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第9話

束の間のゴロゴロタイムを終え、律たちは女の子達の呼び声に急いで準備をした。 旅行二日目の朝。今日は皆で観光をするらしい。律はリュックを背負ってワクワクしていた。色んなものを皆で見られるのがこんなにも楽しみだなんて、子供みたいで恥ずかしいけれど、隠すことも出来ないのでニコニコする。由伊には「律くん、ニコニコだね〜」なんて笑われて少し恥ずかしいけれど、それよりも楽しみが勝っている。お土産沢山見て、それで、……あの人にも買って帰りたい。きっと、年末年始には帰ってくるだろうし……。 仲野の声掛けの下、バスを乗り数分した所で目的地に到着した。順々に降りて、少し歩き仲野は立ち止まる。 「それでは仲野、ツアーガイド始めまーす!」 意気揚々と手を挙げ、仲野が楽しそうに声を上げた。 「よーっ! 待ってましたあー!」 橘がオッサンのような合いの手をし、女子がくすくす笑う。皆で入場料を払い、入場する。仲野は皆が入れた事を確認し、左手を景色へ向け口を開いた。 「ここは、江戸時代に創設され、歴代の将軍に愛されたと言われている由緒ある庭園なの。東京湾の海水による都内唯一の海水の池と、水上の茶室なんかがあるのよ」 剪定された緑に囲まれ、大きな海水の池とその奥には都会らしい高層ビルが立ち並んでいる。この景色はまさに、都会だからこそ見られる景色という物なのだろう。緑なら緑、と自然と切り離された訳ではなく自然と人工物の融合というのは何とも、風情があるな、と律は思った。 「春は梅や桜が見られて、秋は紅葉を楽しむことができるのよ! 生憎この季節だと、裸の枯れ木に雪が積もった所しか見られないんだけれど」 それでも十分幻想的だと思う。寒いのは嫌だけど、雪が降り積もった後のここの景色を見てみたいと思った。 「律くん、あの池に浮かんでいるのが御茶屋さんで抹茶とか飲めるらしいよ」 由伊はいつの間にかこの庭園のパンフレットを手にしていて、それを見つつこっそり教えてくれた。 「そこぉ〜カンニングペーパー禁止やで」 ジロリと見られ、「み、見てないもんねぇ?」と慌てて由伊に言うと、由伊はにっこり笑って「見てないよ〜」としらばっくれた。 「嘘下手すぎやろ自分ら」 橘に呆れた顔をされ、仲野達に苦笑された。 「さ、次行くよ!」 仲野はどんどん歩いていく。律たちはキョロキョロ辺りを見回しながら着いて行った。 「由伊、意外と好きなの? こういうの」 心做しかキラキラとした目をしている由伊に、何となく聞いてみると、由伊は照れくさそうに微笑んだ。 「……うん、少しだけ興味ある」 そんな隠さなくても、律も好きだよって思ったけれど何となく照れている由伊が可愛かったので、「そうなんだ」って笑って返しておいた。 「これが、川につながる内堀で、当時の船着場とかもあって、資材や物資の運搬が行われていたんだって。当時の人が一つ約六○キロの岩を手作業で積上げたと考えられるんだけど、凄いよねぇ」 その説明に「凄いなぁ」と感心する。 「六○キロって、りっちゃん何個分やろな」 「なんで俺を単位にしたんだ」 ムスッとすると、仲野さんに「宮村くん細いもんねぇ〜」と笑われた。 好きで細いわけじゃないんだけど!何となく、助けてくれるかな、と由伊をチラリと見たけれど律たちの会話は耳に入ってないらしく、キラキラした目で内堀を見ていた。 ……本当に好きなんだ、こういうの。律は新しい由伊の一面を知れて、嬉しかった。 「ここが園内に二か所あるうち一つの水門。ここから東京湾の海水を調整して、引き入れ池にしているの」 その案内を聞きつつ、池を覗くと何かが動いている。 「仲野さん、何かいる!」 少し興奮気味に覗き、律が興奮すると仲野はクスクス笑いながら教えてくれた。 「そうなの。フナムシとかカニ、フジツボとか海の生き物がいるのよ。海水を引いているから、普通の池では見られない生き物がここにはいるの」 凄い‼どれがフナムシで、フジツボなのかイマイチ分からないが凄い‼ 「宮村くん、生き物好きなの?」 笹原に話しかけられた律は少し考える。 