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【モモタロス】

「ふぅ。」 ようやく仕事の区切りを付け、小さくため息を漏らす。 会社に忘れた資料の整理を後輩に頼み、なんとか今日の会議には間に合ったが、朝からブッ通しの仕事内容にはさすがに(こた)える物があった。 『寄る年波には勝てないな』と、少し自嘲(じちょう)気味に笑いながら、壁掛け時計へと目を移す。 時計の針は21時を指そうとしていた。 「もぅこんな時間か」 今日はまだ早い方だが、昨日も残業、今日も残業で、こんなんじゃ彼女を作っている暇すら無い。などと心の中で愚痴りながら、モモタロスは帰り支度を始めた。 明日は休みだし、今日は久し振りに少し飲んで帰ろうか。と思った所に、タイミング良く声を掛けて来た人物が居た。 「先輩。今日はもぅ帰れるんですか?」 昨日の資料整理を頼んだ有能な後輩が、ドアを少しだけ開いて覗き込んでいる。 「あぁウラか、お疲れさん。 お陰様で今日は早く終われたよ。 そういえばお前の資料、俺のより分かり易くて好評だったぞ。ありがとな」 有能な後輩を持って幸せだ。とは恥ずかしくて言えないが、お礼に酒くらいご馳走してやっても良いかもしれない。 「お前も今終わりか?良かったら少し、飲みに付き合わないか。 今日のお礼の意味も込めて、俺様が奢ってやっても良いぞ?」 俺はどうも口下手で、人を上手く誘ったり出来ない方だが、彼、ウラタロスはやたらと俺に懐いてくれていた。 見た目はクールで、実は結構な毒舌。黒ブチ眼鏡から覗く涼しげな目やスレンダーな体付きだけでなく、仕事も出来るパーフェクト人間なだけに、女性社員達の人気を集めていた。それが気にくわないのか、男性社員には少し嫌われているらしかったが。 「良いんですか? じゃぁお言葉に甘えようかな」 そうして微笑む彼の表情は、噂とは違ってすごく幼くて、すごく可愛らしい。 俺はむしろ、こういうハッキリしたヤツの方が面白くて好きだけどな。 それを知らない、知ろうとしない彼の同僚達は、なんて愚かで、なんて勿体ない事をしているのか。 そう思う反面、こんな表情を自分が独り占め出来ている優越感に、自然と心が浮き足立った。 俺は、ウラを行きつけのバーへと案内する。 「悪りぃな、給料日前だからこんな所にしか連れて来れなくて」 少し裏通りにある小さくて安いバーだが、清潔で簡素でゴミゴミしてない所がお気に入りだった。 「“こんな所”で悪かったね。どうせウチは狭いですよ~だ。」 そう言ってペロッと舌を出しておどけるマスターに 「近いうち表通りにドカンとデカイ看板おっ建てるの、楽しみに待ってるよ」 と、真似て舌を出す。 気さくなマスターも、店内の雰囲気も、全てが俺好みな店を、なんとなくコイツに自慢してやりたかった。 「先輩らしいお店ですね」 まるで、俺が喜ぶツボを知っているのか?と思わせる言葉を、コイツはいつでもストレートにぶつけてくれる。 だから俺は、コイツがお気に入りなのかもしれない。 「褒められてんだか、けなされてんだか」 照れ隠しにそんな言葉しか出て来ない俺に 「褒めてんですよ。」 そう、律義に返す。 言葉の足らない俺を誰よりも理解して、フォローしてくれるコイツが居てくれるから、俺はこうして頑張って立っていられるのかもしれない。 まだアルコールの入らないうちから、そんな事を思っていた。 「マスターいつもの。2ツね」 そう言って店内でも一番奥にある、いつもの指定席へと向かった。 --------------------------------- 「先輩~?人の話聞いてます~?」 それから程なくして、体がふわふわとし始める。 「聞いてるっつ~の~失敬だなキミぃ~」 まだグラスに4、5杯くらいしか飲んでないのに、すでに酔いが回っていた。 「‥っかしぃなぁ~?こんな酒弱かったっけぇ?おれぇ~?」 意識はあるのに、呂律が回らなくなって来ている。やっぱり年のせいなんだろうか‥‥ 少し物哀しい気持ちになり、思わずウラの顔をガン見する。 「お前は良いよなぁ~。若いし、仕事は出来るし、モテるし。 なんも不自由ねぇんじゃね?」 今日の俺は本当におかしい。こんな風に絡むつもりは全く無かったのに、思ってもいない事が口からデタラメに流れ出て行く。 「先輩~、かなり回ってますねぇ。今日はもぅ帰りましょ?マンションまで送りますよ」 こんな、年上なくせにだらしなくて情けない酔っ払いオヤジに、ウラは変わらず優しい。 なんで俺なんか‥‥ 「なんで俺なんかに構うんだよォ‥」 本当に酔ってるらしい。思ってる事までそのまま口を突いて出て行く。 そして俺は、ソレの止め方を見付ける事が出来ずにいた。 「あ~ぁ~もぅ。何をそんなにフテクサレてんです? そんなの理由なんかありませんよ。ただ、ほっとけないだけですってば」 「うっそつけぇー」 まるで子供みたいな口調で反論すると、ウラの頬をつつく。 「知ってる。俺は知ってるんだよ お前が本当は、バカが付くほどお人好しで、アホほど優しいヤツだって事をなぁ~ 俺は、ちゃぁんと知ってんだよォ~。」 そこまで言って、その後の記憶は綺麗サッパリ途絶えていた。

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