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第10話
帰宅途中にあるスーパーで、食料品を買い込んだ。
柊があれやこれや次々とカートに品物を入れる。冷蔵庫の中身がほとんど空だったことを考えると、必要なものは色々あるらしい。
かごの中身を按分し、神崎の腕に視線を向け「あとはまた今度だな」ポツリと一人ごちレジへと向かった。
柊の目利きはなかなか確かで、大の男がふたりがかりで袋を両手にぶら下げて家路を辿るのにはぴったりの量の買い物だ。
ようやく家に帰り着き、買い込んだ食材を柊がしまいこんでいる間に風呂の用意をした神崎は、
「また余計な事して!」
と例によって叱られた。
ああやはり想像通りだ、と神崎はまたほくそえむ。
なんとなく、だんだんと彼の事がわかってきているような気がした。
柊が先に、次いで神崎が風呂を使って出てくると、リビングには当たり前のように冷たい飲み物が用意されていた。
「ありがとう…」
「いちいち礼なんか言うな」
今日の柊は実家から持ってきたのか、ちゃんとパジャマを着込んだ姿である。同性のそういう格好というのは意外と目にしないので、神崎は感慨深げに眺めてしまった。
「……なに見てんだよ」
「いや、なんでもない」
「嘘つけ」
「だって言うと怒るから」
「明雅!」
彼を怒らせる方法はほぼ理解した神崎だった。
「言わなくても怒った」
「もういい!」
首まで赤くしてむくれている。
「ごめん、冗談」
「どの辺が冗談だってんだ!」
「パジャマ姿が可愛いと思ったこと」
「こんのバカーーーッ!」
「ごめん」
「もう黙れ!!!」
機嫌をとる方法はまだ把握していなかった。なんてつまらない反省をしながら、神崎はおとなしくグラスの水を飲み干した。
テーブルにグラスが置かれるのを待って、柊が尋ねてきた。
「……明日、朝は何時に起きるんだ?」
「そうだな、7時には」
「7時な。わかった。じゃ、オレもう寝るわ」
ひとりで?と喉元まででかかった言葉を、辛うじて神崎は飲み込んだ。これ以上からかったら、彼は顔から火を噴いて家を飛び出して行きかねない。
「お疲れ様。ゆっくり休むといい。俺は部屋で明日の支度をしてから寝るよ」
「ん、おやすみ」
椅子を立ち、神崎の傍らを周りこんで、柊がふいに脚を止めた。
「明日さ……うちの父親とも会うんだろ?」
「あぁ、その予定だね」
経営者である雨宮氏とは、すでに何度か面識がある。結婚披露宴では避けられていたようだが。
明日は取引先だのなんだのに多少仰々しく挨拶してまわらなければならず、雨宮氏はそれに同道する予定だ。
「そのさ……よろしくお願いします」
いきなり深々と頭を下げられて、神崎は椅子ごと後ずさった。
「どうした…」
「いろいろ迷惑かけどおしで、あんまり頼みごとできる立場じゃないけどさ、父親のことと会社のこと、よろしくお願いします!」
さすがに義務感から男に抱かれようというだけあって、なかなか天晴れな心意気だ。感心していいのやら悪いのやら、いまさら他人行儀なその様に一抹寂しさ覚えながら、神崎はこちらこそと手を振った。
「仕事は仕事、プライベートとは切り離して全力を尽くすよ」
「うん!」
笑って見せる柊の口元が、少しだけもの言いたげに見えた。
「ほかにもなにか気にかかる?」
水を向けてみると、彼は一瞬だけ唇を噛んだ。
「柊?」
「プライベートのほうも。楓が逃げたこと、父親を責めないでやってくれ。オレも父親も…親戚だって、妹はこの結婚を納得してると思ってたから…最初っからこんなふうに騙すつもりじゃなかったんだ、本当だ」