「う〜ん? 好きっていうか、見ると、わぁ動いてる! って思う」 そう返すと、笹原は笑いながら「面白いけど、その気持ち少しわかるかも」と言った。 「最後に見てほしいのが此処よ」 辺りを一周し、大方案内をし終えたらしい仲野は、手を伸ばして景色を指した。皆が目を向け、そして感嘆の声を漏らした。 「わぁ……」 目の前に広がる、淡い黄色の小さな花々。咲き乱れているわけではないのに、可愛らしい粒のような花々が木に咲いて立ち並んでいた。 「今咲きはじまったのは蝋梅(ろうばい)っていう花。聞いたことあるかな? 中国からきた花なの」 ここから見られる広大な面積に咲いた蝋梅の美しさは圧巻だった。特段、花が好きでこだわりがあるわけではないし詳しい訳でもない。けれど、生で見る花畑というものはやはり心にくるものがあった。 「春は、約一〇〇本以上の八重桜が楽しめたり、菜の花が咲いて、その甘い香りで心を落ち着かせてくれるの。一面に広がる黄色と黄緑のコントラストは圧巻なのよ! 夏は、ツツジが咲いて爽やかに庭園を彩ってくれるの」 楽しそうに説明してくれる仲野は、本当にこの庭園が大好きなんだろう。 「仲野さんはどうして、そんなに詳しいの?」 純粋な疑問を問いかければ、仲野は微笑みながら言う。 「おばあちゃんがね、もうすぐ引退しなくちゃいけないの。歳も歳だし、無理はさせられない。おばあちゃんの仕事は、あの旅館を切り盛りする事と旅館に来てくださったお客様に少しでも多くのおもてなしを、って独自に始めたのが周辺の観光スポットの研究なの」 微笑みながらも、何処と無く寂しげにそう言葉を紡いだ。 皆が黙って聞いている。くしゃりと笑ってくれた仲野の祖母を思い出して、胸がきゅう、と切なくなる。 「大好きなおばあちゃんの、大好きな仕事を廃らせるわけにはいかないでしょ、孫として」 最後は明るく、言い切ったその逞しさと眩しさに律は思い切り頷いた。 「仲野さんの存在は、おばあちゃんにとって自慢で誇りだね」 「……そうだと、いいな」 じんわりと頬を赤くし、照れくさそうに言う仲野に女子達も橘も同意して全員に笑顔が溢れた。誰かの誇りであり、自慢となれる存在になれることは誰もができる事じゃない。 それを自ら選び、実行出来る力を持つ仲野は紛れもなく凄い人である。 「ねぇ律くん、ツツジって食べれる花だっけ?」 「へ?」 感動の雰囲気だったところに、いきなり由伊の脈絡のない話が飛んできた。その場にいた全員が、ぽかん、と由伊を見ている。 「確か、蜜が吸えるのってツツジじゃなかったっけ? ツツジに似た何かだっけか? 小学校になかった? 吸うと甘くて美味しいやつ」 「えっあったと思うけど……なんで急に?」 今めちゃめちゃ良い青春のワンシーンだったと思うんだけど……。 皆も珍しい由伊の奇行になんだなんだ、と注目している。 「え? なんで? 今お花の話してなかった? ツツジが咲いてるって聞こえたから、そういや吸えるよなこれって思ったんだけど……」 「自分なんっも話聞いてへんな。 今、感動の一ページが捲られたとこやってんけど」 橘は、やれやれ、と言った顔で由伊の肩に手を回す。 「え? そうなの? ごめん、聞いてなかった」 由伊は悪びれること無くまた携帯に目を落とす。 「由伊くんて、こういう社会科見学とか自然探索とか好きなんだね。意外」 仲野の面白そうな声に、確かに、と思う。今の由伊、好奇心に勝てない子供みたいでなんか可愛い。 「ね、ほら律くん、この梅は身がなるのかな? なったらさ、梅酒にしたら美味しいよね」 「いや、未成年だろ」 由伊に突っ込むなんてあんまり無いから新鮮でなんか嬉しい。無邪気にはしゃぐ由伊に、楽しんでくれているのを感じ律はこっそり安心した。 「じゃあ、案内したいところも終わったし自由解散で各々好きに見てまわりましょうか。お夕飯までには旅館に戻るように!」 じゃあ解散、というあっさりとしたセリフに各々動き出す。けれど、橘の声が皆の動きを止めた。 「なあなあ折角やし、違う奴とも組まへん? こんな時しか仲良くなれへんやろ?」 橘の言葉に明らかにムッとする由伊。けれど、口は出さなかった。 