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残り香 第6話

 ――Prrrr  急に店の電話が鳴った。  その音に、お互い夢から醒めたかのように固まる。  ハッとして、春海は彼を押しのけると電話に手を伸ばした。  弾む呼吸を無理やり整える。 「はい、カフェ『レインドロップ』です……」  電話は常連客の『先生』からだった。  春海の具合がどうなのか気になって電話をしてきてくれたようだ。 「ちょっと疲れが溜まってただけみたいです……はい……ありがとうございます……」  春海が応対している横で、彼が小さく「ごめん」と呟いたのが聞こえた。  電話をしながら彼の方を見ると、彼は後悔と罪悪感が入り混じったような微妙な表情をしていた。  彼が鞄と上着を手に持った。  もしかして帰ろうとしてる!? 「あ、待っ!……あ、すみません。いえ、今のは……」  引きとめようと手を伸ばす春海の手が空を掴んだ。  春海が電話をしている横をすり抜け、彼はそのまま急いで店から飛び出して行った。 ***  受話器を置いた後、春海はしばらくその場で放心していた。  あれは一体なんだったのだろう。  キス……された……?  彼は春海が女だと思っていたのだろうか……いやいや、それはない。  倒れた春海を病院まで連れて行ってくれたのだし、春海が男なのはわかっているはずだ。  じゃあ、どうして……  彼とちゃんと会話をしたのは、あの雨の日に外で出会った時と今日の2回だけだ。  いつから春海に好意を抱いてくれていたのだろうか……  いや、好意を抱いてのキスなのか?  そもそも好意があるなら、天候なんて関係なく店に来るだろうし……  わからない……  彼がどうしてキスをしてきたのか……  彼は男が好きな人なのか……?  春海は今まで男性をそういう意味で好きになったことはない。  男性とキスをしたのも初めてだ。  でも、なぜか春海も嫌ではなかった。  彼の声、彼の匂い、彼の体温……  どれも懐かしい感じがして、彼に抱きしめられるとほっと安心している自分がいた。  激しいくせに、春海に触れる手も口付けも眼差しも全てが優しかった。  むしろ、もっと……  って、何を考えているんだわたしは!!  何気なく入口を見ると彼の傘が残っていた。  あ、そういえば、前に借りていた傘……  返しそびれてしまった。  また……来てくれるだろうか……  去り際の彼の表情が気になった。  もしかして……あのキスは一時の気の迷い的な……?  だとしたら、彼はもうここには来ないかもしれない……  かも……じゃないな。  彼は何て言った?去り際「ごめん」と呟いたんだ。  ということは、やはり……  カフェはいくらでもある。  わざわざ気まずい思いをしながらここに来る必要はない。  彼はもう……来ないのだろう……  彼は村雨 真樹さん。  雨の日にだけ訪れる謎めいたお客さん。    お客さん……だった人……  自分で自分を抱きしめると、春海の服から微かに彼の匂いがした。  彼の温もりが残る口唇にそっと触れると、ポロリと涙が零れた。    この感情がなんなのかわからない。  でも……もう彼に会えないと思うとなぜか涙が止まらなかった。 ***

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