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第15話

もぞもぞと布団が動いた感覚に由伊は目を覚ました。 「律くん?」 勝手に閉じ込めた腕の中に居たはずの律は、気づけば布団の中に潜り込んで丸まっていた。 その行動の意味が分からず、頭にハテナを浮かべながら由伊は努めて優しく声をかけた。 「律くん?どうしたの?苦しくない?そんな奥行ったら……」 手を伸ばしさらさらの頭を撫でてあげると、律は遠慮がちに由伊の手を握ってきた。 嬉しくて引き出そうと握り返して、少しの違和感に由伊は気づく。 「律くん?手、濡れてない?」 手汗かな?と思ったけどそれにしては重たいような、粘っこい質量のある液体のような気がする。それに心なしか鉄くさい……?まさか、と思い布団を剥ぐと律は左腕を隠し蹲っていた。由伊の手を握る彼の右手の爪にはかきやぶったような皮膚や血が残り滲んでいる。恐らく、リスカ痕の上から掻きむしって流血してしまったのだろう。肩が上下し息も荒い。顔色も真っ青で、脂汗をかいている。開いた傷口からぽたぽたと鮮血がシーツに垂れる。 「……っごめ、ごめんなさ……!」 怒られると思ったのか、ぼろぼろ涙を零しながら律は由伊の手を震えながら握り、謝っている。 由伊は、吃驚はしたが怒ってはいない。とりあえず自分のTシャツを脱ぎ、血が垂れる左腕を抑えてあげ優しく微笑み律を抱きしめた。律の喉がひゅーひゅーと鳴る。喘息の症状が出ているらしい。……と、由伊は冷静に考え、ひとまず腕の中の震えるこの子を落ち着かせることに集中した。 「律くん、怖い夢でも見た?」 クスクスとわざと笑ってあげると、律はケホケホと咳込んで不安げに由伊を見上げた。 「…………わかんない……」 ぽそりと咳の合間に呟いた。ぼんやりと宙を見つめる律の瞳は何も映さず生気すら感じられない。このまま死にます、と言われても何らおかしくないような闇を感じ、今ここで対応を間違えたら一生彼はそこから出られないような怖さを感じてゾクリと背筋が震えた。努めて冷静に、間違えぬよう、律の額にキスを落とす。 「な……ッ⁈」 由伊からのキスに吃驚した律は、顔を真っ赤にし瞳に光を取り戻していく。 「律くんがかわいい顔してたからキスしちゃった」 テヘと笑うと律からはもう不安の匂いはなくなり、安心したような表情になりムゥと頬を膨らませて由伊に背を預けた。 「お、血止まってきたね。よかった~」 にっこり言うと、律はぼーっと自分の腕を他人事のように見ている。 「痛くない?お風呂入って消毒しようか」 昨日律はお風呂に入れる前に寝てしまったから、律からは少し潮の匂いがしていた。 なるべく早く入らないと、肌が荒れてしまうなと由伊は微かな潮の香りを嗅ぎながら頭の片隅で思った。 「……うん。家、帰る」 「え?」 自分が考えていた事と真逆の答えを呟かれ、由伊は目を見開いた。ぽつりとつぶやく律の顔を覗き込む。 「なに?」 キョトンとする律に由伊はちょっと焦りながら、言う。 「お風呂くらい貸すよ?律くんのお父さんもここで入っていくだろうし」 律の父親の事は現状どうなっているのかなんて知らないし、まずまず彼が起きてるのかも知らない。けれど、説得するつもりで由伊はそういう他なかった。こんな状況で、家に帰りたがるとは微塵も思って居なかったから、焦りが滲む。 「でも、ご家族に悪いから」 頑なに遠慮する律に、由伊は必死に食い下がった。今、律くんを一人にしたくない。こんな不安定な状態で、一人になんてしたくない。そんな思いでただ、「待って」と口にすれば律はそれでも首を横に振り続けた。 「由伊、俺はこれ以上皆に迷惑かけたくない……。ごめん」 それは、何に対しての謝罪なんだ。俺は何に謝られたんだ。このまま律くんの遠慮を尊重していいのか。この遠慮は、律くんの我慢なんじゃないのか。