も特に聞かなかった。 「さあ、行こうか」 由伊の声掛けに律は満面の笑みで頷いた。駅に着いて律はキョロキョロと見渡す。 「りっちゃ〜〜〜ん!」 物凄い大きな声で名前を呼ばれ律は声の主を視界に捉える。 「橘……!」 学校以外で会う橘は一層大人っぽくて年齢詐称出来そうだな、なんて思った。同い年には見えない。橘と由伊が並んでしまうと自分が如何に貧相で幼いか浮き彫りになって嫌だったので、律は適当に挨拶を交しさっさと改札を通った。そして何故か由伊の機嫌がよろしくなくなったが、目線を合わせればニコリと笑ってくれるので嫌われてはないのだ、とこっそり安心する。 車内は休日で冬休みという事もあり混んでいた。座れないので踏ん張って立つが、周りの人達がギュウギュウに押し詰めてくるので、律はあっちに押されこっちに押されて段々気持ち悪くなってきてしまった。これは人酔いなのだろうか、それとも乗り物酔いか。元々そこまで三半規管も強くないので、律はあっさり酔ってしまったらしい。。しかしぎゅうぎゅうのすし詰め状態の中でしゃがむ事は出来ないし、しゃがんだら余計に酔いそうな気もしていた。黙って俯いていると、パシっと誰かに手首を掴まれた。 「律くん、大丈夫?」 ゆっくり顔を上げれば、心配そうな顔をした由伊が律と律の目の前にいたサラリーマンとの間に割り込んでくれる。 「りっちゃんちっこいし細いから心配やわぁ〜」と言いつつ、橘も律の後ろにいたおじさんの間に割り込んだ。相変わらずギュウギュウなのは変わらないけれど、触れているのが由伊や橘だと認識するだけでだいぶ気分は良くなった気がする。 「吐きたくなったら言ってね。大丈夫だから」 目の前の由伊にぎゅ、としがみつき、こくん、と頷く。 「りっちゃん俺も居るで! 由伊にセクハラされたら俺んとこおいで!」 「ぷふっ」 「……なっ橘テメェ……」 由伊の胸に顔を埋めているから分からないが、自分の頭上でバチってるのは何となく分かる。由伊や橘の気遣いは凄く嬉しくて律は密かにニヤニヤしていたのだった。 満員電車を長いこと乗り、やっと降りられた律たちはその解放感にぐいーっと背を伸ばす。 「はぁ〜! さて、こっからどやって行くんやろか」 こてん、と首を傾げる橘に由伊は「はぁ……」と深くため息を吐き、律と目線を合わせた。 「律くん。ここからはバスが出ているみたいだから俺達はバスに乗ろっか」 「ばす……! うん!」 久しぶりのバスだ! バスは小学校の遠足で乗って以来だ。友達と乗るならなんだって楽しい。さっきみたいなギュウギュウなのはちょっと苦しいけど、今日は由伊も橘も居る。 「俺達は、ってなぁ……それは俺も含まれとるんやろなぁ由伊くんや」 「オメーはカウントしてない」 「ひぃ〜! この猫かぶりニャンニャン男! イケズ! 俺も行く~ずっと一緒や〜!」 意外と仲良かったんだなあの二人。橘は何やらキャンキャン言って律に抱きつくが、由伊はそれを剥がして、「無駄にくっつくな」と怒っていた。 「あ、由伊バスきた!」 ブロロロ、というエンジン音が聞こえ目をやれば市バスのようなバスが一台止まっていた。乗車して、二人掛けの所に由伊と二人で座る。一番後ろに並んで三人座った方がいいんじゃないかと思ったけど、由伊によって有無を言わさず窓側に押し寄せられ、その隣は由伊が座ってしまった。橘は律たちの前の席に座りこちらを恨めしそうに覗いている。 「なぁ由伊くんや? お前はそう俺を邪険にする……あんまりやってっとこの天使に嫌われんで?」 ジトッと恨めしそうに由伊を見る橘。それが何だか面白くて律は肩を揺らしてクスクス笑った。何の話かは知らないが、自分の好きな二人が仲良さそうで律はとても嬉しいなと思った。 「皆久しぶり〜! 今日はわざわざ来てくれてありがとね!」 待ち合わせ場所に着くなり、仲野はニコニコと声を掛けた。 