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第11話

 ダイニングテーブルの上には立派な和食の献立が乗っていた。  朝はあまり食べないのだ、とは恐ろしくて言い出せず、神崎はおとなしくそれをいただいた。  神崎の向かい側に座っていた柊は、神崎が箸を取るのを待ってから自分も食事を始めた。 「どう?」  神崎が味噌汁に口をつけると、柊も口をつけて、聞く。 「おいしい」 「そうか」  安心したように頷く。 「納豆は?」 「食べるよ」  神崎が箸をつけると、柊も納豆に手を伸ばす。  そして納得したみたいにまた頷く。 「玉子焼きはもっと甘いほうがよかったか?」  ダシ巻玉子を口にすれば、柊もそれをぱくりと一口。 「いや、これくらいでいい」  今度はうーんと眉を寄せる。 「どうかしたかい?」 「オレはもっと甘いのが好きなんだけど…」 「じゃあ、今度はもっと甘いので」 「いいのか!?」 「もちろん」  ぱっと柊の表情が明るくなる。味噌汁を飲みかけていた神崎の手が思わず止まり、柊はまたも眉を寄せた。 「やっぱ不味いか?」 「まさか!」  大慌てで否定すると、彼はそっかと唇突き出しながら碗を手に取った。 「よかった」  二人そろって味噌汁を飲む。  会話はぎこちないけれど、けっして居心地が悪いわけではない。むしろさりげなく現れている彼の心遣いをいたるところに感じ取れて、ほのぼのとしてしまう。  神崎の一挙一動に百面相する柊。  それを見てどぎまぎする自分。  魅入られでもしたかのように彼から目が離せない。気がつけば朝食はあらかた食べ尽くされていた。 「ごちそうさまでした」 「おそまつさまでした」  はいどうぞ、と熱いお茶。そして新聞が差し出される。  そのタイミングのよさに神崎は感嘆してしまった。 「ほんとに、新婚みたいだ」  ついついと軽口を叩いてしまう。 「ほんとに新婚だろ!!」  カウンターキッチンのむこうで食器を洗いながら、柊がむうと膨れて見せる。 「代打だけどな」  代打だから、気が楽なのかもしれない。  ままごとみたいで。  本物じゃないとわかっているから、堅苦しく考えずにいられるのかもしれない。要はこれまで付き合ってきた女たちと同じということか。  でも、少し違う。  新聞に目を通すふりをして、柊の様子を窺いながら考える。  彼女たちと過ごす時間は、気楽ではあったかもしれないがこんなに心穏やかではいられなかった。駆け引きと緊張を伴う、それは大人の娯楽であって、安らぎではないのだ。  彼が特別だから。  どこがどうというわけではないが、勝手にそう決めている神崎である。いや、もともと踏み込んだ人付き合いを得意としない神崎にしてみれば、わずか二日ほどでこうまで自分の内側に踏み込んでくることのできた彼は、特別以外の何者でもない。 「明雅?」  いつの間に来たのか、すぐ隣から声かけられて、神崎ははっと顔を上げた。 「これ」  柊から布包みを渡された。それはどこからどう見ても弁当箱であった。 「新婚っていや愛妻弁当だからな。これ持ってって、女房に逃げられたってバレないようにアピールしとけ」  受け取ったブルーのクロスで包まれた弁当箱は、ほんのりと掌に温かみを伝えてくる。神崎は返す言葉が咄嗟には出なかった。 「………今時、愛妻弁当も不自然、」  つまらない、冗談めかしたことしか口にできない自分に呆れてしまう。せっかく作ってくれた弁当に対して、失礼極まりない。 「文句…あるか?」  柊が横目で睨んでくる。 「いいえ、なんでもありません」  バカなことを言った。情けなくてみっともない自分に少し切なくなる。  神崎はしっかりと鞄に弁当箱をしまう。  手作り弁当なんて、最後に口にしたのはいつだろう。  くすぐったい、恥かしい。だがそれ以上に、素直に嬉しかった。 