いやこの考えは俺に都合よすぎるのでは……。何故、俺たちは結局こうなってしまうのだろう。自分の意思を尊重しても、彼の意思を尊重しても、どうしたって一緒にはなれない。……それならばいっその事、彼の事だけを考えよう。彼がどうすれば自分の言葉に頷くのか。律を家に帰すことは最悪の選択だ。それが嫌で、文崇は由伊の家に行けと伝えたのに。それを由伊が勝手に許してしまったら、文崇の思いも、律の安全も全てが狂ってしまう。だったら、無理矢理にでも頷かせ自分のそばに置いておく事が良策だろう。由伊自身、自分がどこまで守れるかなんて分からない。 けれど、全力で守る事に他ならない。……例えそれが、彼を傷つけるかもしれなくても、自分が苦しくなるかもしれなくても、今はただそばに居てくれなければいけないんだ。彼のこの先の幸せのために、今彼に怯え嫌われても、今の由伊には関係ない。関係ないことにするしかない。好きになってもらうなんて、今はもうどうでもいい。彼が自分意外と幸せになるのも受け入れよう。全ては律くんの幸せのために、今由伊は自分の心の痛みなど無視して彼に怒りのまなざしを向けた。 「……っ」 律は由伊の雰囲気が怒りに変わった事に気づき、ドクドクと心臓が苦しくなる。 「律くん。今一人になって平気なの?そんなに腕の傷深くさせるほど不安だったんじゃないの。なんで俺らから距離を取ろうとするの。なんで傍にいさせてくれないの。なんで頼ってくれないの」 淡々と紡がれる言葉たちに、律はただ茫然とする。 「俺は律くんのこと世界で一番大好きだけど、だから家に来いって言ってんじゃないよ。ここにいたほうが何かあったとき安ですぐ助けられるから言ってるんだ。下心でここにいろって言ってるわけじゃない。それとも……」 由伊が怒っている。眉を寄せ、怒りをあらわにしている。なんで由伊は怒ったんだ。迷惑をかけたくないって気持ちは、良い気持ちではないのか?悪ではないはずなのになんで怒るの、なんでダメなの。 「俺に、襲われると思った?」 「え……?」 思いもよらなかった由伊のセリフに律は驚いて由伊を見上げた。 「ゆい……」 見上げた先には、怒りで染まっていたはずの由伊は何処か、悲しみに満ちていた。 「俺はそこら辺の犯罪者と同じに見えるかな。律くんが好きで好きでたまらなくて、確かにエッチなことしたいって思うよ、思うけど、律くんが怖がる以上やらないしできないよ。俺は律くんの体が欲しいわけじゃない。性欲を満たすだけならそこら辺の女に股をひらかせればいい」 由伊は表情を消し静かに喋る。由伊を怒らせたということは、自分は由伊に謝らなくちゃいけない。けれど、なんでこんなに怒っているのか律にはわからない。分からないまま謝ってもまた由伊が怒るかもしれない。でもここで理解して反省しなきゃ、由伊に嫌われて─……嫌われる。由伊に嫌われたら、もう一緒に旅行行けない、学校で話せない、女の子に取られてしまう、もう抱きしめてもらえない、キスもしてもらえない、甘やかしてもらえない、由伊の腕の中に居られない、笑顔を向けられなくなる、由伊の傍に居られない……。ぶわぁっと感情の波が押し寄せてきて律はひくっと喉が鳴り、そのままぼろぼろと大声を上げて涙を溢した。 「うぇえええええぇッやだよぉおおおぉッ」 「え⁈律くん⁈」 律は幼い時以来初めて声を上げて泣いた。 いやだいやだいやだ‼由伊に嫌われるのは嫌だ‼離れたくない‼誰かにとられたくない‼ ……ずっといっしょにいたい、のに。 「り、律くん⁈ごめん怖かった⁈ごめん、ごめん‼」 わんわん声を上げて泣く律くんに驚き、由伊はさっきの覚悟も忘れて思わず抱きしめてしまった。ひぐひぐと泣き続ける律くん。強く当たったら泣いてしまうかも、と懸念はしていたがまさかこんなに声を上げて泣くとは思わなくて、由伊は酷く焦る。律の泣き声が聞こえたのか、家族が次々と「なんだどうした」と部屋を覗きにくる。