「こちらこそ、誘ってくれてありがとね」 律もにっこりと返す。橘は仲野が連れてきた女の子と楽しそうに話している一方で、由伊は、ふい、と視線を逸らしどこか別の場所を見ていて誰とも関わる気が無さそうだった。仲野達はそんな事気にもせず「じゃとりあえず部屋に荷物おこっか!」と歩き出す。 「なぁりっちゃん〜、この近くな、海鮮丼屋とかぁ、水族館とかぁ、海も目の前やし、めちゃめちゃ遊べんな!」 「本当だ! 知らなかった……!」 「でも律くんは俺と遊ぶんだよ」 橘と並んで歩いていると間に由伊が割り込んでくる。 「ね、律くん?」 にっこりと笑いかけられ、律の背筋は自然とピシッと伸びてしまう。 ……なんか、分かんないけど威圧感……あるな。 律は苦笑いしながら、「み、みんなとも……ね?」と返した。 「りっちゃんは優しいなぁ〜! ほんま天使やわぁ〜」 由伊を避けて自分の隣に来た橘にわしゃわしゃと頭を撫でられ、「わ、わ」と声を上げた。少し気になって、チラリと由伊を見上げると由伊は橘の事を凄く怖い顔をして見ていた。 ……なんで由伊、機嫌悪いんだろう? あんまり楽しみじゃなかったのかな……。自分ばかりがはしゃいでいるようで、何だか恥ずかしくなった。手続きは全て仲野がしており、しかも、仲野のおばあちゃん家だからと言ってタダで泊まらせてくれた。ご好意でご飯もご馳走してくれるらしい。二泊三日でゆっくり出来る……! 嬉しいなぁ……。 女子組と男子組で二部屋に分かれる。女子組は仲野と、他仲野の友人二人の計三人。男子組は言わずもがな、律と、由伊と、橘の三人である。部屋に入り律は「わぁ〜!」と声を上げた。畳の部屋が一つと窓際にはテーブルと椅子が二脚ある。窓からは海が一望でき、要するに何が言いたいのかと言うとめちゃめちゃ素敵な部屋なのだ。畳の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、律は思わず由伊を見上げた。 「ね、素敵だね、ゆい!」 そう声をかければ、由伊はずっと無表情だったが律の顔を見るなり、ふわり、と微笑んで「そうだね」と言った。 「律くん、楽しい?」 由伊が笑ったのが嬉しくて、律はさっきの嬉しさの倍笑顔で「とっても!」と返した。 「なぁなぁりっちゃん、こっち来てみ! 海めちゃめちゃ綺麗やで!」 「わーい!」 子供みたいにはしゃいでいる自分に気づかず、律はてってってっと橘の元へ駆け寄り、窓から海を眺めた。初めて見る本物の海。……そうだ、俺、海に来るの初めてだ。ずっと忘れていたけれど、俺は海になんか来た事ない。来たいと思った事すらなかった。 別に何かがあって、来なかったわけじゃない。ただ、その時その時の自分たちに海に行くという選択肢が無かっただけ。写真では見たことがあった。けれど、こんな漣の音までは知らなかった。この旅館に来るまでのあの道の潮っぽい空気、味、……これは全部海があったからなんだな。 「夏やったら泳げたんになぁ、りっちゃん」 こんな当たり前の事を今更知った律は、暫く打ち寄せる波、うねる水面をずっと見つめていた。何を思うでもなく、ただ、ずっと、そこに何がある訳でもないのに、ずっと、見惚れていた。 「男子ぃ! 準備できた〜? 夕飯まで海行こうよ〜」 仲野の声が聞こえ、律達は急いで荷物を置いてそれぞれ薄着に着替えて女子と合流した。 律も半パンを履いてパーカーを羽織って暖かくして、皆の後に着いていった。浜辺はビーチサンダルで歩くとぱこぱこ、砂が足とサンダルの間に入ってしまう。なんだ、こんなに歩きにくいのか、なんて思う。みんなそれぞれ、寒い寒い言いながら水へと歩いていく。そりゃ冬だから、冬の海なんて寒い以外の何物でもないな、なんておかしくなった。 冬に海に来るなんて考えたこと無かった。でも案外来てる人は居るんだな。サーフィンをやってる人や、バーベキューしてる人、ただ遊びに来てる人がチラホラ見える。