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第12話
視線を落とした柊の父を見て、しまったと神崎は思った。
「はい。とても、よく気のつく方ですね」
「………今回のことは、神崎さんには大変申し訳ないことをしたと思っています」
今日一日、雨宮氏も自分も『花嫁失踪とその代打』について、一切触れずに過ごしてきたのだ。
柊に頼まれたということもあるし、そんな余分なことを口にする余地がないほど忙しいく過ごしていたということもある。
どちらにせよ、お互いにとって穏便に過ごしてきたものを、思いもかけないメールが嬉しくて、ついつい送り主を暴露してしまった。しかし『柊』の名前を出せば、目の前の男が困るのはわかりきったことだった。
ああ、これじゃまた柊に怒られる。
そんなことをつい考えてしまう神崎をどう思ったか、雨宮氏はゆっくりと話し始めた。
「楓のことは今、探しています。あまり大掛かりに探し回ると、本人も出て来にくいかと思いますので、刺激しないように心当たりに問い合わせたりしているのですが…我々は勿論、本人からもきちんと謝罪をさせたいと思っておりますので、もうしばらくご猶予をお願いします」
居た堪れないとでも言いたげな様子の雨宮氏に、ぽりぽりと頬の辺りを爪でかきながら、言いにくそうに神崎は口を開く。
「あー、その件ですが。べつにそう気に病まなくてもですね、」
「しかし。ただ一方的に結婚の約束を破っただけでなく、身代わりを立てて済まそうだなんて…式の前に正直にお話してお許しを願うべきでした」
頭を下げ続ける義理の父に、神崎は寧ろ申し訳なく思う。
「お互い様です。もし破談となれば神崎の側だって当然困ったことになっていたはずです。その…そもそも私のような年恰好の男は、若いお嬢さんの好みに合わなかったんでしょう。この結婚自体には意義がある。でも、娘さんにとって意味を見出すことはできなかった。しかたないことですよ」
慰めるようにそう言って、神崎は笑顔を見せる。
「双方の利益の為にも、当分の間は世間的に私と楓さんは夫婦でいたほうがいいと思います。ですから、どうぞよろしくお願いいたします」
「申し訳ありません。お心遣い感謝します、神崎さん」
後ろめたい思いが山ほどあるものだから、感謝などと言われてしまうと返す言葉が見つからない。
どうしたものかと困っている神崎を助けるかのごとく、内線電話が鳴る。社長自ら電話を取ると、
「玄関前で車が待っているそうです」
救われたような思いで神崎は立ち上がり、一礼した。
「ありがとうございます。では、お先に失礼させていただきます」
「どうかこれからもよろしくお願いします」
「こちらこそ。それでは」
部屋を出ようとする神崎の後ろ姿に、
「柊のことも――どうかよろしく」
そう声がかかり、思わず神崎はどきりとした。が、辛うじて平静を保ち振り返った。
「もちろんです。傍にいてくれて、大変助かっていますよ」
「そう言っていただけると心が休まります。ありがとうございます」
大変、心苦しい。
ほっとした表情の義父に、内心両手を突いて謝りながら神崎は社長室をあとにした。
家に向かう車の後部座席で、漸くメールの返信を打つことができた。
『これから帰ります。家まで30分くらいかな』
外はもう真っ暗で、午前中から連絡を貰っていたことを考えれば、居た堪れない気持ちである。
彼がずっとスマホを片手に自分からのメールを待っていたとしたら。
まさかそんなことありえない、とは思うものの、意表をつくことが得意な柊ならば絶対ないとは言い切れない。
『連絡が遅れて、ごめん。』
付け加えて送信する。
悪いことをした。
送信中の画面を見ながら、神崎はぼんやりと考えた。
応援してくれて、夕飯のリクエストまで取ってくれたのに。
――戻らない返信。
花嫁に逃げられても当然の、甲斐性なし男だとか思われているかもしれない。
ひとり寂しく夕食を摂りながら、誠意のカケラもない奴だ、と文句をつけていたのではないだろうか。
「……あっ!!」
そういえば。
神崎は背もたれに預けていた身体をがばりと起こし、鞄を広げた。
「どうかなさいましたか?」
バックミラー越しに後部座席を窺い、運転手が声をかけてきた。
「べ、べ、弁当!」
神崎が鞄から取り出した布包みをちらりと見て、年配の運転手はどことなく嬉しげに言った。
「新婚さんでいらっしゃるから。愛妻弁当、よろしいですねぇ」
「いえ、食べるの忘れてたんです!」
神崎は早口に言い返す。人のよさそうな運転手はうんうんと頷いた。
「今日は一日お忙しかったですから、仕方ありませんよ。お昼は会食でしたしね。奥様もわかってくださいます」
「それは……でも」
慌てたはずみに座席に投げ出したスマホが、メールの着信を伝える。急いで開いてみると、
『お疲れ様。風呂沸いてる。夕飯あるけど食べなくてもOK。気をつけて帰れ』
飾り気も何もないぶっきらぼうな文言ではあるけれど、なんとなく心温まるものがある。
彼は確かに、神崎のことを気遣ってくれているの。
それなのに…。
「申し訳ないですが、ここで弁当を広げてもいいですか?」
神崎の言葉に、さすがの運転手も驚いたようだった。
「今から召し上がるので?」
「ええ。せっかく作ってもらったのに食べないのは、あまりにも失礼です」
返事が返される前に布包みを解く。
蓋を開ければ、玉子とそぼろの2色ごはんに、焼鮭、うずら豆、胡麻和えだのが、色とりどりに入っている。
「これはこれは。美味しそうにできてますね」
信号待ちの合間に「失礼ですが見せていただいても……」と、覗き込んできた運転手が、そう褒めてくれた。神崎は箸を止めて目尻を下げた。
「――美味しい。とっても」
おそらく神崎を起こすよりずっと前から起き出して、彼はこの弁当を作ってくれたのだ。その姿を想像するだけで胸の奥から、じわりと優しい気持ちが沸き起こってくる。
実際、昼間口にした高そうな会席料理なんぞより、百倍も千倍も美味しかった。
どちらか選べと言われれば、何の躊躇いもなく柊の弁当を選ぶだろう。
バクバクと弁当を平らげ、気を利かせた運転手が車を停めて買って来てくれたお茶を飲み、神崎は身も心も満たされた気分だった。
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