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第13話

「ただいま」  玄関ドアを開けて声をかけると、リビングから廊下へひょいと頭を出した柊が、お帰りなさい、と返事をしてくれた。 「夕飯、すぐできる」 「あぁ、楽しみだ」  柊の声に当たり前みたいに返しながら、神崎はそのまま着替えに行く。  金曜日の晩。  新婚生活もすでに七日目を迎えた。  生活パターンも大体決まってきた。    柊の弁当を車の中で平らげた初出社日、月曜日の夜。  帰宅した神崎は、テーブルの上に整えられた食器がふたり分あることにまず驚いた。 「柊、まだ夕飯食べてないのかい?」 「んー?明雅が食べてこなかったら、一緒に食べようと思って」  途中で事故渋滞に巻き込まれ、結局21時を過ぎてしまっている。  育ち盛りの若者が空腹のまま自分を待っていたのかと思うと、またもすまない気持ちで一杯になる神崎だった。  あわよくば上手いこと言って夕飯をパスしようなんて考えていたが、こうなれば意地でも食べてみせよう。  空にしたばかりの弁当箱を鞄から出し、神崎は決意も新たにした。  柊が作ってくれたのは、ごくシンプルな家庭料理だった。  しょうが焼きに千切りキャベツが山盛り乗ったメイン。味噌汁。ご飯。副菜が2品。  すべて熱々で神崎の前に並べられる。  満腹ではあったが、手をつけてみるとなかなか美味しくて、意外なほど食が進んだ。  柊もかなり空腹だった様子で、神崎の様子を見ながらも、パクパクと勢いよく肉や野菜を口に運ぶ。そんな姿を見ると、やはり神崎は心苦しかった。 「柊、暫くの間は帰りが何時になるかはっきりしないんだ。だから、明日からは先に夕飯食べていていいよ」 「えー?いいよそんな、待ってるから」 「ダメ!そんな、悪いことできない!」  びしりと申し渡すと、 「悪いことってか……2回も作ったり片付けたりするのがメンドくさいんだよ。いっぺんで済ませたい」  ふくれっ面をされてしまった。 「…そうか、そうだね」  とりたてて自分を待っていてくれたというわけではなかったのかと、少しばかり残念な気持ちになる。 「あとさぁ…できれば、ふたりで食べたほうが美味しいじゃん?」  落としておいて掬いあげる。  絶妙な間でもって神崎を翻弄する柊。項垂れかかった神崎の頭がぱっと上がる。 「し、柊!」 「あと、夫婦だし…な」  照れ隠しで茶碗のごはんをかき込む柊が、なんだかたまらなく愛おしいと思えた。だが、だからこそ、彼に空腹を抱えて待たせるような思いをさせたくない。 「―――でもね、柊。家で夕飯を食べるかどうかわからないような男を待っていなくてもいい。なんなら、俺は毎日外で食べてくることにしてもいいし、最初からそう決めておけば君も気兼ねなく自分の食べたいものを、好きな時に食べられるだろ?俺も君がお腹を空かせて待ってるかと思うと気が、」  かたん。柊がテーブルに茶碗を置く。 「柊?」 「―――迷惑か?オレが夕飯とか作るの…」 「そんな!迷惑なんて思ってない」 「明雅が嫌じゃなければ作りたい。ダメか?」  気持ち俯いてぽそっと呟く柊に、神崎のほうが狼狽する。 「ゴハン作るのは妻の務めだ。その、いろいろ不自由な思いばっかさせてるし…ちゃんとできないことも多いし。せめて食事の支度くらいはきちんとして、明雅のこと待ってたいんだけど」  そうまで言われて断る男がこの世にいるのだろうか、いやいない。  神崎は、もはやお手上げ状態で「お願いします」と頭を下げた。  あれ以来、本日まで神崎は例え接待で夕食を食べていても、帰りが日付をまたいでいても、また逆に思いがけず早帰りできた時でも、必ず柊と食卓を共にしていた。  