橘は仲野さんから任せられたテント張りをせっせと行っている。そこに皆で入り各々荷物を置き、再びテントから出た。 「ね、ビーチバレーやろ!」 日が照っていて、風は冷たいけどまだ暖かい。橘が仲野さんの提案にノリノリだった。 律はその様子にニコニコしながらテントの中で体育座りをする。 「え、宮村くん、遊ばないの?」 仲野に驚かれ、律は苦笑しつつ「うん」と頷いた。 「俺、行きではしゃぎ過ぎてちょっと疲れちゃったみたい。回復したら合流するから、それまで荷物番してるよ」 そう返せば、仲野は特に言及してくる事はなく「そっか、何かあったらすぐ言ってね」と心配した。橘はもうやる気満々で女子組とバレーを始めている。仲野もそこに合流しに行った。 「あれ? 由伊も行かないの?」 仲野の背中を見送りぼんやりしていると、いつの間にか由伊が戻ってきており、「おっこらせ」とおっさん臭い掛け声をぽそりと呟いて、律の隣にぴとりとくっついた。 「うん。俺もちょっと充電する」 「疲れちゃったんだ? あ、これじゃ橘と女の子達で一対三になっちゃうな」 橘が必死こいてボールを追っかけてるのが面白くて笑ってしまう。漸く自分が一人チームなのに気づいたらしい橘は、こちらを見ながらなにやら叫んでいる。けれど波と風の音でよく聞こえないので手だけ振っておいた。 「律くん、大丈夫?」 ふとそんな事を言われ、律は「え?なにが?」と返す。 「初めほどテンション高くないから、体調悪くなっちゃったのかと思って」 心配そうにそう言ってくれる由伊ににっこり笑う。 「……ううん。ちょっと疲れたのは本当だけど、全然元気だよ」 「じゃあなんかあった? 誰かになにか言われた?」 由伊は何故こんなに心配してくれるんだろう。俺そんな変な顔してたのかな。気を引き締めなきゃなぁ。 「ううん。何にも無いよ。ただ、ちょっと、怖いなって思っただけ」 「怖い?」 首を傾げた由伊に律は頷く。 そう、少し怖くなった。旅館の部屋の窓から見ていた時からずっと感じていた。終わりが見えない水の続きが怖いと思った。打ち寄せる波には足元を掬われそうで怖いと思った。 「……広くて、大きい海に……簡単に消されそうで……ちょっと怖いなって思っただけ」 吸い込まれたら二度と這い上がれない。波と戯れたい気持ちはある。けれど今はこうやって、水の届かない場所からはしゃぐみんなを眺めている方が断然楽しい。 「……そっか。終わりが見えないのは、何となく怖いよね」 穏やかに同調した由伊に、律はそっと寄り添った。 「……由伊、ちゃんと楽しい?」 「え? どうして?」 キョトンとした顔を向けられ、律はちょっと口を尖らせる。 「なんか由伊、時々怖い顔してるし、なんか……圧とか感じるから、本当はあんまり楽しくないのかと思って……」 そう言うと、由伊は「っはは」と吹き出した。律は何故笑われたのか分からず「え?」と混乱して由伊を見た。 「そうだよね、ごめん。大丈夫、すっごい楽しいよ。嫉妬しちゃうだけ」 「嫉妬?」 何に? 由伊が嫉妬しなきゃいけないことなんて何かあったかな。 「そ。律くんがあまりにも橘と距離が近いし、何だか仲野とも仲良しだしさ。俺が世界で一番律くんのこと好きなのになぁ〜、皆にもニコニコしちゃってさ〜って、嫉妬しただけだよ」 「な……っ!」 由伊はイタズラ顔でニヤニヤそんな事を言うものだから律はボッと顔が熱くなった。 「でもね、それ以上に律くんと話せる時間がちゃんとあるし、律くんもそうやって俺の事を気にかけてくれてるって分かったし、もうモヤモヤあんまり無いよ、大丈夫」 「……そ、そうデスカ」 そんな事を言われたところで、俺はただひたすらたじろぐしかないじゃないか。 ぎゅ、と顔を膝に埋めバクバクと動悸する心臓に気づき、頬も熱くなっていて暫く顔を上げたくなくなった。