由伊はみんなに「しー」とアイコンタクトとジェスチャーで伝え出て行ってもらう。前も俺が怒りを見せたら泣いてしまった。それが何だかんだトラウマで怒りは見せないように笑ってきたつもりだったけど、さっきは嫌われる覚悟で怒った。頼ってほしいと伝えたかった、君の味方だよ、一人じゃないよ、と。たったそれだけのことをどうして相手を泣かせなきゃ伝わらないんだろう。俺じゃやっぱり駄目なんだろうな。橘みたいにうまくやれない。こんな時橘みたいなやつになら、律くんは安心して笑うのだろうな。自分では駄目だと、彼の涙がその証拠だ。苦しい。ぎゅうと律を抱きしめると、少しだけ落ち着いた律は由伊の肩口に顔を埋めてすんすん泣いている。由伊は半ば諦めた気持ちで、静かに「ごめんね」と伝えた。ああ、嫌われちゃったな……。覚悟したつもりだったが全然出来てない。律のためを思ってやった自分の行動が伝わらない。律への気持ちが伝わらない。なんでだろう。こんなにも大好きなのに。抱きしめて落ち込んで胸の苦しさに耐えていると、律はずびずび鼻を啜りながらぽつりと呟いた。 「……なんで、……ゆい、おこってるの……」 弱々しい声に言葉が詰まる。ここで彼のため、とか言えるわけない。俺ら、もう必要最低限喋らないほうがうまくいくんじゃないか。それってつまり関わらないってことだよな。 「……いや、なんだろう……ごめん」 何を返したらいいかわからず、謝ってしまう。すると律がもぞもぞと動き由伊から体を離した。 ……ああ、離れていくよな。そりゃそうだ、こんな人間と一緒に居たくないよな。父親のところに行って帰るんだろうな。引き留める権利は由伊にはない。黙って見送るしかない。俯いて律が部屋から出ていくのを待った。どうせ最後になるなら押し倒して無理やりヤッってもいいんじゃね?どうせ嫌われたんだから体くらい─…… 「ん」 ふわりとミルクのような甘い匂いがする。汗ばんだ手で両頬を包まれ、驚いているうちにふにゃりと柔らかいものが唇に当たった。 「え?え?」 あまりにも突然なことに目を丸くして、咄嗟に律を見る。 「ッ、俺は……由伊に嫌われたくない……由伊がほかの女の子のとこいくのもやだ……由伊が抱きしめる相手も俺だけがいい!キスも、笑顔も、優しさも、怖いけど……怒ってくれるのも、俺にだけがいい!でも、でも……っ由伊が嫌いなら、も、もう……甘えたり……っしません……」 ぼろぼろ涙を溢しながら由伊から目をそらさずに、律はそう言った。現実なんだと認識した瞬間、体の血がマグマのように沸騰し駆け巡っているような感覚を覚えた。 この子は今、俺に何と言った?俺に嫌われたくない?女のところに行ってほしくない? 抱きしめるのも、キスも、笑顔も、優しさも、……この醜いだけの怒りも、全部自分のものがいいと、この子は泣きながらそう言った……?そこまで言っておいて、どうしてキミは俺の一番欲しい言葉をくれないの……。そこまでわかっていて、それでも俺を好いてはくれないの……。そんなの、苦しくて苦しくて、苦痛だ……。 「ゆ、由伊⁈え、え、ご、ごめんさい、由伊、ごめんなさい!泣かないで……っ、ごめん、ごめっ」 驚いた律はまた涙を溢しながら由伊の涙を必死に拭う。自分だって泣きながら、由伊の涙だけを拭う。 ねぇ、律くん。俺たちは、運命の赤い糸では結ばれていないのかもね。 俺は律くんに繋がっていると思ってたんだけど、そうじゃないのかな。 待ちたいと思っていた。待っているつもりだった。こんな状況になっても、たった二文字が律くんから聞けないのは、きっと『そう』ではないからか。あー、気づきたくないことを気づいてしまう。それでも律くんを嫌いになれない俺は、天性の馬鹿なんだろうな。 「由伊……?ち、ちゅー……やだった……?ごめんね……ごめんね……」 由伊の流れる涙を拭いつつ、律は的外れなことを言いながら、謝る。由伊はそんな必死な律にふふ、と笑いかけた。 