柊はどんな時間に神崎が帰ってきても、ぶっきらぼうだが不機嫌ではない様子で必ず「おかえり」と出迎えてくれた。  着替えた神崎がリビングに戻ると同時に、出来立ての料理がテーブルに並ぶ。  ふたり揃って「いただきます」と、湯気の立つご飯や味噌汁に手を伸ばすのである。  平和な食卓。    社会人になりそれなりの付き合いがあったり遊んだりして、実家にいても家族とともに食事をする機会はほとんどなかった。  それが今こうして不思議な縁で、妻でありながら妻ではない、という妙な関係の青年とともに夕食を摂る毎日。  変なものだ。  だがその『変』にとっくに馴染んで、新婚七日目を迎えた今では当たり前になってしまっている。それがおかしくてたまらない。  不自然なのに、違和感がまったくない。ーーー彼といることが。 「どうした?」  柊は神崎の気配に敏感だ。 「いや、なんでもない」  こみ上げる微笑を必死に堪え、柊にならってほくほくのポテトサラダに箸をつける。 「いつもいつも手の込んだもの作ってもらって、ありがたいなぁと思って」 「全然手なんて込んでないけど」 「込んでますよ。毎食、感心してる」  偽愛妻弁当も毎朝、きちんとクロスに包まれて差し出される。前夜の残り物など1つも入っていない。丹精込められた愛情弁当は、見た目も味も、さらに加えて周囲への『新婚デモンストレーション効果』もばっちりだ。  『毎日こんな丁寧にお弁当を作ってくれるなんて、奥様と仲がよくていらっしゃるんですね』と、目撃者は羨ましがってくれる。柊の思惑通り、よもや新妻が失踪しているとは誰も思っておらず『神崎夫人・楓』の評価は上々であったりする。 「何時に帰ってきても、こうやって温かい食事が手際よく並ぶ。魔法みたいだね」  食事の問題だけではない。  部屋だって隅々まで掃除が行き届き、いつも綺麗に片付いている。洗濯物は柔らかいものはより一層柔らかく、ぱりっとしたものはしっかり糊付けされてクローゼットの中に、いつの間にか納まっている。 「柊がいてくれて、お世辞じゃなしに助かってるんだ」 「あー。ま、一生懸命やってはいるからな。おまえが喜んでくれてるのなら…よかった」 「俺は幸せ者だと思ってるよ」  神崎が褒めるとちょっとだけ得意そうに、柊はにこりと笑った。 「おまえの役にたつことが、オレの唯一の仕事だからな」  仕事。  その一言を聞いた時、あぁやはり、となぜか神崎は思った。  仕事―――花嫁代理としての任務。それ以外で彼にこんな奉仕を求めることができるはずがない。  胸の奥の一抹の寂しさを、神崎はそっと隠した。 「ていうかさ、昼間は退屈なんだ。家事くらいしかすることなくて」  ワイドショーもなにが面白いかわかんないし。本も飽きるし。ふたり分じゃ洗濯でも買い物でも、あっという間に終わるし。  そうあげつらう柊に、ふと神崎は疑問を感じた。 「柊は―――学生じゃないのかい?」  楓は確か、今年から短大生だと聞いていた。意識して考えていなかったから確認はしなかったが、年頃や雰囲気や言動からいって柊のこともなんとなく大学生かな、程度に考えていた。 「うーん。学生ってか。まあ学生かもしんないってか…」  歯切れ悪さが神崎には引っかかった。思わず身を乗り出すようにして、 「昼間することがないって言ってたけど…今の時期なら普通は授業があるはずだ。学校に行ってないの?」 「ええと、その。学校は休業中。なんつーか、休学するか退学するか…今検討中ってとこ」 「きゅ、きゅう…たい、えぇっ!?」 「休学か退学」  柊はまるで他人事のように言った。

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