なのに……、 「大好きだよ、律くん」 そんな事を簡単に言ってくるから、このまま心臓が鳴り止まなくて過鼓動で死んでしまうんじゃないかと思うくらい、頭も心も混乱している。 波の音につられて、自分の瞳からも涙が出そうになった。何故かは分からない。 けど、泣きたい気分になってしまった。 「りっちゃん温泉行こぉ〜‼」 ウキウキで浴衣と下着を持ち楽しそうに行ってくる橘に、律はギクリ、と肩を揺らした。 え? ちょっと待って……そうだよ忘れてた……温泉じゃん温泉だよね? ……って事は、この腕の傷も見えちゃうってことだよね?やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいどうしよう、忘れてた。 バクバクと心臓が鳴り出して、サァッと顔から血の気が引く。俺のバカ、楽しみっていう気持ちでいっぱいになってて大事なこと忘れてた。こんなのバレたら、橘になんて言われるか─…… 「律くん、大丈夫。一緒に入ろ」 ふわり、と頭を優しく撫でられて律は思い切り首を横に振った。由伊は律の自傷痕を知ってはいるが、何故か「大丈夫」だと言ってくる。 「……お、俺……まだ気分じゃないから……あとで、いくよ……」 律が精一杯の笑顔を作り見上げると、由伊が優しく微笑んで律の耳元で小さく囁いた。 「……大丈夫。腕の傷は誰にもバレないようにしてあげるから」 「……え?」 由伊はにっこり笑って律の手をぎゅ、と握ってくれた。バレないようにって? どうやって? 左腕は、内側にびっしりあるんだよ……。 「りっちゃん行かへんの?」 しょん、と耳が垂れた犬のようにしょんぼりする橘に律は「え、あ……」とあたふたする。 本当に? 本当に見えなくしてくれるの? 俺、普通の人と同じくお風呂入れるの? 「俺らは一緒に入るよ」 由伊が代わりに答えてくれ、橘は「あー! またぁ! 俺を省くぅ‼」とジタバタしていた。本当に? 本当にいいの? ……由伊。 「……あ〜気持ちええな〜りっちゃん〜」 ぱちゃぱちゃと水面を叩いて遊びながら律は橘に「うん!」と返した。 「なんやりっちゃんご機嫌やなぁ」 優しく目を細められ律はまた「うん!」と返事をした。チラリと由伊に目をやると、由伊も優しく律を見ていた。さっきまで不安に思っていた温泉だったが、由伊のお陰で一気に楽しくて楽しくて仕方が無いのだ。由伊は大丈夫だ、と言って律を連れて脱衣所に来たが、服を脱ぐ前に一緒にトイレに連れてかれた。由伊は律の袖をまくって、ポケットからゴソゴソと何かを取り出して、せっせと手際よく律の左腕の傷を覆い隠す肌色のシールみたいなのを貼ってくれたからだ。今律の腕は皆と同じようにまっさらで何もなく見える。しかも、肌の色と酷似したテープで厚さも薄いから、貼ってます感もなく、本当に肌のようだった。 防水性だから剥がれる心配もないよ、と伝えれば彼は嬉し泣きをして由伊に抱き着いてきた。それだけ律は心から嬉しかったのだ。初めて友達と遊べて、楽しいって思ったのに傷のせいでできない事がある自分に凄くショックだった。 ……けれど、生きるためにやめられない、そう確信しているから、この先もずっとみんなとは自由に遊べないんだな、なんて諦めていた。 「りっちゃん温泉好きなん?」 「うん!」 きっと俺、今刺されても笑って死ねる。 「ゆい〜!」 「わ、どうしたの」 クスクス笑う由伊に、律の体の奥底からぐ〜って嬉しさみたいなものがせり上がってきて思わず由伊にぎゅうっと抱き着いた。湯船に浸かっているし、裸だし普通だったら気恥しいけど今はもうなんだっていい。なんだって、嬉しいのだ。 「あ〜! 俺にもぎゅーてしてやぁ〜りっちゃん〜」 「お前はダメ。近づくな」 「由伊はなんでそんな俺にきびしーねん‼ おこ‼ マジおこ‼」 ぷんすか騒いでる橘を放っておき、律は由伊にぎゅうと抱きつき頬を擦り寄せた。