「グッチョで決めて、グー組とチョキ組で分かれて前半後半動こうや!」 「わあいいね! 楽しそう!」 「同じメンバーだと確かに皆で来た意味無いもんね」 女の子たちは乗り気で、律たちの同意を嬉々として待つ。 「そうだね、そうしよう」 意外にも先に動いたのは、律よりも由伊だった。皆が目を丸くする。何だか今日の由伊は変だ。いつもなら真っ先に知らない人と動くのは嫌がるタイプなのに。いや由伊はいつもどこか変な感じだけど、今日は特に変だ。驚いた橘に、「熱でもあるんか?」とおでこに手を当てられている。 「じゃ、じゃあ俺も……」 律は慌てて皆の元へ行き、グッチョのジャンケンをした。 「グッチョーで、きめまーしょ」 全員ハモリ、手を出す。すると、 「あ、俺グーや」 「俺も」 「私も」 橘、由伊、仲野さんがグー組で、 「私はチョキ」 「俺も」 「私も」 雨寺さん、俺、笹原さんがチョキ組だった。 「お、りっちゃんハーレムやん」 橘の台詞に、律は少し顔が熱くなる。 「そ、そんなんじゃないでしょ!」 強めに否定すると、「はい、可愛ええ可愛ええ」と投げやりに頭を撫でられた。 なんだそれ! 子供宥めるみたいに‼ 少しムスッとしていると、雨寺はこっそり律に話しかけた。 「私たちで大丈夫? 由伊くんと、私、交換しよっか?」 「えっ なんで‼」 まさかのセリフに律が目を丸くすると、雨寺は「あ、いや、由伊くんと宮村くん仲良しだから男一人はアレかなって思って……」と少し視線を逸らしつつ言った。 ああ、なんだ。配慮してくれたのか……。てっきり、昨日の行為がバレたのかと思った。 「ううん。大丈夫だよ、折角皆できたんだし、俺皆とも話したい!」 そう言うと、雨寺も笹原も嬉しそうに頬を緩ませていた。 「じゃあ、各自自由行動ね! 十五時で区切りをつけてメンバー交代しましょうか。場所は追って連絡するね」 その言葉を合図に、みんなはそれぞれ行きたい方向に向かって歩き出した。 律達も観光パンフレットを見つつ、歩き出す。 「宮村くん、どこ行きたい? 私、ここのソフトクリーム気になってるんだよね〜」 「俺、特に無いんだよね。笹原さんはどこかある?」 「……強いていえば、お腹減った」 笹原の言葉に、律と雨寺は「確かに〜」と声を合わせた。 そろそろお昼時だし、朝から歩きっぱなしだし疲れもあってそろそろ休憩がしたい。 「じゃあどこかに入ろうか。食べたいものある?」 二人に聞くと、「パスタ!」と二人でハモっていた。律は「仲良しだね」と笑い、パスタのお店を探す。 「あ、ねぇここ有名らしいよ? イタリアンのレストラン」 「高いかな?」 「ううん、コスパも良くて有名なんだって。ファミリー向けって書いてあるからそこまで高くないと思うよ」 「じゃあそこにしよう!」 三人の意見が簡単に一致しトントン拍子に進んで行く。目的のレストランをキョロキョロしながら探す。不意に何かの視線を感じ、律は振り返った。後ろはただの商店街があるだけで、特に怪しいと思う人物は目に入らなかった。 「どうしたの? 宮村くん、看板見っけた?」 雨寺に声をかけられ、「あ、ううん。見かけたような気がしたけど、なかった」と誤魔化すことにした。……今、誰かに見られていた気がするけど、気のせいかな? 「あ、看板みっけ!」 駆け寄る雨寺に、律は気を取り直して笹原と後を着いていく。扉を開ければ、鈴の音と共に美味しい香りが漂ってきた。もうお腹が最高にペコペコだ。先程の視線は気にもせず、律達は店内へと入った。 心配だ。とにかく心配だこういう時、神様が自分に味方してくれないのがめちゃめちゃ腹立たしいほどに心配だ。 「由伊、りっちゃん居なくなった途端しかめっ面すんのやめや」 橘に文句言われるがどうだっていい。心配なものは心配なのだ。 「なぁ、橘。俺、律くんのストーカーしてくる」 「おーい、堂々と友人のストーカー宣言を見逃せってか? やるなら黙って行ってくれや」 呆れた顔をされるが、由伊は至って真面目だ。 「何がそんなに心配なの? リコもユリも、由伊くんが宮村くんの事好きだって把握してるから大丈夫だよ?」 仲野の言葉に「ちげぇよ」と強めの口調で否定した。 「お前ら気づかなかったの? 