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第7話

「なんだよ!」  滲んだような蜂蜜色の瞳。  いつまでたっても赤味が引かない頬。  花嫁は18歳だったが、考えてみれば彼だってまだ20歳そこそこではないだろうか。  女性経験さえまだかもしれぬ若者に、無体を働いてしまった。  申し訳なさそうな視線を感じ取ったのか、柊はきっと睨みつけてくる。 「――なんだよ」  もう一度、同じ言葉を今度は潜めた声で言う。 「いいえ、そのままにしていてくださいね」  柊が包まっていた上掛けを剥ぎ取り、身体を拭ってやる。  ゆっくりと。  丁寧に。  脅かさぬように。  はじめは身体を硬くしていた柊だが、神崎の穏やかな動作に安心したのか、次第に力が抜けていくのがわかった。恥かしそうに視線を逸らしたまま、腕も胸も下腹も下肢までも、おとなしく清められている。 「はい、それじゃうつ伏せて」  ぎくり。  神崎の手の下で柊が震える。  強張った表情を見せる柊に、神崎は真剣な顔をして頷いて見せた。 「大丈夫、」  唇が微かに戦慄いていたけれど、やがて柊はもぞもぞと身体を返し、神崎の前に背を晒し、深く枕に顔を押し付けた。     息ができているか不安になったが、新しいタオルで、肩口からそっと拭きはじめた。腕を取り、背筋をなぞり、少しずつタオルを下ろていく。  神崎のほうが驚くほど、じっと為すがままになっていた柊だったが、腰辺りにそれがたどり着いて、ふっと神崎を振り返った。 「だいじょうぶ」  どうしてか、神崎の声は掠れていた。  柊はまた顔を枕に伏せた。だが、最初よりずっと、枕にできた窪みは浅い。  息を凝らすようにして、タオルを使った。引き締まった筋肉を辿るように。下腿を押し分けて己の傷つけた部分の汚れを拭い去る。  蹂躙のあとを目の当りにして、神崎の手が一瞬止まる。それでも柊はじっと動かなかった。神崎も押し黙ったまま、タオルを変えてまた手を動かし始めた。  沈黙のうちに全身を拭ってやって、なんだかいやに疲れた気がして大きく息を吐き出した。  あまりに静かなのでどうしたかと思ってみれば、柊は静かな寝息を立てていた。 「しゅ――」  声をかけそうになった自分を押しとどめた。  おそらく彼は、今朝から緊張のし通しだったのだろう。  逃げた妹に代わって花嫁を演じ、騙された男を懐柔し、篭絡し、したくもないのに肌を重ねて。  あまりの波乱ぶりに、自身も当事者であるのに柊に同情したくなる。  自分の存在を否定された腹立たしい事態であるはずなのに、怒る気も失せたというか、彼の頑張りの前に気が削がれてしまった。 「風邪をひく」  上掛をかけ直してやると、柊はコロンと寝返りを打って胸元にそれを引き寄せた。その横に、神崎も身を横たえる。  疲れきった身体と心がようやく休めて、柊は子供みたいな顔をして眠っている。無防備な肢体を晒して寝入っているのは、神崎を信じているからではなくて、相手にとって自分が性的魅力を持たないと思っているからかもしれない。  神崎も心底、疲れきっていた。そっと眼を閉じるとすぐに睡魔はやってくる。現金な自分に苦笑いを洩らし、そのまま眠りに落ちた。  夢も見ない程の熟睡をしたのは、久しぶりだった。  ぱっと目が覚めた。  瞬間、自分の状況を把握できていない神崎は数度目を瞬かせた。  馴染まぬベッドに、お遊び盛んだった時期を思い出して同衾者がいるかとパタパタと両脇を手で探るが、誰もいなかった。 「――あぁっ!!」  それからようやくここが新居の寝室であり、昨夜は新妻代理と一夜を過ごしたことを思い出した。  彼はどこへ行ったのか。  時刻はすでに10時を回っていた。  とりあえず服を整えてリビングへ行くと、床に座り込んでテレビを見ていた柊が、よっ、と片手を上げてきた。  あんまり普通にしているから、神崎は呆気に取られてしまった。 「おはよう。すぐ朝ごはん出すから。座ってて」  よっこいしょ!と掛け声とともに立ち上がり、キッチンに消えようとする後姿に神崎は縋るように声をかける。 「ちょ、ちょっと、柊さん、あなた大丈夫なんですか?」 「あー?家事には自信あるって言っただろ」 「そうじゃなくて!」  追いかけてキッチンに入ると、柊はすでにフライパンを火にかけているところだった。  ベーコンエッグを焼き、パンをトーストし、コーヒーを淹れる。  なるほど、本人が言うとおり手際がいい。 「朝はご飯派?パン派?日替りでいい?とりあえず今朝は、さっきコンビニ行ったきりだからこんな材料しか揃わなかったけど」  朝からひとりで買い物まで行っていたのか、この人は…。 「身体、まだ辛いんじゃないですか?」 「んなの、神崎さんに関係ないじゃん」  神崎は柊の手からポットを取り上げて、コーヒーを落とした。 「関係ないはずないでしょ、私は加害者なんだから」 「被害者がいないのに加害者なんているわけないだろ」  ありゃ、儀式だよ。ぽつりとそう言うのが、神崎の癇に障った。 「儀式ってなんですか」 「一応夫婦としてやるこたやった。義務は果たした」 「義務、だったんですか」 「それ以外にあるかよ」  申し訳ないとか可哀想だとか思った自分が馬鹿らしくなった。神崎は淹れ終わったコーヒーを自分の分だけ注ぐと、立ったままぐびりと飲み干した。 「行儀悪いぞ!」  じろと睨みながら、柊は焼きあがった玉子を皿にのせる。 「私の勝手でしょう」  もう一杯コーヒーを注ぎながら、神崎はあれ、と呟いた。柊は揃いの皿にもうひとつ、玉子を盛っている。 「もしかして…あなたも朝食まだなんですか?」 「……ダンナさま差し置いてひとりで食べるのもなぁ、と思って」  トーストを添えた皿を両手に持ち、柊はキッチンを出て行く。神崎はまたそれを追いかける。 「いいんですよ、先に食べてたって」 「オレの勝手だろ」  テーブルに座ると、来い来いと神崎を手招きする。神崎はふたり分のコーヒーカップを手に、大急ぎで柊の向かいに腰を下ろした。 「ひとりで食べるのも味気ないし」  目元が僅かに腫れている。  昨日泣かせたからだ。そのあと枕に突っ伏して寝ていたし。  神崎は目を伏せた。  なんだかこの青年に良いように振り回されている。 「……いただきます」 「いただきます」  新婚夫婦はそろってトーストに手を伸ばした。

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