優しく撫でてくれる手が心地良い。なんか、……なんて言うのだろう、こんな気持ち。ずっとくっついていたい、ずっとそばにいて欲しい、ずーっと一緒にいたい。 あ〜、このまま時が止まればいいのに。 「律くん、そろそろ逆上せちゃうよ? 出ようか」 由伊の言葉に、確かに少し頭がぽわぽわしてきたな、なんて思う。 「りっちゃん、出るん〜。ほな俺も出よ〜」 「もっと入ってれば? 夕飯ぐらいは残しといてやるよ」 「お前は‼ このやろう‼」 由伊と橘の言い合いはもう律には慣れっこなので、とてとてと歩き、体を拭いて浴衣を羽織る。……が、着方が分からん。あれぇ? どっちが前だっけー?あせあせしていると、「お、りっちゃん浴衣かわええなぁ〜似合っとるわ〜」と褒めてくれた。 「た、橘……浴衣きれるの⁉」 見上げた橘は簡単に浴衣を羽織り、もうフルーツ牛乳なんか飲んでいた。 「なんやねんりっちゃん、着方分からんの? どれどれ、こっち来てみ〜」 橘にするすると手際よく着せてもらった律はポカンとする。 「まぁ、着慣れとるからな〜。ほれ、コーヒー牛乳飲むか?」 「すごい……ありがとう!」 橘から買ったばかりのキンキンに冷えたコーヒー牛乳を受け取り、こくこくと飲む。 え〜! なにこれ美味しい! っていうか、なにこれ! めっちゃ温泉感ある‼ また心がキラキラしてきて、律はあまりの楽しさに由伊を振り返る。 「ゆい! たのしいな!」 そう言うと、由伊はまたクスクス笑って「たのしいね律くん」と頭を撫でてくれた。 浴衣のせいで高校生にしては無駄に色気の出た由伊と、浴衣が何故か似合っている橘を連れて廊下を歩けば、他の宿泊客からの視線が痛かった。二人はそんな視線なんて気にもせずなにやら言い合っているが、律は周りの視線の方が気になってひたすら俯くしかなかった。足早に部屋まで向かうと、女子達が律らの部屋に集合していてもう夕飯が運び込まれていた。 「お〜! 美味そうやなぁ〜!」 「でしょ! ほら早く座って座って!」 仲野が楽しそうに手招きしてくれるので、律たちはそれぞれ女子と対面する形で腰を下ろす。律は仲野が連れてきた友人の前だった。……名前、なんだっただろうか。 「宮村くん、浴衣似合うね〜! 可愛い!」 「そ、そうかなぁ? ありがとう……」 何だか照れくさくて少し顔が熱くなる。皆で和気藹々と改めて挨拶し合い、仲野の声掛けで「いただきます」と手を合わせて食べ始めた。仲野は前に座る橘と仲良さそうに話し、由伊は目の前に座る、綺麗な女子とお互い無表情で食べていた。 「宮村くん、私の事知ってる?」 律の前に座る女子は、ふわふわしていて何だか穏やかな感じの子。仲野以外の女子メンバー内では唯一話しやすそうだなと思っていた。 「……えっと、ごめん……」 気まずくなり目を逸らすと、女子は大胆に「あははは! だよねぇ!」と笑った。 「私は、雨寺 リコだよ! 私たち名前似てるな〜って思ってたんだ〜!」 「ほ、ほんとだ……! にてるね……!」 初めて会った時点で一回皆で自己紹介していたが、律は別のことに夢中で全然仲野以外の名前を覚えてなかった。なのに、怒らないでまた教えてくれた。いい人だ……! その後も律たちはああでもないこうでもない、と他愛ない話をしてご飯を食べた。 こんなに食事が楽しいと思ったのは、かなり久しぶりな気がする。 律はとっても嬉しくなり、ニコニコした。 ああ、腹が立つ。着いてくるんじゃなかった、と由伊は朝から後悔していた。橘は律に無駄に触りまくるし、仲野は無駄に女連れてきていたし、風呂でも橘は律と仲良さそうにしていたのだ。それより何よりも、全てにおいて満更でも無さそうな律のあの笑顔に由伊は酷く腹を立てていた。別に律の不幸を願っているわけではない。寧ろ、彼にはずっと、笑っていて欲しい、明るく元気に過ごしていて欲しいと思っている。 