「ううん。嫌じゃないよ。嬉しくて涙が出ちゃった。もっとしてくれないの?」 「え⁈な‼心配してるのに……っ‼」 律は顔が真っ赤になる。そうこれでいいんだ、気をそらさせて自分の気持ちになんて気づかなくていい。俺はもう律くんを困らせない。鈍感な律くんはきっと気づかないよ、俺が言語化しなければいい。ならいっそ俺は嫌われたい。その方がもうずっとラクに居られる。期待せずにいられるから。 「ほ、本当にそれだけ……?」 不安げに眉を下げ覗き込んでくる律くんに、由伊はにっこり笑った。 「うん、本当だよ。律くんの気持ち嬉しかったよ。俺の全部は律くんのものだよ。律くんがしたいようにしてくれるのが俺の一番の幸せだから。海で言ったあの気持ちに嘘はないからね、これまでも、これからも」 「う、うん……?」 理解してないような顔をする。当然だろう。今キミの目の前の男は、『君のために人生をささげる』って宣言したんだ。たとえ、己が辛くても傷ついても、律くんのために生きる。利用されても本望。律くんが望まないことはしたくない。律くんが、俺からの『好き』を望んでいないのなら、もう押し付けることはできない。自己犠牲に陶酔しているわけではない。胸が締め付けるように痛く、吐き気がする。でもそれ以上に、律くんの不幸の方が苦しくて痛いんだ。 「律くん、今日は俺のわがまま聞いてほしいな。このまま家に泊まっていってほしい」 「え、でも……」 律くんは困惑の表情を浮かべる。 「律くんは悪くないよ、俺のわがままなんだから堂々としてくれていいよ。みんなにあえなそうだったらこのままここに居ていいし、それに律くんとお話したいんだ」 由伊の言葉に難しい顔をして悩む律。 「お話……?迷惑じゃない……?」 それは俺に?家族に?そんなこと聞けない。意地悪だ。 「うん。迷惑なんかじゃないよ」 きっぱりとそういうと、律は笑った。 「じゃあ、泊まりたい……な」 その笑顔は本心なのかな。俺の押しに負けたのかな。もう、わかんないや。 由伊のご厚意で律はまた今日も泊まらせて貰う事になってしまった。昼に起きてからはずっと由伊の部屋でゆっくりさせてもらって、夕方にご家族に顔を出してお邪魔させてもらうご挨拶をした。文崇は、熱が出てしまったらしくそのまま孝の部屋で寝ているようだった。親子揃って、迷惑をかけてしまった、と律は陰鬱とした気分になる。 「律くん、ご飯どうする?お腹減ってる?」 由伊に声をかけられ、ハッと顔を上げてそういえばどうしようか、と考える。京子が作ってくれているなら食べるし、まだ作って無いのなら迷惑なので遠慮したい。 「律くん?」 顔を覗き込まれ、ビックリする。律は慌てて首を横に振ってしまった。 「きょ、今日も、なんて迷惑だから遠慮しとく……!」 あ、しまった。……またこうやって、迷惑だとか言うと由伊怒るよな……。そう思い直し、由伊の母さんが作ってくれているなら、って言おうとした。すると、 「そっか、分かったよ」 「……?」 由伊はニッコリと笑って、アッサリ返事をした。 ……あれ? 「じゃあお風呂入ってきなよ、沸いたって母さん言ってたよ」 「……あ、……」 「なに?」 律は頭の中が混乱しつつ由伊を見上げる。由伊に怒った様子は無く、ずっといつもみたいにニコニコしている。なんだ?何がこんなに違和感なんだ? 「どうしたの?」 心配そうに見られ、律はまた慌てて「い、いちばん最後でいいよ……!」と返した。由伊は一瞬眉を寄せたけれど、俺の左腕を指さす。 「いいよ、って言いたいところだけど今日は先入って。それの手当しないと化膿しちゃうから」 お風呂に入る時間まで簡易的に処置を施してもらっている左手首を見て、「……そ、そうだよね……じゃあ」と返事をした。チラリと見上げると、「うん、行ってらっしゃい。全部脱衣場に用意してあるから」と言ってそこに立っている。律は思わず固まり、由伊を見上げた。 