律くん、ずっと誰かに着けられてんだよ」 「えっ⁈」 「はあ⁈」 やっぱり気づいてなかったらしい。庭園を散歩してた時からずっと、自分達の後ろに誰かが居た。初めはまぐれかと思ったが、さっき解散した時明らかにストーカーは律のグループへと付いて行った。 「あの中で一番可愛いのは律くんでしょ? あのストーカーは絶対律くん狙いだから、ストーカーのストーカーしてくる」 「おい、ちょ待てや!」 橘に腕を掴まれ、「なに」と不機嫌丸出しの態度を取る。 「ならなんで、俺がグループ分けしよて言うた時止めへんかったん? 危ないやん!」 危ねぇから今行かせろっつってんだろうが。 「明確にソイツが誰を狙ってるのかを定める為っていうのと、あの時は、絶対に律くんと一緒になれると思ったし、律くんがあんまりにも俺の顔色伺ってくるから不憫で……」 「お前が態度に出しすぎんねん普段から」 昨日と打って変わって叱られ、図星ではあったがムッとする。 「だから、守りに行くんだって。お前達は遊んでていいよ。俺は律くんのとこ行く」 「なら、あたし達も行くわよ。もしかしたら、宮村くん狙いじゃないかもしれないし」 仲野の言葉に、そんなわけあるか、と苛立ったがもうコイツらに構ってられないので由伊は勝手に歩き始める。律の背中を追いかけ律達を見つけた。何かしらで連絡を取った方が良いと思い、携帯を取り出した時、「ねぇあれ、怪しくない?」と仲野がコソッと囁いた。 「……ホンマやなぁ。レストランの周辺ウロウロして中チラ見しとる」 あからさまに怪しい人物は、周りの人間にもチラチラ見られながらレストラン内に居る律達を覗いている。 「どないする? 声でもかけてみるか?」 橘の問いに、考える。今ここで声を掛けて、狙いを聞くのもアリかもしれないが逆上されて彼を襲いに行かれても困る……。 「……相手の狙いが誰なのか、明確に分かるまで俺は動かない」 そう答えを出すと、橘も仲野も眉を寄せる。 「……まるで、宮村くん以外はどうでもいいって言ってるみたいね」 不機嫌な声音に、当たり前だろう、と言いたくなるが、橘の目が「言うな」と制止してきたので、特に返答はしなかった。彼以外なんてどうだっていい。他人や、俺が傷つくことはどうだっていい。あー、でも身内はちょっと嫌かもしれないな。けれど、彼が笑えるなら何だって構わない。由伊は今、目の前の怪しい人物を殺せと言われたら、躊躇なく殺せるくらいの覚悟は、出来ていた。 「そんな気になるんやったらいっその事合流してまえばええんとちゃうの?」 痺れを切らした橘は、怪しい人物から目を離さずに提案してくる。由伊だって出来ることならそうしたい。……けれど。 「出来ることなら俺だけ見てて欲しいし俺以外と話して欲しくなんか無いけど、それは俺が押し付けてるだけで律くんの幸せじゃないから」 止めたのだ。自分の感情を無理矢理押し付けることは。彼を泣かせてしまってから、由伊はだいぶ考え方に変化が現れた。何事も律基準なのは変わらないけれど、そこに『律くんが幸せになれるか』というのがプラスされた。今までは、キミが好きだから誰とも話さないで! って考えをわがままな子供みたいに押し付けていた。けれど今は、その考えを彼にぶつけて彼は幸せだと思えるのか? 笑ってくれるのか? また、泣いてしまうんじゃないか、そう思うようになった。 ……好きな子の怯えた涙を見てちょっとトラウマになったってのも無きにしも非ずなんだけど。 「ほぉ〜なるほどな。だから下手に手出せへんのか」 ニヤニヤ笑ってくる橘にムッとする。 「……でも、いつか疲れちゃわない?」 仲野の遠慮がちなセリフに「何が」と冷たく返した。正直にいえば由伊は出来る限り仲野とは話したくないのだが、律とは仲直りしており、邪険に扱い過ぎると律が悲しむと思って振られた会話に返答はしてやっている。本当は、彼を傷つけたこのクソアマなんて消えればいいと思っている。この女がなんの処分も受けなかったのは、カツラギがこの女が犯した罪を全て被ったかららしい。それは仲野が指示したのか、カツラギが独断でやったのかは分からない。けれど、犯罪者は罪を償うべきだろう。のうのうと笑って生きているこの女が、由伊には憎かった。