けれど、それは自分が彼を笑顔にしてあげたい、幸せにしてあげたい、という思いなだけで、誰彼構わず愛想を振りまいて欲しい訳では無いのだ。 しかしこれは由伊の傲慢であり自己中な思考だ。押し付ける訳にはいかないし、クソ可愛いがクソ腹立ってしまう。チラリと楽しそうに話す律と、律の前の女をみて由伊は「はぁ……」とため息を吐いた。内心、嫉妬でイライラしつつも空気を悪くするわけにはいかないと思い、無表情で食べ進めていると、ふと目の前の女が由伊に話しかけた。 「……私達もなんか話しとく?」 とても面倒くさそうにつまんなそうに話しかけられ、由伊はポカンとする。 「……え、別に話すことなく……ないよね?」 あっぶね。口調が荒ぶるところだった。 「だよね。じゃあ料理美味しいね」 はあ? 話すことねぇっつってんだから無駄に話しかけてくんな。俺は律くんと話してぇのに…… 「そうだねぇ〜とっても美味しい」 にっこり笑って返すと、女はじっと由伊を見て「ぷっ」と吹き出した。 「下手くそ」 「……え?」 女のセリフが理解出来なかった由伊は箸を止め、女を見つめる。 「愛想笑い、クソ下手くそだって言ったの」 意地悪そうな顔で笑われ、由伊はにっこり笑った。 「ありがとう。とっても嬉しいな」 この女、うぜ。 「隣の子にバレないといいね」 見透かしたような笑みで言われ、由伊は少し、どき、と胸が鳴った。 こんな女に身の上話する気は無いからとりあえず黙って笑っておいたけれど、まさか、バレてるとは思わなかった。何も隠す気はないからいいんだけど、そんなに顔に出てたか? 俺……。由伊はこれ以上この空間に居たくなかったので、早々に「ごちそうさま」と声を掛け、立ち上がった。 「あれ? 由伊、どこ行くの?」 不思議そうに見上げてくる彼が可愛くて可愛すぎて今すぐ押し倒したい感情に駆られたがそれらをいつも通り心の奥底に押し込め、笑顔を作る。 「ちょっと外の空気を吸いに」 くしゃり、と彼の頭を撫でて部屋を後にした。 廊下を歩き、浴衣のままベランダへと出る。冬の外はやっぱり寒くて、浴衣じゃぶるぶる震える。まあ館内が少し暖かすぎて暑いくらいだったので、今は少し涼しい程度だけど、あんまり長居は出来ないなと感じる。頭を冷やすくらいなら、丁度いい。苛立ちが収まらなくて、困っていた。自分がこんなにも嫉妬深い男だとは思わなかった。 ひたすら彼しか見ていない。彼基準の生活が心地よくて大好きなのだ。こんな日々を失いたくない。彼が好きになってくれるのを待つと言ったけど、中々にキツイものが由伊にもある。由伊は律に「絶対触らないで」って言われたら、腕を切り落とす覚悟くらい出来ている。むしろ、律の嫌がる事をしてしまいそうな自分の方に嫌悪すら抱いてしまうから、仕方なし、喜んで四肢を差し出そう。 「あ〜もう監禁しちまおうかな」 「誰を?」 「り…………って、え⁉」 いきなり聞こえた女の声に、由伊は驚いて隣を見た。 「寒いんじゃない? 息白いけど」 先程由伊の前に座っていた女が、鼻の頭を赤くしてぷるぷる震えながら俺の横にちょこんと、座った。 「ほら、これ渡しに来た」 何も話していないのに、女は由伊にダウンを渡してくる。 「あれ、これ俺のじゃん」 自分のダウンを手に取り、ポカンとする。 「私が余計なこと言ったから出てったのかと思って、罪滅ぼし」 相変わらずの無表情で話す女は、いかにも寒そうだった。そんな自分は何も羽織るものを持ってきてはいないらしい。 「……別にいいよ。てか、君のせいじゃないし」 由伊は「はぁ」と息を吐いて、女の肩に自分のダウンをかけた。 「……これ、私がアナタのために持ってきたんだけど」 キョトン顔で言われるも、由伊は女から視線をそらし白い息を吐きながら返す。 「いいよ、お前が熱なんか出したら仲野がビービー煩いだろ」 仲野とは極力関わりたくねぇし。 