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第32話 追いかけて来る過去
せっかく咲が苦労して最後まで読んでくれたことだし、俺は後日にM社社長との会食の予定を入れ直した。
咲から自叙伝のあらすじと要点を説明してもらっているとき、電話が鳴った。
社長室へかかってきた電話はまず咲のデスクにあるそれに繋がり、彼が相手を確かめたあと、一旦保留にして俺が出るか否かを確かめることになっている。
いつもの咲は流れるようにどんな電話にも対応するのだが、このときは違った。
受話器を持ったまま固まってしまっている。
俺は咲の傍にある電話をスピーカーに切り替えた。
するとそこから流れて来たのは、俺が今一番聞きたくない男の声。
『おい? 咲? もしもーし。聞こえてるんだろ? 咲』
それは咲の昔の恋人、志水健志郎からの電話だった。
俺は呆然としている咲の手から受話器をひったくると、これ以上はないくらい冷たい声で応答してやる。
「変わりました。椎名ですが、どんなご用件ですか?」
『……椎名社長ですか……。俺は咲に用事があるんでね、代わってもらえませんか』
「咲は今、仕事中ですので、私用の電話には出られません。あなたも上に立つ人間ならそれくらいの常識は持ち合わせているでしょう?」
『……それじゃ、咲にスマホの電話番号を教えるように言ってくれませんかね? あんた一応咲の上司だ――』
俺はそのまま電話を切った。
「咲、大丈夫か?」
いまだ固まったままの咲に話しかけると、ハッとして立ち上がり深く頭を下げる。
「申し訳ございません、社長」
「おまえが謝る必要ない。……とにかくこれからしばらく電話は俺が直接出るから」
「いえ。これ以上は社長に迷惑はかけられません。……またかかって来ましたら、今度こそ二度とかけてこないように言いますから」
咲は健志郎からの電話に戸惑いを露わにしている。
いとも簡単に咲の無表情を崩してしまえる男に俺は嫉妬を覚え、同時に咲に対しても理不尽な苛立ちを覚えた。
俺に対しては滅多に素顔を見せてくれないのに……。
ついさっき垣間見せてくれた笑みのおかげで幸せな気持ちだったのが、今はもう急降下だ。
苛立ち紛れに咲の手を引っ張ると、腕の中に華奢な体が落ちて来る。
俺は咲を強く抱きしめると、彼の形のいい唇にキスをした。
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