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第31話 初めて見せてくれた微笑

 どうにもできない切なさを胸に、再び咲の端整な顔に見入っていると、電話を切った彼が遠慮がちに話しかけて来た。 「よろしいんですか? 社長」 「何が?」 「M社は大切な取引相手でしょう? その社長との会食をキャンセルして」 「いいんだよ。どうせ自叙伝の感想を聞かれるに決まってるんだから。適当な受け答えをする方が余程まずいだろ」  自叙伝はリビングの隅に置かれたまま、ペラともページはめくられていない。  すると、咲は少しだけ逡巡したあとに言った。 「……私は一応全部目を通しましたから、要点だけをお話することもできますけれど」  咲の言葉に俺は驚いた。 「え? 咲、おまえ、あんなに分厚い自叙伝読んだのか? 最後まで?」 「ええ……まあ、正直申しまして読み終えるのには少し苦労を要しましたが、あとがきまで読ませていただきました」 「……どうして?」 「そうですね、社長が読まれなかったときのための保険と言ったところでしょうか」  そんな言葉とともに咲が浮かべた微笑は、いつもの完璧な作り笑いとは違う、どこかはにかんだようなもので。  微かなものだったが、初めて見せてくれた素顔の笑みに俺の心は高揚し、萌える。  う……だめだ、咲、その笑顔は反則だって。ヤバい。                                                              俺と咲以外には誰もいない……誰も簡単に入って来れない、社長室という特権を利用して俺は彼の細い体を抱きしめた。 「し、社長……離してください……」  咲が腕の中でもがいても、俺は抱きしめる腕を緩めなかった。  咲の心にはあの男がいて、完全な俺の片思いの恋。  それでも、こんなふうに咲の素顔を見れたことがすごくうれしい。  俺はそのまましばらく咲を抱きしめ続けた。

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