「……ふふ」 女は静かに笑う。 「……素が出たのに、優しいのね」 「あ?」 「言葉遣いと愛想笑い、止めたんだ」 そう言われ、そういえばそうだな、なんて思い出す。 「今は律くん居ねーし、取り繕っても無駄だろ」 「……私が言いふらすかもよ?」 「そしたら、今度はこっち路線で律くんを口説くから別にいい」 「……ふへ、一途だね」 変な笑い方をした女は楽しそうに言う。 「……お前もう戻れよ。俺も戻るし」 そう言って立ち上がると、女はキョトンとする。 「いいの? 戻ったら、捕まるよ?」 「は? 何に?」 捕まるって、何かあったっけ? 「今、アイリ達王様ゲームする事になってるから……逃げてきたんだけど」 「はあ⁉ 王様ゲーム⁉ お前それ早く言えよ! 律くんなんて恰好の餌食だろうが‼」 王様ゲームなんて、合コンのイチャコラ定番ゲームだろうが。彼に何かあったら、と苛立ちと不安に襲われ慌てて館内に戻るため足を進めた。女も後ろからてってっと着いてくる。 しかし、女は手と足が悴んだようで上手く歩けていない。 「おい、早くしろ」 冷たくそう言うと、女は少しムッとした顔をして「先行けば……わっ⁉」と言ったかと思ったら、案の定ずっこけていた。 「うぅ……」 その場で蹲り足を抑えている。 「はあ? なんなのお前マジで……」 早く行かないと彼が脱がされてしまうかもしれないのに。王様ゲームなんてあんな野蛮なゲーム彼にはさせられない。 「いいよ、私歩けるから。早く行きなよ」 女は無表情で由伊を見上げる。女の方も由伊の手は必要としていないのだろう。 ……どう考えても大丈夫じゃねぇだろ。膝小僧も手も擦りむいてるし…………てか、 「……なんであのコケ方で、デコまで擦りむくんだよ……」 由伊は女の姿が間抜けすぎて思わず笑ってしまった。 「……はは、ほら、冷たくして悪かった。おぶってやるからおいで」 彼の事でいっぱいになっていて、女に冷たく当たり過ぎた。どう考えてもただの八つ当たりだ。確かに律以外の人間はどうでもいいが、それにしたって冷た過ぎただろう、と由伊は反省し、手を差し伸べた。自分の周りにうじゃうじゃ湧いて出る、転んでか弱いアピールする女より遥かにマシだ。 「え、いい……大丈夫……っ」 女は急に焦って首を振っている。何をそんなに遠慮しているのか知らないが、何処と無く律に似た女だと由伊は薄ら思った。 「そんな首振っともげんぞ。ほら早く来い」 早く律くんのとこ行きてぇんだから。由伊は無理矢理女の手を掴んで、おぶるのは諦めて前に抱えた。いわゆるお姫様抱っこ。女は軽く、ヒョイッと簡単に持ち上がった。そのまま館内に入り、フロントで救急セットを頼んでいると後ろから、「……ゆ、ゆい?」と戸惑う声が聞こえた。 「律くん⁈」 由伊が、効果音が付きそうな程ギュインッと勢いよく振り向いたせいで、女が、「うわっ」と声を上げた。 「あ、悪ぃ」 「……いや、……ふふっ……アトラクションみたい……っ」 コイツマジで変な女だな。女が肩を震わせて笑ってるのを無視して、由伊は律に駆け寄る。 「どうした? なんかあった?」 心配になって話しかけるも、律は何故かぽーっと由伊を見上げたまま黙っていた。 「どうしたの? 律くん、なんかあったの?」 律の様子を不審に思い、顔を近づけると、律は「わぁ!」と心底驚いて声を上げて由伊と距離を取った。何故か物凄く焦っているように見える。 「……な、なんでもない! ゆ、由伊と笹原さんが帰ってこないって皆が言うから、代わりに呼びに来ただけ……!」 「そ、そっかぁ、ごめんね。今戻る所だったんだ」 なにかされたんじゃなくて良かった。何かあったら全員ぶっ殺だかんな……。 「お客様お待たせ致しました。こちら、絆創膏と湿布でございます。……それから、何かございましたらこの近辺の病院も紹介出来ますので」 「ありがとうございます」 係の人から受け取り、由伊はロビーのソファに女を下ろす。 