できることなら自分で、と思ったが会長に「それで被害者の彼が喜ぶのならお好きに」と言われて何もできなかった。 「どっちかが我慢しなくちゃ成り立たない関係は、いつか絶対ガタがくると思う」 だったら何なんだ。ガタが来たら、その時終わるだけじゃないか。彼が自分を好きになってくれる可能性も今や、よく分からない。彼は、俺が優しくするから甘やかしているから懐いているだけであって、恋愛感情なんかじゃないんだろう、と薄々思ってきている。 懐いてくれているのは純粋に嬉しいけれど、きっと自分の「好き」に答えが返ってくる事はないんだろうな、と半分諦めの境地だ。 「……なら、終わりだと思う時まで好きでいるだけでしょ」 好きになって欲しい、本当の意味で心を許して欲しい、全てを自分だけにさらけ出して欲しい。……けれどそれは、律くんは望まない事なのかもしれない。 怪しい人物はやがて、レストラン横の路地にしゃがみ律達が出てくるのを待ち伏せしようとしていた。武器を持ってそうな素振りも無く、ただずっと宙を見つめて待っているだけのようだった。サングラス、マスクに帽子、という防御っぷりで顔はちっとも分からないが背格好で恐らく男性だということが分かる。あの男は誰になんの用があるのだろうか。 ただのストーカー?いずれにせよ、害のある人間は排除しなければならない。 「由伊、あんまりっちゃんを理由にして道から外れようとすんなよ」 いつの間にか強く握りしめていた拳を、ぎゅっと握られる 「狂うのはかまへんけど、そこにりっちゃんを巻き込んだらあかんで。あの子は、一生自分を責め続けるようになってまう」 真っ直ぐに見つめられ、初めてまともに橘の目を見た気がする。律くんにしか興味が無い、律くんだけを見ていたい。……けど、その押し殺している気持ちでさえも、否定された気がした。何故こんなに、俺の感情は邪魔だと言わんばかりの扱いを受けるのだろうか。 明確に、橘は由伊を否定なんかしていないのだろう。だけど由伊自身が勝手にそう思ってしまうのだ。本当は、自分自身、自分の気持ちは間違っていると心の何処かで感じているから。 「ねぇ、出てきたわよ」 一時間ほど待機していると、律達は満足気な顔をして出てきた。それと同時にやはり男も動き、後を着け始めた。 「やーっぱり、りっちゃん達を着けとるんやなぁ」 本当に、何故律くん達も気づかないのか。気配を感じないか?律くんは気づかなくても、女二人は気づくだろう。っつーか、誰か一人くらい気づくだろうが。律達を着け狙う男の後ろを着いていく。怪しい行動をしている訳じゃない。ただずっと、付け狙っているだけのようだ。 「あ、リコ達がお土産ショップに向かったわ。宮村くんが一人になっちゃう」 仲野の声に、ドクドクと心臓が鳴る。今すぐ飛び出して、彼を抱き締めたい。 律は女二人がキャッキャしながらショップに入って行ったのをニコニコしながらゆっくり一人で歩いて向かっていた。一人になればストーカーからしたら絶好のチャンス。いつ襲われるかも分からない緊張感に、由伊達はごくり、と生唾を飲み込んだ。……しかし。 「一向に動かへんな」 そう、男は律をずっと見つめ、一定の距離を保ち襲うことも無く、写真を撮ることもなかった。9律は、楽しそうに女を見つめて時折話しかけられて返答している。襲うチャンスはいくらでもあるくらい無防備なのに、男は全く動かなかった。 そして、あろう事かそのまま踵を返し、律達を付け狙うのを止めたのだ。 「えっ、帰って行くわ……」 見りゃ分かる。男は律を振り返ることなく、歩き続ける。そのまま人混みに紛れて姿が見えなくなってしまった。 「なんやったんやろか……」 三人で首を傾げ、見えない男の姿を追い続ける。けどやっぱり、男はもう何処にも居なかった。一体何だったんだ。律だけを、まじまじと見つめ去っていく。てっきり、粘着質な変質者だと思っていたのに違うようだ。けれどまだ、油断は出来ないと判断し由伊達のグループはその後暫く律達の護衛をこっそりする事にしたのだった。

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