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第43話 笑顔と笑い声
しばらく腕の中でじっとしていたが、やがてその華奢な体が小さく震え始める。
泣いているのかと思った。
「…………社長って、ロマンチストなんですね」
でも、違った。
咲は体を震わせて笑っていたのだ。
それは初めて見る咲の満面の笑み、初めて聞く咲の笑い声だった。
「咲……」
俺は信じられない思いで、咲の笑顔を見つめ笑い声を聞いていた。
「クールなイメージでいらっしゃるのに。アジサイの花言葉や人魚姫のお話と言い……」
咲が遠慮がちに笑う。
俺が見惚れていると咲は不意に泣きそうな表情に変わり、
「……私は儚くなんかありませんし、消えてなくなったりもしません」
独り言のように呟き、やがていつもの無表情に戻った。
すっかり日が落ち暗くなった頃、俺と咲は帰路についた。
車を走らせるうちに咲はうとうとし始め、やがて眠ってしまった。
助手席で無防備に眠る咲を時々見つめながら、思う。
咲を驚かすつもりが、咲に驚かされた一日だったな。
咲の笑顔と笑い声。どちらも心に強く焼き付いていて。
少しずつ好きな人との心の距離が縮まっていっているみたいで、うれしい。
信号で車をとめたとき、俺は素早く咲の唇を奪った。
咲は起きなかったが口元が微笑みの形に変わる。
「……咲……」
咲は今、どんな夢を見ているのだろう。
夢の中で咲の隣にいるのは誰なんだろう。
健志郎との蜜月の思い出を夢見ているのか。
それとも、俺のことを夢見てくれているのか。
男とは思えない色気を纏った咲の寝顔を見つめていると、切なさと愛しさが同時に込み上げて来て、俺は信号が変わるまでの短い時間にもう一度彼にキスをした。
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