「あの、お弁当、」  ありがとうと、勇気を出してそう伝えようと思った矢先に、 「べつに食わなくてもいいんだぞ」  ぽつりと柊は言った。 「柊?」 「もっと美味いもん、いつも食べてるんだろ?三食オレが作ったもんじゃ飽きるだろうしさ。だから『奥さんが弁当作りました』って見せびらかしたらそれでおしまい。それは残して、好きなもん食べてこいよ」  どこか自嘲的に、神崎に笑いかけてくる。 「デモンストレーション用の弁当、な」 「あの、俺は、」  言いかけたところでインターフォンが鳴る。飛びつくように受話器をとった柊が、迎えが来た、と振り返った。  固辞したのだが、せめて最初のうちだけでもと送迎車がつくことになっていた。 「じゃ、行ってくるけど」 「頑張れよ、ダンナさま。期待してる」  意外なほど真剣な口調に、神崎は、はい、と力づよく答えた。  玄関先まで出てきた柊に手を振って、エレベーターホールへ向かいながら、これじゃあ本当に新婚だな、と認めずにはいられなかった。  その日、一日はめまぐるしい忙しさだった。  朝はまず、件の柊の父であり義父でかつ経営者たる雨宮氏との会談から始まり、諸重役が顔を揃えた会議の席上での挨拶、社内引き回し、昼は懇親昼食会とやらで堅苦しく関係各氏に紹介された。なにを食べたかもよくわからず、午後からは社長、副社長ともども得意先や融資先への挨拶回りだった。  移動の合間の車中でさえも、渡された資料や書類に目を通し、会見した人物・内容については怠りなくメモを取っておく。  ようやく社に戻った時にはどっぷりと日は暮れ、与えられた部屋とデスクにはほとんど触れぬまま、神崎の初日の業務は終了した。  招じ入れられた社長室の応接ソファで、神崎は疲弊しきった身体をようやく休めていた。 「今日は一日、大変でしたでしょう」 「…えぇ、そうですね」  柊の父に話しかけられ、漸くといったように神崎は返事をした。 「スケジュールがびっしりでしたから、息をつく暇がないという気分でした。無事にこなせてよかったです」 「お仕事振りを改めて拝見し、感心しましたよ。神崎という名前を抜いても、お力のほどは大したものだ。安心して会社の再建を託すことができる」 「お言葉光栄です。精一杯つとめさせていただきます」  雨宮氏は満足そうに笑んで、腕時計に目をやった。  時刻はすでに20時に近かったが、予定が押していてまだ夕食が摂れていない。 「どうです、もしよかったらこの後、食事でも――」  そう言いかけて、柊の父は苦笑した。 「失礼。今日はお疲れですね。誘うのはまた今度にしましょう。ゆっくりお休みいただいたほうがいい」 「申し訳ありません」  正真正銘、心底疲れていたので正直にそう返答した。ここで無理して雨宮氏に付き合えば、明日の自分がどうなるか甚だ心許ない。 「車を回させます」 「ありがとうございます」  硬い会話を交わしたあと、ふと神崎は思い出してスマホを取り出した。今日1日触れることなく、ジャケットのポケットに入れたままだった。  メールが3件。  それを確かめる間もない慌ただしい一日だった。 「ちょっと、失礼します」  断りを入れてから内容を確かめる。  すべて柊からのものだった。  昼前に1本。 『忙しいか?頑張れよ!』  次は15時過ぎ。 『夕飯に食べたいもがあったら乞連絡』  そして、間髪をいれずにもう1本。 『悪い。べつに家で夕飯食べなくてもかまわない。さっきのは忘れろ』  まったく。  思わず浮かぶ笑いを隠すのも忘れた。おや、と正面に座っていた柊の父が眉を上げた。 「何かいい連絡ですか?」 「え?あ、はい」  神崎は反射的に答えていた。 「柊さんからです」  雨宮氏は苦笑した。 「柊、ですか」

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