「どうしたの?行かないの?」 「……いや……」 なんて言えばいいんだ?分からない、分からないんだけど……、 「……ゆ、由伊は……下に、……用事とか、ないの?」 遠回しな言い方をしてしまった。ただ、違和感の正体が何だか分からない。具体的に気づいたわけじゃないんだけど、ただ由伊はいつもこういう時は、…… 「え?無いよ?」 「…………そ、っか」 前までは俺と一緒に来てくれてたのに。 「はぁ……」 自分の重く深いため息が浴室に響いた。じんわりと浸かると、汗や潮が流れていって気持ちがいい。気を失ったあと、ベッドに寝かせてくれる前に由伊が体を拭いてくれていたらしくて不快感は無かったけれど、やっぱりお風呂に入るのとではサッパリ感が違う。バシャバシャと適当に遊びながら、ボーッと考えた。……由伊、変かも。いや、分かんない。優しい表情は変わらないし、すぐ心配してくれる所も変わらない。気が利く所も、……。ただ、なんで自分がいつもの由伊じゃない、と思うのかが分からない。何を見てそう思ったのだろう。さっき、着いて来なかったのは本当に用事がないからで、俺だって一人でお風呂場くらい聞けるし行ける。 ……そりゃあ、家族の皆さんに一人で会うのはまだ少し恐怖というか……今はもう、緊張感だけかな……それくらいはあるけれど、言ってしまえばそれぐらいだ。確実に少しずつだけど、由伊のご両親だけは怖いと思わなくなった。ただ、嫌われるのは怖いから、甘えられないし迷惑はかけられないし、お荷物にはなりたくないから……頼れと言われても厳しいんだけど……。……俺だってもう少し堂々と行きたい。誰に嫌われようと構わないって、去るもの追わずの橘のスタイルは凄く憧れている。どうしてあんなに格好よく堂々としてられるのか、前聞いた事がある。そしたら、 ─……『俺は俺が嫌いやから、それと同じくまた他人も俺の事嫌いな奴がおっても、せやろなぁ、としか思わへんくなっただけ』 と笑いながら言っていた。 ……そんなの俺だって、同じな筈なのに。律だって、自分が嫌いなのだ。とてつもなく、嫌いで自信なんか無い。自分が優しくされるのも、好きになってもらうのも、褒めて貰えたり、心配してもらえたり、そういう情を向けられるのが不思議だし、……苦痛と思ってしまう。素直に受け取れない自分に嫌気がさして、そのループ。自分は自分が嫌いなのに、なんで貴方は俺を好きなんですか?って、感じ悪いよね……。好いてくれているのに、ポジティブに自分の事を見てくれているのに……そんな有難い気持ちに答えられない。だから、由伊みたいに真っ直ぐ気持ちを伝えてこられると正直困ってしまう。嬉しいのに、恥ずかしいというか、その恥ずかしいと思う理由も、『自分が他人にいい所だけ見せてこんな事言われている』みたいな、客観的に見てしまってどうしたらいいか分からない。でもこんなの、分かってくれる人と居ない人が同じ数いる訳じゃないからやっぱり理解されないのは分かっている。 ……はぁーあ、由伊は俺の何処を好きになってくれたんだろう……。っていうか、一目惚れって本当なのかな?そんなの、あるのかな……。一目惚れは、『運命』なのかな。好きな人が出来たことが無いから、好きが分からない。好きってなんなのだろう。由伊は、エッチしたいって意味での好きを伝えてくれる。 ……俺は、それに答えてもいいのだろうか。……というか、答えられるのかな。 由伊がずっと待っていてくれているのは知っている。待たせているのも自覚している。けれど、中途半端に答えは出せない。一度由伊を裏切って傷つけている分、同じ事なんか出来ない。 OK出して、やっぱりダメでした……なんてしたくない。由伊とは離れたくない、女の子の所に行って欲しくない、他の人に笑顔を見せて欲しくない、全部俺のがいいって言ったのは嘘なんかじゃない。由伊が俺に想ってくれていたように、俺だって段々同じ気持ちを持ったのだ。 ……全部、嘘じゃない。 でも俺にはたった一つだけ、由伊と同じ気持ちになれないモノがあるんだ。 ……きっと俺は、由伊を受け入れることができない。 「あ、上がったんだ。じゃあ俺も入ってこよー。その前に律くんの腕の手当だけさせてね。片手じゃ出来ないでしょ」 ベッドに背もたれて、本を読んでいた由伊は顔をパッとあげてニッコリ笑ってくれた。その笑顔にホッとして、律も「ありがとう」と笑い返す。由伊は救急セットを用意してくれていたらしく、手際よく始めてくれる。 「お風呂しみなかった?」 「うーん、ちょっとだけしみた」 そんな短い会話をぽつぽつしていると、あっという間に手首に包帯が綺麗に巻かれた。 「じゃあ、そこのドライヤー使っていいから髪ちゃんと乾かしなね」 「え、あ、……ありがとう」 由伊はまた優しく笑って部屋から出て行った。部屋に一人ポツンと取り残された俺は、暫くドライヤーを見つめ思考する。……あれ?やっぱりなんか?……いやでも、これは普通だよな……。風呂に入るから部屋から出ていく、普通のことだ。……何がこんなに引っかかるんだ? 何だかもう面倒くさくなって、言われた通りドライヤーを借りてグワーッと髪をバサバサに乾かした。乾かし終わって疲れて、由伊のベッドにうつ伏せで寝ていると由伊がガチャリと音を立てて戻ってきた。パッと振り返って、「……おかえり!」と言うと由伊は少し固まって目を逸らして「うん、ただいま」と返してくれた。 「起きてたんだ。寝たかと思った」 「……え?でも由伊話あるって言ったじゃん」 俺はちゃんと覚えてるよ。 「……ああ、覚えてたんだ」 由伊は何故か興味無さそうに笑った……何、その変な顔……初めて見る……どういう感情の顔なの?今由伊は何を思ったの?由伊は既に下で髪を乾かしていたようで、サラサラと髪を靡かせて律と少し離れた所に座った。不思議に思い、律が床に降りて由伊の目の前に行って座ると少し眉を寄せて「……別に降りなくても平気だよ」と言ってきた。その表情に、ドクリ、と心臓が嫌な音を立てたけど律は平静を装って笑う。 「話すなら、近い方が……話しやすい……かと思って……」 どんどん尻すぼみになっていくと、由伊は「そう」と笑顔もなく呟いた。 「話っていうのはね、」 いきなり本題に入るようで、慌てて背筋を伸ばす。……何を言われるんだろう。 ドキドキと嫌に緊張していると、由伊は真剣に律の目を見て口を開いた。 「俺、律くんのお家の方に住もうと思う」 ………………ん? 「……え?……え⁈」 いきなりの話題に何が何だか分からず大声を上げてしまった。 え⁈でも待って⁈うちに住むって言った⁈ 「な、なんで⁈どうして⁈」 俺は焦って前のめりになって由伊に問うと、「しー、下で律くんのお父さん寝てるよ」と言われ、ばっと口を抑えた。 「……理由としては、やっぱり律くん達が物理的に危ないと知ったから。けど君たち親子は俺たちに遠慮してここには住めないんでしょう?だったら、直近で動けるのが俺か寛貴しか居ないから、来させるのがダメなら行こうって事になった」 え?物理的に危ないってどういう事? 「待って由伊、俺分かんない。なんで俺たちが危ないの?」 首を傾げて問うと、由伊は少し言いづらそうに顔を顰めながら言う。 「……詳細は聞いてないけど、……律くんを事件に巻き込んだ人物が、……律くんのお父さんに接触してきたらしい」 「…………は?」 ………………接触してきた? 父さんに? 『あの人』が? なんで?どうして?なんで?なんで?なんで? 刑務所に居るんじゃなかったの。 一生出てこないんじゃなかったの。 なんで今更出てくるの。 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうし─…… 「律くん‼」 「……ッ」 肩を揺さぶられ、真っ白だった頭に、耳鳴りがしていた耳に、由伊の声が響きハッと顔を上げた。 