「あとは、自分で出来るよ」 女は由伊を見上げ、絆創膏を寄越せと手を出してきた。 「あ、そう? じゃよろしく」 それを渡す寸前で気づく。 「……そのデコぐれぇ貼ってやるよ。見えねぇだろ」 額の擦り傷は無理だろうな、と思い絆創膏の一枚を女のデコに貼ってポンッと叩く。 「ほれ、間抜け」 そう言ってやると、女はムッという顔をして「……どーも」と呟いた。 由伊は急いで立ち上がり、律を振り返ると、そこにはもう律が居なかった。 あれ? 部屋戻ったのかな。由伊は特に何も気にせずそんな呑気な事を思いながら女を置いて、部屋へと向かう。あ、戻る前に自販機で飲み物でも買って行こう。律くんわざわざ来てくれたし、お礼に……。甘い物なら好きだよな。ココア好きだったよな。 ピピッと電子音が鳴り、二人分の缶のココアとコーヒーを買った。ガチャリ、と扉を開けると中から賑やかな話し声が聞こえてくる。 「あー! 由伊やん! もうどこ行っとったん⁉ あれ? 笹原ちゃんは?」 橘の問いかけに「ロビーで休んでる」と適当な事を言い、由伊は足早に律の元へと向かった。 「律くん! あったかいココア買ってきたけど飲む?」 「要らない」 「……え?」 ココアを差し出すと、律はぷいっとそっぽを向いて由伊を拒絶する。 ……あれ? ココア嫌いだった? ……いや、てかなんか機嫌悪くね……? 由伊は予想外の事に固まっていると、橘がこっそり近づいてきて耳打ちしてくる。 「……りっちゃんな、お前の事呼びに戻って来た後からずーっとあんな調子やねん。お前何したん?」 橘に困ったように言われるが、由伊の方が困っている。 え? 何それ俺のせいなの? 俺なんかした?思い返しても、夕飯の時に勝手に抜け出したことしか思い浮かばない。それより、ずーっと女とイチャイチャ話してたのは律くんだしそのせいでイラついてたのは俺の方だ。せっかく頭冷やして戻ってきたのに、なんで機嫌悪いんだ。 「律くん、どうしたの? なんかあった?」 「はあ? あるわけねーじゃん。ていうか、笹原さんは? なんで一緒に連れて帰ってあげないの?」 ジトリと睨まれ、由伊は驚いた。彼からこんな敵意向けられたの初めてだ。 「……いや、あの人はなんか、このままロビーで休むっていうから……」 「はあ? ロビーなんて寒いとこで女の子一人にさせてんの? 有り得ない」 「いや、あの子がそうしたいって言ってんだから関係ないでしょ」 律くんあの女のことばっかり心配してる……なんで? 何が気に食わないの? 律くん、あの子の事が好きなの?だから一緒にいた俺のことがこんなにも気に食わないの? そういうこと? ……ムカつく。 「なぁ二人とも落ち着けや。部屋の雰囲気最悪やで? そんな笹原さん気になんなら俺迎えいったるわ、な?」 橘が気を利かせてそんな事を言ってくる。 「どうしたの? 宮村くんも由伊くんも……。喧嘩したの?」 仲野も困ったように聞いてくる。 「別にしてない」 拗ねたような律の態度に由伊は「はぁ……」とため息を吐いて体育座りで顔をこちらに向けない律を見つめる。 「ねぇ律くん、どうしたの? 俺なんかした? どっちにしろ、ここじゃ喧嘩出来ないから隣の部屋行こう」 流石の由伊もこんなにギャラリーのいる所で喧嘩する程モラルが無いわけではない。それに、何が彼の気分を害したのかゆっくり聞きたい。俺が原因なら謝るし…………てか、確実に俺が原因だなこれは。一体、どうしてしまったのだろうか。由伊は悶々とした思いを抱えつつ、律の肩を抱き隣の寝室へと律を連れた。大人しく由伊に着いてくる何故か機嫌の悪い律は、隣の寝室に移動するとすぐに布団にくるまって完全に由伊を拒絶した。

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