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第5話
「あの…柊さん?」
神崎の胸をちくりとなにかが刺した。
「悪い、変なこと言って。そこまでしないと代打っていえないかとか思って。…もしかしてオレに魅力がないから代打にならないのかも、なんてさ」
これではまるで、彼が自分に抱かれたがっているみたいではないか。
そう思った神崎は慌てて、
「いえ、べつにあなたに魅力がないということではなく…結婚したからヤらないとってわけでもないでしょうし、この先必要なのは共同生活を営んでいくうえでの協調性だとか思いやりだとかであって――」
取り繕うように並べ立ててみたが、どんどん本筋から離れていく気がする。
柊はぽかんと口あけて神崎を見つめている。
こほん。
神崎はひとつ咳払いをした。
「――つまりセックスの必要性はないと、」
「――よッくわかった!」
まだ彼の笑顔には翳りがある。どうにもそれが神崎には気がかりだった。
「あの、もしまだほかにも心配事があるなら、遠慮せずに言ってください。一応夫婦なんですから、最初が肝心です」
柊は何か言いかけて唇を開きかけ、閉ざす。
「言ってください、ね?」
揺らぐ眸にも躊躇いは明らかで、促すようには神崎は微笑みかけた。
「……捨てない、か」
「は?」
思わず聞き返すと、柊はしまったとでもいうように俯いてしまう。
「捨てる、って…なにを?誰を?どうして?」
この青年の言葉は時々、理解に難い。途中を飛ばして彼だけにわかる結論をひと言だけしか洩らしてくれないから。
「だから」
柊は顔を伏せたまま、ぼそぼそと低い声で答える。
「おまえがオレじゃ嫌だって。愛想尽かされて家を出てったら困る」
「楓さんみたいに?」
わからないほど微かに、柊が頷いた。
「今回の件はこちらが全面的に悪いわけだから、万が一にもおまえが腹立てて離婚するって言い出したらとめられない。だけど、この結婚が破談になったら神崎はうちから手を引くだろ。天下の神崎に見捨てられたら…うちの状況は前よりもうんと悪くなって、それこそ融資もみんな引き上げられて雨宮は一巻のお終いだ。だからオレとしては、どんな手段をもってしても、おまえをこの家に引き止めないとならない、」
どんなことしたって…。
その後、彼は口を閉ざした。
黙ってその続きを待った神崎に、やがて柊は縋るような眼差しを見せた。
「だからその…オレとしてはおまえと――」
苦しげに言われて、神崎は静かな声で問い返した。
「だから?身体を使ってでも繋ぎとめておこう、と思った?」
「……既成事実ってゆうか、結びつきとしては手っ取り早い。神崎さん、楓とならしたんだろうし」
虚勢じみて肩を怒らす姿がどことなく哀れに見えた。朝からずっとそのことが彼の心を占め、悩ませていたのだろう。
神崎がその行為を否定しても、肯定しても。どちらにしても柊にとっては身の置き場がない選択である。怒鳴ってみたり、誘ってみたり、彼はそのたびにやるせない思いに胸を痛めていたに違いない。
「柊さん」
名を呼ぶと、強張った肩がぎくりと震えるのが見て取れた。
「俺と寝たいんですか?それとも寝たくないんですか?」
既成事実を作ることは、花嫁の代理でしかない彼にとって神崎を逃がさないための大きなポイントになる。だがそれは自身にとっても、対する神崎にとっても『是非!』と言えるような、心躍るアクティビティでないのが最大のネックなのだ。
進むも戻るも、おそらく彼はどちらも決められないでいる。
となれば、せめて神崎の側から行動を起こしてやるのがいちばん安易な解決策のはずだ。
「どっちがいいの?」
わかっていながら、神崎は試すかように問いかける。
「どちらでも。あなたの好きなようにしてあげますよ。抱いて欲しいなら抱いてあげる。嫌ならこのままおとなしく、俺は部屋に引っ込みます」
ぐっと引き結ばれた唇に彼の逡巡を見て、神崎はすっと目を細めた。
妙な同情心が心のうちに沸き起こる。
進退窮まり葛藤するこの一途な青年を、もっともっと見ていたいという思いがある。だが、それ以上に彼をこうして苦しめている自分を卑劣だと厭う気持ちのほうが強かった。
「――嘘ですよ」
身じろぎしない肩にそっと手を置いた。
自分の顔に思いもよらぬ優しい微笑が浮かぶのを感じながら、ガチガチに力がこもった柊の肩を励ますように何度か叩いた。
「嘘、大丈夫。出て行ったりしないから、安心していてください。俺だって、花嫁に逃げられたなんてみっともなくて誰にも言えません。もちろん実家にも帰れません」
「神崎さん」
ようやく僅かに柊が目線を上げた。
「だからここにいさせてください。あなたも一緒に。余計なことは心配はしないでいい。仲良く暮らしていきましょう。ね?」
ほっとしたのか、柊の瞳に漲っていた張り詰めたような色が消え去った。神崎も、自分のうちの緊張が解けるのを感じていた。
「何にも心配いりません」
幼い子供にで言い聞かせるみたいにそう言って、柊の髪を撫でる。
栗色の髪は掌の下で柔らかく解けた。
「俺も今日は疲れたので、シャワーだけ浴びたら休みます。おやすみなさい、柊さん」
と、ソファから立ち上がろうとした神崎の服の袖口に、柊の手がかかる。
「待って!」
真剣な声。射るような眼差しが真っ直ぐにぶつかってくる。
「――やっぱり、一回…抱いとけ」
あとのない、切羽詰った声だった。
双方ともに乗り気でないまま始まったたセックスは、なんとも奇妙なものだった。
柊に引っ張られるようにして、神崎は寝室に連れ込まれた。
色気のカケラもなくさっさと自分の服を脱ぎ捨てた柊は、ついで神崎の服をも容赦なく脱がせようする。
あまりの事態の急変についていけず、「ちょっと」とか「待って」とか、言いかける言葉を遮られ無理やり寝技に持ち込まれ、神崎はさすがに仰天した。
「柊さん…あの」
真新しいベッド、新品のシーツ。花嫁代理は睨みつけるがごとき一瞥を下からくれる。
「ぐずぐずしてないで、さっさとしろって…」
どうしてこちらの腕の下で無防備に身を横たえながら、そんなに強気でいられるのか。
「しろっていっても…」
「いいから早く」
絡めた腕を引かれた弾みにバランスを崩し、柊を押し潰しそうになって神崎は慌てた。
「だから待ってくださいって」
「待たなくていい!」
逃げれば逃げた分+α身を摺り寄せてくる。
「ですが本当にこんな…」
「うるさい」
低く威嚇されて、もう一か八か、神崎は柊の肩を抱きすくめた。
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