「わかってるよ」
このしっかり者の青年は、女だったらなんの躊躇いもなく家の為に政略結婚の相手へと嫁いだのだろうなと思う。
「あと…」
ちらりと神崎を斜めに窺がう。
「うん?」
「オレとその、したこと……。その、できれば父親には」
そうしてもう一度、ふっくらとした唇を噛み締めた。眦が薄く色づいていく。
なんだかそれがひどく幼く見えて、神崎は安堵させるように頷いた。
「もちろん言わない。俺だって、舅に向かって初夜の感想を述べるほどの恥知らずじゃない」
「うっ……」
「誰にもナイショ、ふたりだけのヒ・ミ・ツ」
「ふざけるなーーーッ!!!」
意味ありげな眼差しを向けられ、またもや真っ赤に顔を染めた柊は、もう知らん!と音高くドアを閉めて部屋を出て行った。
肩そびやかす後姿にやり過ぎたかなと思ったが、それでもなんとも笑いがとまらなかった。
神崎はもともと目覚ましなどというものを必要としない、寝起きのいいタイプだ。だが念のため『7時』にアラームをセットして就寝した。
セットした時間よりも前に目が覚めるのが常である。
翌朝、そろそろ時間になるだろうと起きる頃合を算段しながら、うとうとと快く寝床に潜っていたのだが、
「おはよう!おいっ、7時だぞッ!!!」
元気のよい朝の挨拶と一緒に柊が部屋に飛び込んできて、ほぼ同時に頭上の目覚ましがピピピと軽い電子音を立てた。
「………時報かい、君は」
予想外の出来事に頭を抱える神崎を尻目に、少しばかり手荒く目覚ましを叩いてアラームを止めた柊は、にんまりと笑顔を見せた。
「7時っていうから、7時に起こしたんじゃん」
「まあ…そうなんだけど……」
起こしてくれとも起こしてやるとも、約束はしていなかったと思う。
「ほら、起きろ、朝ごはんできてる!」
元気一杯な彼に腕を引っ張られて渋々、体を起こす。
「明日からは、ちゃんと自分で起きるよ」
「なにいってんだよ。新婚夫婦っていったら、朝はオクサンがダンナさまを起こすのが定番だろ」
「お目覚めのキスは?」
「お目……」
神崎のベッドに浅く腰を掛けていた柊が、いきなりぴょんと立ち上がった。
見る見るうちに頬が赤くなっていく。
「冗談だよ」
その反応があまりに可愛くて、眠気も一気に吹っ飛ぶ。
「じょーだんじゃねえ!」
「だから冗談だって」
「ふざけるな!!!」
怒鳴り声をちょうだいしながら、ああ今日も一日が始まるな、と神崎は思った。
なんとも平和な朝ではないか。
起き抜けからニコニコしている神崎明雅なんて、過去ベッドを共にしたどの女も見たことはあるまい。
「……なあ」
ひとり口元を緩めている神崎の顔を、そっと柊が覗き込んだ。
「お前ってさ、普段ビシッとして怖い顔してるけど…そうやって髪の毛ぼさぼさで笑ってるとさ、結構カワイイのな」
「か――」
かわいい。
まず滅多に言われたことのない形容を、ずっと年下の青年からいただいて、神崎はあんぐりと口を開いた。その反応に、かえって柊が驚いてしまったようだった。
「あ、ごめん!だから、普段はかっこいいけど、今みたいのもまた子供っぽくていいなって、そう思っただけで…」
柊はばっと掌で口を塞いだ。
しまったと書いてあるその顔を見ていると、神崎のほうまでなんだか顔が熱くなってくる。
「とにかく、朝ごはんできてるから!!」
脱兎のごとく柊は部屋を走り出た。ばたんとドアが閉ざされ、まだ神崎が身動きできずにいる間に再びドアが開いて、
「明日もオレが起こすからな!」
顔だけ覗かせた柊がそう断言し、再び扉は閉まった。
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