「律くん、落ち着いて。大丈夫だから。今いるわけじゃない」 そうだけど、そうだけど、 父さんは既に会っている、あの人と接触している? なんで言ってくれなかった?なんで黙っていた? なんでどうして? どうして? 「律くんのお父さんは、誰にも言わず黙っていたんだよ。昨日寛貴にだけ打ち明けたらしい。結局、大人の力がなきゃどうにも出来ないからって、昼間寛貴が俺らに教えてくれたんだ」 なんで黙ってたの、なんで俺には言わなかったの?なんで、 「律くんを怖がらせたくなかったから、言えなかったんだよ」 こわい……? 「……律くんがそうやって、パニックにならないように、キミのお父さんは黙って─……」 「キミって呼ばないで‼」 「律くん……?」 ドクドク嫌な音がする。大嫌いな音だ。 伸びてくる手が……アイツと重なる。 「あの人と同じ呼び方しないでッ‼」 バシンッと自分が振り払った音と鋭い痛みで、我にかえる。ハッとした時にはもう、由伊の手は赤くなっていて俺はサーッと血の気が引く。 「ぁ、ご、ごめんなさごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ」 「律くん‼」 名前を呼ばれ、は、は、と荒く息をする。 「ねぇ、落ち着いて。大丈夫だから、ここには居ないの。俺しか居ない。だから、お願いだから俺の話、聞いて?」 ああ、ダメだ。また由伊を困らせてる。困らせちゃいけない。迷惑をかけてはいけない。 父さんを守らなきゃ。俺が今度は、父さんを─…… 「俺たちは、律くんとお父さんを絶対守るから。だから、遠慮とか迷惑とか一旦今は置いといて、俺らを頼って欲しい」 絶対、守る?なんで?どうして赤の他人の由伊達が俺らを守ってくれるの。赤の他人なのに。 「意味分かんないよ。皆には迷惑をかけすぎた。今だってこうやって迷惑かけてる。昨日、命を救ってもらっただけで充分なのに、俺らはこれ以上何を頼ればいいの?」 こんなこと、由伊に言う事じゃない。頭のどこかでは分かってるんだ。冷静な自分もいる。なのに、口をついて出てくる。こんな可愛くない言葉。 「……心配だからでしょ。友達だから、助けるんだよ」 ……友達……心配…… 「じゃあ、これが橘だったとしでも、由伊は同じ事するんだ?」 ……え?何で俺こんなこと言ったの?こんなの今関係ないじゃん…… ほら、由伊だって驚いてる……何言ってんだよ俺…… 「……律くんどうしたの?友達だと思う奴になら、できる事はするよ」 「俺じゃなくてもするんだ」 「何言ってんの、……律くん」 由伊の声が低くなった。心做しか、顔も険しくなっている気がする。 ……怒ってる、……そりゃそうだ、俺……おれなんで……こんなことばっか…… 「……混乱してるんでしょ?いきなり、こんな話されて……ねぇ、律くん。今はだいじょ─……」 「……由伊」 言ってはいけない言ってしまうのはダメだ。 黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ、 「何が大丈夫なの?」 守るって言ってくれたのに。 「なんの根拠も無い大丈夫なんて、意味ないよ」 ここまで面倒見てくれたのに。 「どうして平気だと思えるの?」 俺にそんな事言える権利無いのに。 「大人が居なきゃ、子供なんて何にも出来ないんだよ」 由伊を、傷つけるのと同時に、由伊の家族まで否定している事になるこのセリフ達は、吐き出してはいけない。 「子供なんて、大人には勝てないんだよ」 「……律くん」 「殴られても、縛られても、黙っているしかない。だって勝てないんだから」 そう。 再び『あの人』が俺らの前に現れたら、その時は本当の、おわり、なのだ。 「……どうしたって、何からも勝てないんだよ」

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